森のかけら | 大五木材


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紀行が自分でも想定していなかったほどのかつてない大長編になってしまい、あちこと様々なところに行っているので一体なぜ北陸へやって来たのかという目的がぼやけてしまっているかもしれませんが、本来の(表向きの)目的はこの『日本木材青壮年団体連合会(通称木青連)』の第61回会員福井大会なのです。木青連は全国に広がる材木関連企業のネットワークで、北は北海道から南は沖縄まで文字通り全国に地域ごとの組織がります。定年の年齢は地域によって多少異なるものの、おおよそ45~50歳がひとつの区切り。

愛媛では45歳が定年となっており、私も5年前に卒業させていただきました。その後はOBという立場なのですが、個人的にはOBがいつまでも口出ししたり、関わっていると現役の会員にとっては煩わしいだけでしかないと思っているので、卒業後はなるべく関わりを避けてきたつもりです。なので、毎年各地区持ち回りで開催され、現役時代20年も参加してきたこの全国大会にも二度と参加することがないだろうと思っていたのですが、たまたま昨年愛媛で開催されたことでお手伝いに参加したことから事態が急変することに。

木青連のつながりのありがたさを感じるようになったのは、むしろ引退後。現役時代はどうしても会の運営や行事をこなしていくことの方が優先されてしまうのですが(また、現役時代は迂闊に情報等の貸し借りを作ってしまうと、人的代償〔何かのポストに就くとか〕を払わなくてはならないというリスクもあって二の足を踏むこともあるというおとなの事情がある。なにしろ人事問題はいつの時代ももっとも頭を悩ませる課題)、そういうリスクがなくなった卒業後はビジネスライクに安心して情報交換が出来るようになったりします。

まあ本来はそうであってはいけないのですが、まあ私はよき会員ではありませんでしたのでご容赦ください。それで全国の会員から【森のかけら】の素材を分けていただいたりと、20年間在籍して培ったネットワークが【森のかけら】を支えてくれていたりするのです。そういうこともあって、大会の懇親会ぐらいには参加させていただき、日頃のお礼も兼ねて、年に一度ぐらいはご挨拶と木材の情報交換をしておこうかということで、今回もこの時間からしれっと参加させていただいりしているのです。それでは明日は恒例の・・・




福井県あわら市にゆかりのある、元阪神タイガース小林繁投手の話の続き・・・。昭和40年代世代にとっては、若かりし頃の明石家さんまがその形態模写で小林投手のサイドスローの投球フォームを真似ていたのが懐かしく思われると思います。当時誰もが物真似をしたものです。江川との空白の一日によって阪神に緊急トレードされた小林投手には、その潔さから巨人から乗り換えたファンもついたり、もともと細身で甘いマスクに人気があったのですが、メディアも「悲劇のヒーロー」に仕立て上げたものだから更に人気沸騰!

阪神にはONという巨大な壁に挑む村山実という名投手がいて、全身を使って投げるそのダイナミックなフォームから、『人間機関車』と呼ばれた陸上長距離選手のエミール・ザトペックにちなんで『ザトペック投法』と呼ばれました。村山実のキャラクターと相まって悲壮感が漂うと形容されましたが、阪神に意識して巨人相手に闘志むき出しで投げる小林繁から感じたのも同じような悲壮感だったにかもしれません。小林繁はその後も5年にわたりコンスタントに2桁勝利をあげるものの1983年に惜しまれつつ引退を決意します。

阪神を引退後、一時は参議院に立候補するも落選。バブル崩壊の追い打ちもあって、経営していた不動産業や飲食店なども経営が悪化し大きな借金を抱えることに。その後近鉄で投手コーチなど経て一旦野球界を離れるが、かつてのチームメイト川藤幸三の紹介で福井県あわら市のゴルフ場支配人を務めます。これがあわら市とのご縁。その後、多額の借金問題で自己破産。紆余曲折を経て2010年に日本ハムの一軍投手コーチとして招聘されるも、その年のキャンプ直前に倒れ、心筋梗塞で帰らぬ人となってしまったのです。享年57歳。

