森のかけら | 大五木材


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数日前のブログでマツのヤニ(脂)について触れましたが、年明けに松山市内某所で伐採されてアカマツモミなどが大量に入荷して、この数日間は板に挽いたそれらの整理に追われていました。その結果私の手はヤニで真っ黒のネトネトに・・・。乾燥の甘いマツを触る場合、普段は手袋を付けているのですが、あまりに大量にあってつきっきりになっていたので、マツの板を動かしたり検品している最中にも引っ切り無しに電話がかかってきて、そのたびに手袋を外していたら、ついそのまま作業してしまいヤニが付着!

ひとたび手についてしまうともう吹っ切れて、いちいち脱いだり付けたりするのも面倒になって、素手で作業をしてしまったためこういう結果になってしまいました。マツはなんにも悪くないのです。私がそそっかしくて横着なだけなのですが、手や服に付いたヤニが厄介で、石鹸や洗剤ぐらいでは簡単に取れないので、もうそれだけで気分が滅入っていました。そういう小さなネガティブな経験が積み重なっていって、知らず知らずのうちにマツと距離を作ってしまっていたのかもしれません。

そしたら少し前に高校1年生の息子と話をしていたら、息子は部活でハンドボール部に入っているのですが、ハンドボールではボールが滑らないように手にマツヤニを塗るそうなのですが、そのため練習中は掌がネトネトしていて、体育館のドアノブにもビニール袋が巻き付けてあってヤニを付着させないようにしていると言っていました。でもそのわりには、練習の遠征の際など迎えに行っても掌が汚れている様子がないので、どうやってマツヤニを落としているのか聞いてみると、専用のクリーナーを使っていると。

調べてみると、ありました。モルテンのハンドボール専用マツヤニクリーナー!業界でヤニがよく落ちると噂の石鹸や洗剤など試してみましたが効果がいまいちだったのと、プレカットの台頭もあってマツそのものに触る機会がどんどん減って(プレカットなので生材はNG,材がKD材・乾燥材に急速に移行したため)、ヤニに悩まされることも少なくなったため、それほど熱心にそういうものを探していませんでした。それが今回不意に大量のマツが入荷して、久しぶりにマツヤニに苦しんでいた私に吉報!明日に続く・・・




戦後の名横綱、名大関たちの足跡を網羅したDVDマガジン『大相撲 名力士風雲録』がベースボールマガジン社から創刊され、書店本棚でその姿を見たのは2016年の1月のこと。このブログでも何度も書いてきましたが私・高橋照国の名前「照国」は、全国で唯一プロとアマが対戦できる「乙亥大相撲」が160年以上も続く相撲好きな土地柄に生まれた祖父・国松が、当時人気のあった名横綱・照国にちなんで命名してくれたものです。なので自分の名前のルーツである横綱・照国の文字には敏感に反応してしまいます。

それで、その名横綱・名大関を特集した『大相撲 名力士風雲禄』の存在を知った時には、とりあえあず横綱・照国が掲載された号は買っておかねばという使命感にも似た感情が湧き起り、まずは掲載号一覧を確認。ずると、第1号の北の湖から千代の富士、大鵬、貴乃花と歴史に名を刻んだ名横綱が連なります。照国はいずこ?と探してみれば、随分後ろの方。全30巻中25巻目でした。まあそれも致し方ありません。というのも照国が生まれたのは大正8年、当時の最年少記録の23歳で横綱に昇進したのが昭和17年

記録も写真も少なく、当時ライバル関係にあった前田山、羽黒山、安藝ノ海との4力士が1冊にまとめられています。ちなみに前田山は、照国の次の第39代横綱で、この人は何と愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身で、愛媛県出身の唯一の横綱なのです。前田山は戦後初の横綱ということで、恐らく愛媛でも相当人気があったことと思われます。照国とは同時代に活躍された人なので、もしかしたら私の名前も照国ではなく、英五郎(前田山 英五郎)になっていた可能性もゼロではなかったかも・・・


こういうルーツ探しなどには異常に執着するタイプなのですが、それが高じて『今日のかけら』のような木の名前のルーツ探しにのめり込んでいるのかもしれません。そうやって若い頃からむやみやたらに蒔いてきた好奇心の種が、最近になって意外なところで繋がる事が多くて、何事も考え方ひとつで無駄になることなんて何も無いと感じているところです。木がキーワードで繋がるというよりも結局は「ひと」で繋がっているのですが、私の場合はそれを無理矢理木に関連付けようとさせているのでややこしいのですが・・・

