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| 映画『猿の惑星』は、ヒトとの最終決戦を経て、次第に文字通り猿の惑星化していくわけですが、今日は映画そのものとは別の視点で考えてみます。木にとってはヒトとサルいずれが支配する世界がいいのか?リブートシリーズでは、製薬企業の中で生まれた幼猿シーザーは、連れて行ってもらったサンフランシスコのミュアウッズ国定公園の中のセコイアの巨木の枝から枝へ飛び移りながら、猿としての本能に目覚めていきます。その時、木々の隙間から見えた金門橋は後に悲劇の舞台となるのですが・・・ |
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セコイアの森はやがてシーザーたち覚醒したサルの「ホーム」となります。その後サルたちは山の奥へと移動してそこに大集団が住む砦を築きます。覚醒したとはいえまだまだ複雑な作業ができないため、使える素材は主に木。丸太を伐って(折って?)並べたり組んだりして寝床や武器を作っています。見ようによっては、アパッチ砦のようでもあり、巨大動物園の屋外展示施設のようにも見えますが結構な迫力。しかし悲しいかな防火設備を備えないその砦は、大火で焼失してしまいます。 |
| 砦を追われてもサルたちには地形を生かし、木を使うしかないのです。鋸を持たないサルたちがいくら木を使おうともその量は微々たるもの。やがてサルたちは高い知性を備えるようになると、木だけでなく石も使うようになります。オリジナルの1作ではサルは石造りの家に住んでいました。知能の発達に合わせて、木の利用も飛躍的に進むと思われますが、映画を見る限りでは大量の森林破壊が行われた様子はありませんし、必要以上に自分たちのホームを破壊する理由も見当たりません。 |
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サルたちが支配する世界では当たり前のようにサルと木々の共存が出来ているように思われます。恐らくその世界では、世界一の巨木・ジャイアントセコイアのような大木が森を覆いつくして、原始の森のような光景が広がっていることでしょう。しかしいずれサルも進化し、鋸を作り広葉樹を縦に割る技術を身に着け、木をただの素材と見なし、巨木への畏怖を忘れた時、ヒトと同じような道を歩むのかもしれません。リブートシリーズの中に1編ぐらい、巨大化した原始の森を舞台にした『巨木の惑星』も観てみたい。 |
| あれ以来、猿の惑星は私にとって特別な映画でした。なので新作の猿の惑星を観るたびに一抹の不安がよぎるのです。オリジナルの名を汚すような真似だけはやめてほしいと。リブートシリーズにはいずれもオリジナルへの敬意が感じられ、どれもとても好きですが、中でも本作は、息子が殺され仲間たちと復讐の旅に出るという、まるで西部劇のような設定になっていて、サルがいよいよ人間的な感情を抱くようになる一方で、言葉を失った人間はヒトへと退化していくというシニカルな設定で考えさせられました。 |
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これと同じような設定の映画を観たことがあると思っていたら、そうあのレオナルド・ディカプリオが西部開拓時代の実在の罠猟師ヒュー・グラスに扮して、殺された愛息の復讐を果たす『レヴェナント: 蘇えりし者』とよく似ている。そう考えると、サルVS人間との争いも、白人VS先住民インディアンとの争いの構図にも透けて見える。先の戦争で日本軍に捕虜にされた経験を持つピエール・ブール(オリジナル版の原作者)が、日本軍をサルのモチーフにしたと言っていますが、時を経て立場が逆転。 |
| オリジナルの前日譚ということなので、ややこしいですがオリジナルでは人間を虐げ奴隷化させていたサルたちをC・ヘストン視点で被害者として描写していたものが、リブートシリーズでは人間に立ち向かい、サルの王国を守るべく戦う視点へと移行しています。サルは本当は誰と戦い、サルたちとは誰のことなのか?!白人至上主義で最後にはカタストロフィを得ていたハリウッド映画にも随分幅が出てきたと感じます。一方で能天気なアメコミが人気なのもアメリカ映画の振り幅。 |
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『猿の惑星:創世記』は、まだ小学生だった息子と一緒に映画館で観ましたが、かなりの衝撃だったらしく、息子にとってベスト1の映画になったようです。その後、『新世紀』も一緒に観て続編も楽しみにしていたのですが、『聖戦記』は部活が忙しくて一緒に観に行けませんでした。結果的には一緒に観なくてよかったです。それまで常に冷静に行動していたシーザーが、愛する息子を殺されたことで、感情を抑えられず復讐の旅に向かうのでうが、これはさすがに親子で観るには辛すぎる。 |