なかなか波乱万丈の人生であってようです。スポットライトの当たるプロ野球の一流選手として世間の注目を集めることができるのは、長い人生の中でほんの一瞬。スポーツ選手にとっては、現役時代の数倍も長い引退後を生きなければなりません。スポーツ選手よりもはるかに現役寿命の長い材木屋にとって、50歳なんて鼻たれ小僧もいいところですが、同世代の中日の山本昌投手も引退して、いつか自分にも訪れる「引退」する日の事も考えてみたりしていたところで福井に到着。あ、ちなみに山本昌投手入団時の総理大臣は中曽根康弘・・・昭和は遠くになりにけり。




福井県あわら市の『金津創作の森』に来たもうひとつの目的は、『21世紀近代美術館』の時にも書きましたが、ミュージアムショップに商品を売り込むための市場調査の一環でもあります。こちらにも小規模ながらミュージアムショップがありました。販売されているものが陶器などが中心だったので購入することはなかったのですが、どういうタイプの美術館にはどういう形態のショップがあって、どういう商品を販売されているか、自分なりに調査中ですが、木の商品って相性は抜群なので、可能性はかなりありそうです。

この後は、福井市に移動してようやく、この旅の本来の目的である日本木青連の全国大会に参加することになるのですが、折角ここまで来たのだから、あわら市と何かご縁はないか、移動中の電車の中で考えていました。すると福井県出身の有名人の中に、プロレスラーの天竜源一郎(ここでは割愛)と元阪神タイガースの川藤幸三の名前が!お二人ともあわら市ではないものの、スポーツ新聞を読んでいたら「あわら市」と「川藤幸三」という名前が並んでいたことを思い出しました。それらを結びつけるのは、1979年に起きたあの『空白の一日事件』!

今更説明するまでもないでしょうが、若い人のために簡単に説明しておくと、巨人入りを熱望していた時の怪物・江川卓(高校時代に阪急、大学時代にクラウンのドラフト指名を蹴っている)が、巨人と「ドラフト会議の前日は自由の身分で、ドラフト外の選手として入団契約可能」と解釈し、ドラフト外入団という形で契約締結を決行したが、これは無効とされ、それに反発した巨人はドラフトをボイコット。ドラフトで競合の末、阪神が正式に江川の交渉権を獲得した。その後、一旦阪神と契約を交わし、その日のうちにトレードを発表。

そのトレード相手となったのが、当時巨人投手陣の主軸のひとりであった細身のサイドスロー・小林繁。キャンプのために宮崎行きの飛行機に乗ろうとしていた小林は、そこで球団関係者からトレードを聞かされる。そして世紀のトレードが行われ、江川は巨人、小林は阪神のユニフォームを着ることになる。「請われて阪神に行くのだから、同情はされたくない」と言った小林は一躍「悲劇のヒーロー」となり、その年の対巨人戦8勝負けなし、22勝で最多勝、沢村賞獲得と結果を出して男の矜持を見せたのである。それから年月は流れ・・・。




北陸かけら紀行が予定していたページ数をはるかに超える事態となってしまったため、こんな時期になってアップしていますが、あくまでも2016年6月に開催された日本木青連の全国会員福井大会前後の話です。では、福井県あわら市の駅前でご当地が舞台の競技かるた漫画『ちはやふる』と思わぬ出会いをした後、忙しい中駅までお出迎えにきてもらった圓道忠雄君の車で一路『エンドウ建材』へ移動。以前には弊社にまで来てもらったこともあって、いつかお店にお邪魔させていただかねばと思っていてようやく念願叶いました。

そもそもは普通の建材店だったそうですが、前代亡き後、事業継承した圓道君が一念発起、建材店のルーティンを打ち破り、全国のこだわりある製材所を訪ね歩き、自分が納得した無垢の内装材を直接施主に見せて販売していくための無垢材のショールーム『えんぎや』をオープンさせたのはもう数年前の話。私と圓道君との出会いはそれから遡ること更に数年前。【森のかけら】がご縁となって福井と愛媛が繋がりました。事務所には、『森のかけら36、100』と並んでシリアルナンバー入りの『プレミア36』が鎮座ましましてございます!