以前から横綱・照国の事は気になっていて、いろいろな資料なども集めていたので、あまり新しい情報はなかったものの、貴重な取り組みの映像が見れたのは収穫。ところで、照国引退後、その四股名を受け継ぐ力士は現れていません。四股名は、部屋で継承されていくのですが、照国がいた伊勢ヶ浜部屋は無くなってしまった(現在の伊勢ヶ浜部屋とは系統が違う)ため、なかなか継承しにくいという事情もあります。照国襲名の可能性のあった日馬富士もいろいろあって引退しましたし、照国から一文字取った照ノ富士も体調不良で休場と、ルーツに関連のある力士に元気が無いのは寂しい。最近何かと不祥事続きの相撲界ですが、そんな土俵外の雑音を吹っ飛ばす播磨灘のような日下開山よ、現れよ!

※「横綱照国物語」無明舎出版  簗瀬 均 /

【本日のキーワード】 #森のかけら #横綱照国 #大相撲名力士風雲禄 #乙亥大相撲 #前田山 #ああ播磨灘 #今日のかけら 




恒例のミセスホーム㈱さんのボーリング大会。ミセスホームの業社会であるミスター会主催による会員と会社の懇親を深める目的のスポーツイベントですが、毎回100人規模の参加で盛り上がる恒例行事です。ミスター会は、業者が順番に交代で役員を務め、年の初めに開かれる総会で承認された年間行事に基づき会を運営しています。私も過去に2回会長を経験させていただきました。今は一会員として会に参加しているのですが、次に役が回ってくるのは数年後のこと。

会員皆が役員を経験しているので、運営の苦労なども理解していて、会の運営についても非常に強力的なのと、いまどき珍しいほど会員会社が固定化しているので誰とも顔なじみで実にアットホームな業者会なのです。私も今まで多くの大手のハウスメーカーの業社会に参加させていただきましたが、その多くが会員にかなり強い圧で新築の紹介を強いるものであったり、施工の失敗や問題点を公開処刑で叱咤罵倒することもあり、とにかく気分が滅入って、とても会社と一体感を得るような気分にさせるものではありませんでした。

結果的にそういうところとは仕事自体も減って、業者会も抜けることになったのですが、ミスター会に限れば会に参加することが楽しみで、たぶんこれはほとんどの会員も同じ感覚だと思います。大下社長はじめミセスホームの穏やかでアットホームな社風もありますし、なにより業者間の仲がいいので誰とでも話が弾む。味方によっては緊張感がないとか、業者の入れ替わりがないからマンネリ化しているという人もいますが、私には参加するだけでネガティブな気持ちになる場からクリエイティブなものが生まれるとは思えません。

考え方はひとそれぞれなので、いろいろな意見があっていいと思いますが、私的にはもう50も越えていくら仕事といえども軍隊のように高圧的な指導をされるのはもう遠慮したい。高速道路を降りた以上は、ミセスホームさんのように弊社の存在意義を認めてくださる会社と長くお付き合いさせていただきたいと思うのです。今回大五木材チームは双子と私の3人で参加させていただきましたが、そんなポジティブな気持ちが幸いしてか、人生初のフォースを出して、ボーリングの下手な私としては上出来の186点、褒められて伸びるタイプです!(笑)




甲子園記念館』は、同球場を本拠地とするわが愛しの阪神タイガースに関連する展示物も多いものの、同時に同球場が舞台となる高校野球や大学アメリカンフットボール(甲子園ボウル)などの関連物なども多数展示されています。記念館の2階に上がると、まずはその高校野球関連ブースがあります。本来、部活動の一環であり、他の部活動と同じでなければならないはずの野球部が、特別扱いされる風潮に対して、高校生の頃から大いなる不平不満はあったものの、観ること自体は決して嫌いではありません。


思うところはあるものの、とりあえずそれは脇に置いといて展示物に集中。高校野球に疑問を持つ前(つまり中学時代頃まで)は、高校野球の大ファンで、その頃は今のように高校野球関連情報が充実していなかったので、田舎にいても得られる数少ない情報誌『朝日グラフ』を、文字通りページが擦り切れるほど読み込んでいました。当時はまだ今ほどに情報が過剰に飾られていなくて、それぞれの選手や学校の背景などの情報も少なくて、シンプルに試合に集中して楽しめていたように思います。

