森のかけら | 大五木材


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四国電力さんの広報誌『ライト&ライフ』から転じて、宮崎の『霧島アカマツ』の話の続きです。若い頃、木材の地域名に対して深く考えたりしていなかったので、言われるがままに記号としてインプットしていたので、その名前の背景や由来に関心もありませんでした。なので宮崎から入ってくるマツは『霧島アカマツ』というのだと漠然と考えていました。後年になってその宮崎の銘木屋さんの所に行くことになって、初めてその名前の由来とかを聞いて、初めてそういう事だったのかと気がつきました。

銘木屋さんが扱っていたため必然と目の込んだ高齢木で木目の面白いモノが多かったため、霧島アカマツって質のいいものがあるなあと思っていたら、その銘木屋さんによると、もともとは霧島連山周辺の山から産出されるアカマツの中でも特に良質で樹齢が200年ぐらい経たようなモノを『霧島アカマツ』と称して銘木扱いしていたものだったそうです。そこまでの品質ではないモノは、日向松として分類されていたらしいのですが、商圏が広がるにつれその区別が曖昧になっていったという事のようでした。

まあ木の世界ではよくある話で、もともと口伝で語り継がれる世界なので、遠くに行けば行くほど話に尾ひれ背ひれがついたり、話が盛られたり、混乱するもの。その話自体もどこまでがどうなのかはっきりとは分かりませんが、そういった分類のようです。そう聞いてから在庫の『霧島アカマツ』を見直して見れば、確かに銘木と思わせる雅趣に溢れた杢のモノも多いのですが、中にはとても銘木とは呼べないような目の粗いモノも混ざっていたり。そういえば、銘木屋さんも「霧島の松」と言ってたような(笑)

さて、今NHKの大河ドラマ『西郷どん』は佳境を迎えておりますが、その薩摩藩士たちが宝暦治水工事の際に地元から苗を持ってきて、油島締切提(岐阜県)に植えたのが『千本松原の日向松』。徳川家重の時代、力を持っていた島津藩の勢力を削ぐために、大洪水で被害の出た堤防工事を島津藩に普請させます。当時40万両とも言われた巨額の資金をさせられた薩摩藩の藩政は逼迫し、堤に植える松の苗を購入する資金にも事欠き、仕方なく地元から持ってこようと片道25日をかけて薩摩に戻ることとなったのです。

長い船旅を終えてようやく日向まで戻ってきた一向は、島津藩とは親戚筋に当たる佐土原藩の国家老の屋敷に泊めてもらうことになります。事情を知った佐土原藩家老は事情を知ると家来たちに命じて日向に自生していた苗を採取させて船で届けたのです。届いた日向松の苗を薩摩藩士たちは泣きながら植林しました。その後、日向松は立派に成長し、『千本松原』として美しい景観を作り出しているのです。その一方で治水史上最大ともいわれた宝暦の治水工事は困難を極め、巨額の資金を費やし、多くの犠牲を出したことから、指揮を執った薩摩藩家老・平田靱負は自刃するのです。

平田靱負(ひらたゆきえ)は、次のような辞世の句を残しています。「住みなれし里も今更名残にて立ちぞわづらふ美濃の大牧」。その無念いかばかりであったか・・・。男気溢れる薩摩藩士たちの奮闘と生き様を描いた『薩摩義士伝』(平田広史著)は涙なしには読めません。近年多発する自然災害によりインフラが大きな被害を受けていますが、その陰で全力を尽くして復旧に励んでいただいているのが四国電力さん。『ライト&ライフ』の取材から大きく迂回しましたが、ここにきて奇跡的に話が繋がりました。これぞ『力技と引き寄せのかけらの法則』!(笑)




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