| もはやサルはただのサルではなく、ヒトもただのヒトではないという哲学的な思想の中に足を踏み入れていて、テーマ自体がかなり深刻になりつつあります。気が付けばシーザー達サルたちを応援している自分がいて、冷静に見れば複雑な気分。前2作では、サルと人間が何とか共存できないかと奮闘する人間がいましたが、今回はそういう立場の人間が不在でひたすら両者が争います。それまで独りの人間にそんな力あるのかと猜疑心に満ちた目で見ていたものの、正義のリーダーの存在はやはり不可欠! |
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| 遅ればせながら、すっかり時期遅れになって今頃のこのことアップですが、むしろ今だからこそ結末も気にせずに感想が言えるので、今日は久し振りに映画の話。俎上に乗せるのは、『猿の惑星:聖戦記(グレートウォー)』。2011年から始まったリブートシリーズ(同じ原作を元に、以前に作られた映画を全く違う視点で作りなおしたもの)の『創世記』、『新世紀』に続く第三弾。1968年に作られ、シリーズ化されたオリジナル版の前日譚としての位置づけで、進化した猿と人間の本格的な争いが描かれます。 |
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リブートシリーズとしての最終章となるとの事で、なぜ人間が猿に支配されるようになったかの重要な理由が明かされます。オリジナル版では、サルに支配された人間は言葉が喋れないという設定でしたが、本作の中で言葉が離せなくなるという病気が蔓延していく様子が描かれています。どうしてもオリジナル版に繋げなければならないという制約がある中で、よく出来た脚本だった思います。ディティールを突けばいろいろアラはあるものの、私は大筋で映画を観るタイプなのであまり気にならず。 |
| そんな私ですが、登場人物の名前などには敏感で、オリジナル版で登場する口のきけない白人の美女・ノバや、人間に理解を示す生物学者・コーネリアス(涙もの)などの名前が出てくるため、これはオリジナルに繋がる重要なキーワードかなにかと混乱しましたが、冷静に時代設定を考えれば前作とは2000年ほどのタイムラグがあるので、これは単なるオリジナルへのオマージュのようでした。なので、とりあえあずリブートシリーズの三部作は完結したものの、新たなシリーズが作られる可能性もありそうです。 |
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今ではすっかり無かったことにされてしまっているティム・バートン監督の『PLANET OF THE APES/猿の惑星』も含めて、記録的な大ヒットとなりすっかり再生した猿の惑星シリーズですが、それが嬉しくもあり複雑な気持ち。というのも、今までこのブログに何度も登場させてきましたが、オリジナルの猿の惑星こそが、少年時代の私にSF映画の素晴らしさ、怖さ、面白さを教えてくれた記念すべき映画だからです。未知の星に不時着したC・ヘストンらの前に草原の向こうから現れる馬に乗ったサルを見た時の衝撃! |
| 本日も妄想の公務員・藤田雅彦邸のウッドデッキで遊ばせていただきます。カメラを向ければ何かせずにはいられないというのもこの病の症状のひとつです。その日、撮影に来ることを知っていた藤田さんは当然いろいろな仕込みをしていました(頼まれてもいないのに)。さり気なく出来立てのウッドデッキの上で日曜日に本を読んでいる体の絵が欲しいと言えば、小道具まで自ら積極的に家の中から持ち出してきてすぐに応えてくれるのはもはや達人の域!背後の壁もこの後ブチ抜かれることになります・・・ |
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達人はディテールにも手を抜きません。まあ、これが手抜きではないのかどうかは個人的な感覚ですが、私としては藤田さんの「本気度」がビシビシと伝わってきました。ある休日のウッドデッキでくつろぐ主人が目を落としているのは、お洒落なファッション雑誌?村上春樹の最新刊?いえいえとんでもありません。我らがバイブル、白戸三平先生の『忍者武芸帳』の愛蔵版!恐らく『カムイ伝』にするかこちらにするかについては、私たちの見えないところで大葛藤があったに違いないのです。嗚呼・・・ |
