森のかけら | 大五木材


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20160119 1それから月日が流れ、間を持て余す(!)ご祈祷の際に何気に見上げた扁額に懐かしい言葉と再会。記憶の言葉と重ねてみると、どうしても「非ず」という言葉に該当する言葉が見当たらず疑問が残りつつも、ご祈祷の後に行われる宴で忘れ去られることになっていました。それがある年、その後に仕事が入っていてお酒を飲まない時があって、いつもの疑問を忘れないまま帰宅して調べて分かったのですが、あれは意図的に漱石が主人公にそのように読ませた解釈だと分かったのです。

 

20160119 2つまり友人の妻に手を出すという人の道にも劣る行為を自ら正当化させるために、誠の道というものは天にあるのかもしれないが、それはあくまでも綺麗ごとの理想論で、人を好きになるというのは理屈ではないのだ、ということから「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」と読ませたのだという事。好いた惚れたの道は天の神様の理屈では理解できない、俗世間の人の道でござい、とでも言いたかったのでしょう。ただの詭弁であり、あまりにも身勝手な自己弁護でしかなかったのです。

 

20160119 3それが分かってからDVDでこの映画を観直すと、まあ相当に自己陶酔した軟弱で刹那的な主人公の不倫正当化映画であった事に気づかされました。若い頃は、ところどころに意味ありげにインサートされる謎のカットの映像イメージや、松田優作、小林薫、中村嘉葎雄、風間杜夫、草笛光子、笠智衆などの芸達者な役者の演技合戦、そして奇跡的な美しさを放っていた藤谷美和子の美貌などに目を奪われて、よく分かっていませんでした。なにより不倫がどれほど獣の道であるかなども理解できず・・・

 

20160119 4気ままな生活を送る主人公・代助たちの事を、『高等遊民』と呼んでいたことから、そんな生き方に憧れを抱くほどに子供でもありました。それ以来、誠の道というものは天の道であって人の道ではないという言葉にどう正当性を持たせて、神社に飾られるほどに奥深いものであるのか、理屈だてるのに長らく時間を費やしました。そので自分なりに考えた結論は、人殺しや諍いの絶えない人の世に誠は無く、誠の道は天にしかない。ゆえに天を目指せと理解せていたので、まんざら間違いでもなかったかと。

 




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