森のかけら | 大五木材


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域の材の事を考える場合、どうしても川上から川下までの流れを地域内で完結させてしまいがちですが、他地域の事の方がより冷静に見ることが出来るし、足りないものを補い合えばより流れはスムーズにスピーディになることも多々あります。海外から国内まで、針葉樹から広葉樹まで多岐な材を取り扱っているからこそ見えてくるものもあるし、今回の江差の群来のニュースとて木の事と関連付けて考えることもできます。最近やたら魚とご縁があるのですが、農林水産業なんで根っこは同じところなので当然の事かと納得。

5月頃になると沿岸に魚群が押し寄せることから、北海道では春を告げる魚という意味で『春告魚』とも呼ばれるニシン(鰊)ですが、それは季節的なものだけでなく、漁民にとっては経済的にも春をもたらすものでした。その「春」が実に100年以上もの間遠ざかっていてわけですから、今回の群来は江差の方にとって感激ひとしおだったのではないでしょうか。しかし考えてみれば最後の群来から104年が経過しているわけですから、当時を知る人はもう誰もいないわけで、まさに歴史的な事件。

江差をはじめ北海道の漁民の方々はこの「春」をただ漫然と待ったわけではなく、稚魚放流などの継続的な活動が実ったということです。植林から伐採、そしてその後の製材、乾燥、加工まで含めると、ひと世代では結実しない長期戦の林業に比べると、稚魚の放流から考えても成果が出るまでのスパンが短いと考えられる漁業で、100年というのは恐ろしく長い時間であり、その成長が日々目で確認できる樹に対して、見えない水面下の魚が相手という事を考えれば、それは絶望的に長くゴールの見えない日々だったのではないでしょうか。

改めて100年という時間を考えたとき、何気なく手にする米松の桁とて目込みのものであれば、それに匹敵するぐらいの時間が凝縮されています。積み重ねられた時間は、日本の木だろうがアメリカの木だろうがアフリカの木だろうが同じです。普段から自分より「はるか高齢な先輩方」ばかりを相手にしていると、ついつい100年生なんて軽口を叩いてしまいがちになるのですが、100年ぶりのニシンの群来の話を聞いて、身近な100年選手たちのことももっと深く考えようと思いました。

プレカットなどの浸透で木材業界もすっかり工業製品化が進み、プラスマイナス数ミリの精度ばかりが幅を利かすようになって、かつての木目や風合い、木味、艶などといった情緒的な表現を使う場面がすっかり少なくなってきました。そういう時代だからこそ、木を語り継ぐ事に意味もあります。いつかまたやって来ると思い続けて104年後に実った執念。もう二度と来ないのではとの疑心暗鬼との戦いであったと思います。情緒的に木が語られる時代がまた再び来るその日まで信じて種を撒き続けていきます。




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