森のかけら | 大五木材


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20150430 1伊予の扶桑木伝説について。伊予市でこの木の事がいつ認識されたのか詳しい資料などがなく不明なのですが、当時の展示会には地元の方が伝承を基に描かれた紙芝居があって実に興味深い内容でした。撮影できなかったので、多少記憶違いがあるかもしれませんが大まかなストーリーとしては・・・昔々地元には天に向かってそびえる1本の巨木が生えていて、その高さは日本一の富士山すら凌駕するほどで、その高さゆえに巨木より西の国の人は朝日を、東の人は夕陽を見る事がなかったそうです。

 

20150430 2ご神木として地元の人々から崇められていたのですが、日陰のために陽があたらず農作物が育たず仕方なく斬り倒すことになりました。しかしあまりの大きさゆえに、1日中斧を振るってもわずかしか切込みが入れられず、その切り口も翌日には塞がり元に戻ってしまいます。そこで根本から焼いてしまえと火をつけるのですがそれでも簡単には焼けません。なかなか焼けないのはご神木の怒りだと、住民たちが怒りを鎮めようとしたその時に大きないかずち(雷)が巨木に落ちて倒れるのです。

 

20150430 3倒れた梢は海を越えて大分県にまで届いたので、その木の上を歩いて大分まで行く事が出来たのだそうです。大体こういう内容だったと思います。どんだけでかいんやねん!と突っ込みのひとつも入れたくなるような大仰な表現ですが、それほどに大きなメタセコイアの巨木の記憶が伝承として語り継がれてきたのだと思います。県外の方には実際の距離感が分かりにくいと思うのですが、愛媛の最西端の佐田岬と大分の関崎の間の豊予海峡の幅はおよそ14キロ。つまり巨木の高さはおよそ14キロ

 

20150430 4伊予市の伝承だけでなく、江戸時代中期の儒学者である中井竹山も 『本邦の西国に「扶桑木(ふそうぼく)」と呼ばれる大木があり、遠く外国の船もこの扶桑木の事をよく知っていて、航海の目印としたことから、日本の事をがはるかにこの「扶桑国」と言った』という話を書き遺していまう。また、中国のある字説に、太陽が木の下にあるのを「杳(ヨウ、くらい)」、木中に昇るのを「東」、木の上にあるのを「杲(コウ、あかるい)」とし、そこで言われる木こそは「扶桑木」であるとしています。

 

20150430 5巨木の足元に見える米粒が人間の姿。名前の桁外れの巨木(方や海をも越える巨樹、方や富士山よりも高い巨樹)、という共通項から考えるとこの中井竹山の記した木こそが伊予市の扶桑木伝説なのではと思ったりもするのです。信仰や自然への畏怖などからかなり盛られた話となっているものの、火の気の無いところには煙は立たずと言いますから、西国には破格の大きさの何らかの巨木が実在したのだと思います。愛媛に残るメタセコイアの超巨木伝説、今後も調べていきたいと思います。




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