森のかけら | 大五木材


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20160228 1もう数年前に出版された本なので、今更ネタバレ云々の話ではないと思いますし、いまやテレビやネットでも紹介されているので、明智光秀の子孫が唱える新説の中身をご紹介しても大丈夫かと思います。既にご存知の方も多いと思うので今更な話かもしれませんが、ここまで引っ張っておいて核心に触れないのもどうかなと思うので、簡単にご紹介します。まず世間一般で定説とされている本能寺の変とは、光秀が信長の厳しい仕打ちを恨んで、本能寺で信長を暗殺したという単独犯行説

 

20160228 4しかしそれだと、光秀が信長を討たなければならない決定的な理由と、なぜその日本能寺の警備が極端に手薄だったのかの部分の説明が弱く、それこそ著者の言う「先に答えありきの後付けの理由」で構築された説で、光秀の動機をどう説明するのかが肝でした。ところが、信憑性のある史料を丹念に紐解き「本能寺の変431年目の真実」が導き出した結論は、まったく違っていました。ひと言では説明できないので、ある程度人物関係やその繋がりが分かっていないと理解しにくいかもしれません。

 

20160228 2ここから先は明智氏の説。信長は徐々に力をつけてきた家康を非常に危険視していて、本能寺に家康をおびき寄せて暗殺する計画をかなり前から練っていて、本能寺の変の3カ月前に武田攻めの帰りに、家康領を軍事視察したあたりから伏線が張られ、家康一行をそのお返しとして京都に呼び寄せます。堺での遊覧をおえて信長に会うため京都・本能寺へ。そこで光秀が家康を討つという計画。そのことを家康に悟らせないために最小限の手勢でその時を待つ信長。しかい既に謀反は起きていた。

 

20160228 3土岐家の流れをくむ明智家にとっての悲願である土岐家復興に大きな障害となったのは信長の果て無き野望。信長の中国大陸への侵攻(光秀も大陸へ派遣されるのを恐れ)、親交のある長曾我部への侵攻など。利害が一致する家康、更には次の天下を狙う秀吉とも裏で繋がり、知らぬは信長独りというお膳立てが出来上がっており、突然反旗を翻して光秀が謀反を行ったというのではなく、信長憎しと思う政敵達によって綿密に練られた「家康討ちと見せかけた信長討ち」であったというもの




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