| 敢えて話を脱線させますが、今さら説明の必要もないと思いつつも、最近の若い方はご存知無い人もいらっしゃって、それだとこのネタが十分に楽しめないと思われるので軽く説明しますと、大名や武家たち支配者層と対立する被支配者層である農民や地侍たちとの間で起こる一揆などの陰で暗躍する忍者の悲哀などを描いた壮大な歴史群像劇であり、歴史にその名を刻む名著なのです。シュールな白戸先生の劇画のタッチは当時はかなり衝撃的でした。 |
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ここでもあまりにに無慈悲で不条理な運命に翻弄される農民たちの姿が描かれるのですが、さらにそれは『カムイ伝』、『カムイ外伝』によって、「生きるとは何か、ひととは何か」という根源的なテーマとして世に問われることになります。ちなみに『忍者武芸帳』が描かれたのは私が生まれる前の1959年、『カムイ伝』は1964年からかの『月刊漫画ガロ』に連載されていました。当然私はリアルタイムで読んだのではなく、後年コミックになったものを読んだのです。完成度、衝撃度でいえば『カムイ伝』なのですが、『忍者武芸帳』はかの大島渚がATGで静止画によるモンタージュという野心溢れる実験的映画にしたということで映画史にも刻まれる伝説となったのです。 |
| お分かりいただけたでしょうか?なぜ藤田さんが、爽やかな休日のウッドデッキにはあまりにも血生臭い『忍者武芸帳』という漫画を持ち出してきたのか。私を喜ばせるため?そうではありません。大名や武家たち権力者から理不尽な扱いを受けて、命を賭けた一揆でしか意思を示せない農民の義憤や怒り、影として生きていくしかない忍びの悲哀などが『忍者武芸帳』のテーマなのです。それをこんな健康的なシーンに持ち出して読むということは、つまりこれは藤田さんによる「声なき声」!自らも筆を持って作品を描くアーティストでありながら、その特殊能力いう刀を鞘に納めて活かすことのできぬ己の環境とその不条理を嘆き、俺に忍者としての死に場所を与えてくれという無言のアピールにほかならないと思ってしまうのは私の妄想?! |
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| 南海放送テレビの『えひめ情熱人』に取り上げていただいたのですが、あちこちで「番組観たよ」と声をかけていただき、反響の大きさに驚いています。正直、21時54分から放送という遅い時間の5分足らずの番組で、どれだけの人が観ていただけるのかと思っていたのですが、テレビメディアの影響力の大きさを実感しました。放送が4回予定されているのと、再放送もあったりするので、予告も含めて近所や取引先、友人、知人から「テレビ出てたね」と、拙い話っぷりで本当に恐縮ですが、何らかの爪痕は残せたようです。 |
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こんな私にスポットを当てていただいた伊藤英朗ディレクターに感謝するばかりですが、木を扱う人がメディアで取り上げられる場合、林業家とか木工作家がほとんどで、その中間に位置する木材人に注目が集まることってほとんどないと思います。自分で何かを生み出すという生産的な仕事ではないのと、消費者から遠いためメディアとしてもインパクトが弱いということもありますが、自分のお客さんが工務店やハウスメーカーだと割り切っていて、一般の方に発信する気概も言葉も少ないというのが大きな原因でしょう。 |
| 私の場合も、従来の流通を担う材木屋としてではなく、そんな本業から逸脱して変わった「木のモノ屋」という立ち位置での取材だったと思っています。それは私も望んだところで、そういう方向に会社の舵取りもしてきたつもりなので、我が意を得たりという心境なのですが、逆に考えれば本来の材木屋という仕事では、こうしてメディアに取り上げられる機会も無いのではないかと思うのです。テレビやラジオに出ることだけがいいわけではありませんが、人が興味を抱くような情報を発信する力があればメディアも放ってはおかないでしょう。 |

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世間で注目されるだけが仕事の評価ではないことは勿論ですが、一般消費者に近い方向に舵をきった以上は目立つことは重要で、まずはその存在を知っていただくことが肝心。本来の材木屋という仕事だって十分に魅力的な部分はあるのに、うまく表現できていないのは材木屋の殿様商売的な体質?いや、慎み深さ?職種は違えど、さかなクンの登場で魚や漁業についてのイメージが随分変わったように、発信力のある人の存在は重要。その責を負うのはもの言わぬゆるキャラではなく、血の通った生身の人間の言葉力だと思うのです。 |