森のかけら | 大五木材


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20111121 1この世に続編を作ってはいけない映画というものがあるとしたら、『猿の惑星』こそがそういう作品であったはずなのですが、その禁はあっさりと2年後に破られる事になります。それから続々とシリーズ化されました。この『新・猿の惑星』は第三作にあたるのですが、『新』と『続』ではどちらが先に使う使うべき言葉なのかと悩んだりもしました。その場面設定の奇抜さとシュール感で大ヒットし、その勢いで作られた作品群以外にもう二度と映画化されることは無いと思っていました。同じスタッフ達の手による続編とリメイクとは似て非なるもの。その意味合いはまったく異なります。しかし、シリーズ最後となるの文字通り『最後の猿の惑星』から28年後、ティム・バートンは神話に手を加えてしまうのです。それを悪夢と呼ぶ映画ファンもいますが、続編というより新解釈というリメイクをなぜ作る必要があったのか・・・正直疑問に思いました。

 

20111121 2そしてそれからさらに10年。再び『猿の惑星』が世に問われる時が来ました。サブタイトルには『創世記』の言葉が。そう、何故地球が猿の惑星になってしまったかを紐解く前章という設定。そもそも第一作から続編の設定があったわけではないので、続編になればなるほどその設定は複雑で自己矛盾を帯びたものになっていきます。タイムトラベルを舞台とする映画の宿命なのですが、つながりや解釈に追われて行く事になります。さて、その創生記やいかに!?まだ公開されて日も浅いので未見の方も多いでしょうから、いつものように核心には触れませんが、神話の前章としては相当に時代考証、神話の舞台考証に神経を使っていたのではないでしょうか。何よりも、『猿の惑星』のオリジナルに対するリスペクト感が映像から滲み出ていたように感じられました。それはただ単にディティールにオリジナルのオマージュを配置したという事だけでなく。

 

20111121 3原作のフランス人ピエール・ブールの小説は、兵役経験のある彼がインドシナで日本軍の捕虜となった屈辱の経験をベースにしているというのは有名な話で、立場が逆転する恐怖が傑作小説を生んだのです。しかし日本人としては「猿」に揶揄されて複雑な心境です。小柄で手先の器用な黄色人は、理解不能のモンキーに映ったのでしょう。理解が出来ないモノに「ノン!」というのは簡単ですが、それでは人間の幅が広がらないという事。仕事にも合相通ずるものがあります。

 

20111121 4さて、この『創世記』では、ひとつの木が重要な役割を持って登場します。映画の舞台はサンフランシスコですが、高度の知性を持った子ザル・シーザーの育ての親であるロッドマン(ジェイムズ・フランコ)と恋人は、成長し家の中ではその体力を持て余すようになったたシーザーを森に連れて行きます。そこには、世界最大の巨木『セコイア』が天に届けとばかり一直線に聳(そび)えています。その巨躯を見た瞬間、シーザーの本能は覚醒され、一気に巨木の梢まで駆け登ります。

 

20111121 5映画では詳しい説明はありませんでしたが(参考資料にパンフレットを買おうか迷ったのですが、最近のパンフレットは異常に内容がお粗末なので、迷いに迷って諦めてしまいました)、舞台がサンフランシスコと言う事でしたので、梢からゴールデン・ゲート・ブリッジが望めるという設定から、『コーストレッドウッド沿岸レッドウッド)』の別名を持つ『カリフォルニア・レッドウッド』と判断しました。この木のもうひとつの呼称(こちらの方がメジャーですが)である『セコイア』の名を持つ木は、2つ存在します。更に明日へ・・・




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