森のかけら | 大五木材


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昨日、腐植土の話を書きましたが、海にとっては恋人のような存在の腐植土ですが、住宅建築にとっては非常に厄介者!地下にこの腐植土があると、地盤改良などを行う必要があります。腐植土は植物の繊維分などを多く含んでいるため、スポンジのように軟弱な土なので、隙間が大きくて、地盤沈下を引き起こす危険があるのです。家づくりには土づくりは重要な問題。その家を成す木材は、北海道から鰊を上方に運んだ北前船に乗せて往来され、豪勢な鰊御殿が建てられたのです。

 

 

以前に『能登ヒバ』について書いた際に、青森から能登の地に青森ヒバの苗木を運んで植林したのが、能登ヒバの起源だとご紹介しました(現在では、元々石川県に天然のヒバが自生していたという研究もあるようですが)が、北前船は能登ヒバ以外にも多くのモノを運び広めました。水揚げされた鰊は生のままでは日持ちしないため、内臓や頭を取り除いた『身欠き鰊』として全国に運ばれました。また鰊を原料に作られた鰊粕は、桑や綿花の肥料としてとても重宝されたそうです。

 

 

 

ひと網で御殿が建つ』とまで謳われた鰊の豊漁は、地域経済にも大きく貢献し、有力な網本はひと財産を成して競い合うように豪奢な家を建てあいました。中でも有名なのは、北海道札幌市の『にしん御殿小樽貴賓館』で知られる旧青山別邸。明治・大正期に鰊漁で巨万の富を築いた大網元の青山家が2世代にわたって建てた5000㎡(およそ1500坪)にも及ぶ別荘は、国の登録有形文化財の指定も受けています。現在では到底揃えることの出来ないような材料の数々。

 

 

 

まだ直接行ったことはないので、北海道に行く機会あらば是非行ってみたいと思っています。当時の価値で、新宿の有名デパートの建築費が50万円だった時代に、実に31万の巨費を投じて建てられた私邸ですからその豪奢ぶりが分かろうというもの。これらの巨木や銘木も北前船に乗せられて全国各地から集められたのではないでしょうか。実物を見ないまでも、まあ今ではとても揃えられない貴重な材、規格外のサイズであることは分かります。

 

 

 

森が海が育てる話を書きましたが、森からの栄養が鰊の大群を招くのに貢献したのだとしたら、獲れた鰊は網本たちに巨万の冨をもたらし、彼らが豪邸を建てるために山から立派な材が切り出され家や家具として利用される。海のめぐみが巡り巡って山側にももたらされ経済の循環を作り出しているわけです。しかし、こういう僥倖(ぎょうこう)でもなければ、このような銘木や巨木は必要とされないわけで、『鰊の大群再び!』を願っているのは漁師ばかりではないという話。




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