オフィスの床面、壁面には所狭しと、圓道君お薦めの無垢のフローリングが、無塗装とオイル塗装の2バージョンで整然と展示されています。圓道君自体は2代目ですが、こういう無垢路線に方向転換したのは圓道君のハンドリングです。それまで各地の製材所とのルートや付き合いもなかった中でここまで種類を揃えるにあたってはかなりの苦労もあったはず。弊社でも20数年前に同じような舵取りをしてこちらの路線に切り換えましたが、まだそういう流れが出来てなくて東奔西走したのを懐かしく思い出します。

その当時に比べると、全国各地の無垢のフローリングを集めるについても随分と理解が進んだとは思うものの、過去の蓄積が無い中でのスタートだったので、誰が作ったどの商品を選ぶかについては相当に頭を悩まされたことと思います。最近では地元のメディアでも取り上げられ、遠方からもお客さんが来られるようになったとかで、早くも撒いた種の刈り取りが出来ているようで、それはひとえに圓道君の地道で熱心な取り組みによるものだと思います。近隣で同じ路線の店が無いということも追い風になったようです。

こういうショールームってお金さえかければ出来るものですが、大切なのはその器の中で誰が何を語るかということ。とかく器さえ完成すれば、勝手にお客さんがやって来ると勘違いする人が多いのですが、そんな打ち出の小槌があるわけなくて、中身が伴わなければ器が泣くというもの。なまじ器が立派であれば、お客さんを憤慨させかねません。最近弊社では、ショールームスペースがドンドン木のおもちゃに占領されつつあるのですが、まだ木の香残るえんぎやショールームで、出来立ての頃の弊社のショールームの姿を懐かしく思い出しました。




新たに動き始めた『新・おとなの部活動』、古株のメンバー(無茶々園Sa-Rahスギウラ工房大五木材)に加えて、新入生としてかなり強烈な個性を放つ6社が参画(ジャムの朗 -Rou-・和田美砂さん、三津の田中戸・田中夫妻、 道後のBRIDGE大塚加奈子さん、四国中央市のまなべ商店真鍋久美さん、西条市丹原のひなのや玉井大蔵さん、今治市大三島町の海sora&花結び林 豊さん)。いずれもそれぞれの業界では名の知れたアウトロー達!

 

 

 

もともとのメンバーも明浜町、大洲市、砥部町、松山市と広域だったのですが、今回更にその幅は広がりました。メンバーの複数と面識のある方であれば、この面子がいかに濃い顔ぶれであるかが分かっていただけると思います。地域だけでなく職域も大幅に広がったことで、出来る可能性も飛躍的に広がったのですが、それは何だか怖いぐらい・・・。また作り手だけでなく、広め手(売り手)が加わった事で、更に面白い(突拍子も無い)化学反応が起きてしまいそうな予感すらします。

 

 

 

今後は、『えひめのあるくらし』を軸に活動していくこととなります。専属デザイナー・リアル白石さんこと井上真季さんにおんぶに抱っこで、新たなメンバーを加えたコラボ商品等のカタログ撮影の打ち合わせ等の会議がありました。その席で、それぞれのが自社の逸品を持ち寄り、具体的なコラボの形を探ったのですが、その中で林さんが持って来られたのは、漂白処理をしていない純度100%の蜜蝋!林さんのところでは、養蜂もされていてご自分で蜜蝋も制作されていらっしゃいます。

 

 

 

みかん栽培やワインなども手掛けられていて、以前にもお誘いいただいたのですが、都合がつかず残念ながらいまだその現場を実際には拝見できておりません。その事を強く悔いる気持ちにさせてのがこの蜜蝋。弊社ではフローリングや家具の仕上げに蜜蝋ワックスを使っていますが、それは漂白処理をして精製した白い蜜蝋。未精製の黄色いものを直接触ったのはこれが初めてです。精製した黄色の未晒し蜜蝋と、精製した晒し蜜蝋、それぞれに特徴があるので使い分けでいいと思います。




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