森のかけら | 大五木材


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20120218 1昨日に続いてシーボルトの話ですが、本日はわが愛媛との関わりについて。禁令の日本地図(かの伊能忠敬作)」などを国外に持ち出そうとした罪でお咎めを受けた「シーボルト事件」では、シーボルトだけではなく、鳴滝塾(シーボルトが長崎郊外に設けた木造2階建ての診療所も兼ねた私塾。)の門下生たちも連座で罰っせられました。塾生の中に、愛媛県八幡浜出身の「二宮敬作」がいました。将来を嘱望されていた彼も幕府批判の罪で、投獄される処罰されます。

 

20120218  2長崎を追われ、現愛媛県西予市宇和町に帰郷する事になります。その後宇和島藩主伊達宗城の命により宇和島藩医となり、その真摯で献身的な取り組みは地元の人々からも厚く慕われたようです。その当時に、幕府を批判した蘭学者・高野長英や大村益次郎などとの交流もあったとか。シーボルトから、娘・イネの養育を託されていた敬作は、14歳になったイネを宇和町に呼び寄せ、ここでオランダ語や西洋医学を教えます。そして彼女は日本最初に女医になるのです。

 

20120218 3そのイネは生涯独身を貫きますが、彼女は未婚のまま私生児・タダを出産します。「天がただで授けたもの」という意味をこめてタダと名付けられますが、後年宇和島藩主伊達宗城により改名を指示され「高子」と名乗るようになります。その高子と愛媛にまつわるエピソードもあるようで、これは近年になって語られている話ですが・・・「銀河鉄道999」などで有名な漫画家の松本零士さんが述懐されています。理想の女性としてメーテルスターシアなど、切れ長の目で顎の細い共通の女性を描き続けたが、自分でもはっきりとは分からなかったそうですが、高子の写真を見て「この女性だ」と思い当たったそうです。少年時代に大洲市に疎開していた頃、家に伝わる古い写真やいい伝えの中で、子供心に高子の写真が脳裏に刻まれていて、その少年の記憶の残像がメーテルやスターシアの姿を描かせたのではと語られています。

 

20120218 4家にシーボルトは、敬作が九州の高山から採取したミズキの一種の高山植物に「ケイサキイアワモチ」の名を付けていますが、それほど厚い信頼を受けていた証でもあります。そのシーボルトは、日本追放から実に30年後に再来日を果たし、滝、イネと感動の再会を果たします。敬作はその後も医学の発展に尽力し、最期は皮肉にもシーボルトが初めて日本の地を踏んだ長崎の地で病に倒れる事になります。敬作の生まれ故郷・八幡浜市には彼の功績を偲ぶ銅像が建てられています(二宮敬作記念公園)。

 

20120218 5シーボルトの誕生日がきっかけで、激動の幕末に活躍した愛媛の偉人の事を改めて思い浮かべましたが、日本を愛したシーボルトが遺した足跡は他にも沢山あります。シーボルトが江戸時代に日本から持ち帰った数々の植物の子孫が、敬作の生誕200年を記念して、ドイツのシーボルト協会から贈られました。「こくさぎ」、「あけび」、「つた」の三種で、それらは『シーボルトチルドレン』と呼ばれているそうです。以前にもご紹介した『栂(ツガ)』の学名『ツガ・シーボルディー(Tsuga sieboldii)』は、シーボルトを讃えての事。その栂の木を利用して作られているのが、こちらの『土佐栂フローリング』。

 




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