こちらは、1948年(昭和23年)の第30回大会で二連覇した時の小倉高校(福岡県)が使用していた優勝記念バット。その前年に旧制小倉中学として初優勝し、初めて優勝旗が関門海峡を渡ったということで、歴史の重みが傷だらけのバットから伝わってきます。何しろ終戦が1945年で、高校野球が再開されたのが1946年の事。その時の大会は、甲子園球場はアメリカの占領軍に接収されていて、使うことができずに西宮球場で大会が開催されたという時代。日本中が貧しく、バットどころか食料さえままならぬ厳しい時代のことです。

ユニフォームを作るお金もなくて、戦前のものをまねて選手が自分で作ったり、スパイクも無くて普通の靴にサッカー用の靴底を縫い付けて使っていたそうで、バットもチームに2,3本もあれば良いほうだったという時代背景を考えれば、このバットがいかに貴重なものであるのかが分かります。ちなみにこちらは、甲子園の歴史を振り返るコーナーで展示されていた、1939年に甲子園球場で開催された戦車大展覧会の様子。今、高校野球やプロ野球を楽しめるのはこういう過去があったからだと思うと、バット1本にも感慨深いものがあります。

歴代の優勝校のユニフォームなども多数展示してありましたが、やはり愛媛県人として目が行くのは愛媛の高校。夏の大会で優勝5回、春の選抜で優勝2回の合計7回の全国制覇、夏・春合わせて40回を超える出場(夏26回、春16回)を誇り『夏将軍』の異名をとる松山商業のユニフォームも展示してありました。甲子園では通算80勝をあげて、高校野球史上で唯一、大正・昭和・平成の各元号下で全国制覇を果たしている伝統校ですが、最近はすっかり私学に押されて影が薄くなっていて復活が望まれます。




今更ながらですが、2016年6月半ばの話です。今年も、一緒に『誕生木 12の木の物語』を作っている神戸の『住空間設計Labo』(渡辺喜夫社長)さんからチケットをいただき、弊社の井部君とふたりで交流戦中の甲子園球場に向かいました。梅雨の最中ということで松山を出る時は生憎の曇り空でしたが、到着するころには晴れること祈って車を走らせました。ところが兵庫に入るあたりから雨が落ちてきました。数駅手まで車を停めて電車で球場に向かう頃には雨足も強くなってきました。ここまで来ての中止だけは勘弁して欲しい・・・。

甲子園球場に到着したころには至る所に色とりどりの傘の花が咲いていて、かなり中止の危険性が高まります。雨が恨めしいのは材木ばかりではないという事。よく野球が中止になった際に、他人事ながら気になるのは、その経費問題。特に年に数試合だけ組まれる地方での公式戦の場合、関係者は天気にヤキモキされることでしょう。もしも2試合との中止にでもなれば、地方球場の場合は予備日なんてありませんから興業的には莫大な損失になってしまうわけで我が事と思うと怖すぎる・・・まさに神頼み!

比べるにはあまりにも何ですが、地域の運動会ですらテントや椅子の手配やら弁当の依頼で、小雨模様だと開催するか中止にするかで相当に頭を悩ますのに、数万規模のビッグイベントになると関わる人数も膨大で、下請けの関係者の数ももの凄いことになるはず。そんなところに気持ちがいってしまうのは、住宅業界での同じような黒子的立場である納品業者の気質?!今回とて中止になればどれだけの数の弁当やら飲食品などのなま物が廃棄されてしまうのかと思うと、貧乏性の心が騒ぎます。

まあそれは置いといて、少し早めに松山を出たため試合開始までまだ時間があったので、その時間を利用して、今までは入れていなかった球場の外野スタンドの内にある『甲子園歴史館』に行ってみることにしました。年に1、2回しか球場に行かない地方の阪神ファンでありながら、しっかりファンクラブには入っておりますので、この種の情報だけはガッツリ把握しておりまして、何が展示してるかなども分かっていて、いつか行ってみたいと思っていたので、これも雨のお陰と気持ちを切り替えて入館。続く・・・




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