森のかけら | 大五木材


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堀江幸治君は愛媛県大洲市で仕出し料理店「ほりえ」を経営する傍ら、ミュージシャンとしても活躍するなど多彩な才能を持った人物。そんな堀江君が大五木材にやって来たのは、お店を一部改装するにあたって何か面白い木を探していて、一緒に音楽活動をしていた清家ユカリさんがうちに誘って連れてきてくれたのが最初の出会いでした。それまでまったく面識がなかったものの、二言三言話しただけで同類だということはすぐに分りました。更に倉庫の中に案内して、木を見る姿を見たときに、ああ真性のそれだと気がついたのです。

その時には確かまだ店の改装の件は、設計段階だとかで、何の木を選ぶというような状態ではなかったと思うのですが、まあ普通の人なら足も止めないであろう木に視線を送るその背中に、必ずこれはまた来てくれるとの確信を得たのです。驚くかな、その確信は次の日にやって来ました。今近くに来ているのだけど寄ってもいいですか?まだ図面もできていないはずなのにどうしたのかと思ったら、昨日見た『森のりんご』が気に入ったので購入したいとのこと。そう、彼は危険を顧みず自ら進んで底なし沼に突撃するタイプの木フェチ野郎だったのです!

そしてそれから数か月が経って、正式に図面も出来たので材料を選びに、設計士さんと大工さんを伴って再び大五木材にやって来られました。それまでに数回、木の小物などを購入していただいていたので電話やメールなどでやり取りはしていて、まともな木材など得るために大五木材に来るわけではないということは互いの共通認識となっていました。探しているのはインパクトがあって、癖が強くて、普通ならば誰もが敬遠するであろう訳アリの木。倉庫の中を隅から隅まで嘗め回すように探す堀江君と、次から次へと曲者を紹介する私。

数ある曲者の中で堀君のハートを鷲掴みにしたのは、ビーチのスポルテッド腐朽菌によって筋状の黒い染みが出来たスポルテッドは、自然が偶然作り出したネガティブな芸術作品。実はこのビーチのスポルテッドの板材、仕入れてまだ日が浅く、本音を言うと私自身が楽しみ尽くしていなかったのでまだ売りたくはなかったのですが、堀江君の惚れ込みようを見た時に、恐らく彼以上にこの木に愛情を注いでくれる人はいまいと感じ、手放す決断をしました。ついでにブルースティンのモミジバフウの板もまとめて大量にお買い上げ!収まるべきところに収まった。続く・・・




最近、南予(愛媛県の南西部)に現場が集中していて、よく南予の道をトラックで走ることが多いのですが、急いでいるとき以外は経費節減で高速ではなく一般道を使います。そしたらよく目につくのが、家々の庭先にある柿の木の熟れた艶やかな橙色。それまでひと様の庭先のの木のことなど気にしたこともありませんでしたが、意識して眺めていたら、まあそこにもここにも柿、柿、柿。田舎なんで庭が広いということもあるのでしょうが、改めて庭の柿が多いことに驚かされました。特に宇和町あたりではよく柿を見かけました。

それで気になって調べてみると、愛媛県の柿の生産量は全国的にも上位で安定していて、この10年間だと平均して全国7位あたりの柿王国でした!王国は大袈裟ですが、柿の木を多く目にするんのも納得の数字でした。うちは実家にも柿の木を植えてなかったので、そこまで柿の木には馴染みがないものの、「柿の木は折れやすいから登ってはいけない」というのはよく聞いていました。こどもの頃はそれを試す機会がなくて、ヘビー級のウェイトがある今は、柿であろうがなかろうが怖すぎて試す気にもなれません。

柿の木は虫害を受けたり病気になることが多いため、その影響などで内部に空洞が出来たりして折れやすいのだと思います。また実が熟すると重みで枝先が垂れるのでどうしても、細い枝先の柿を採ろうとするとポキンと折れてしまうので、甘い柿を採ろうと無茶なことをしないための予防線としての意味合いもあったのだと思います。私の実家には枇杷が植えられていて、果物だと柿よりも枇杷派なのですが、材となると話は別。ここからは食べ物としての『柿』ではなくて、材としての『カキ』の話になります。

以前に、カキはカキでも墨汁のような桎梏の筋が芸術的に材面に現れた、いわゆる『墨流し』の『クロガキ(黒柿)』の話をしました。その時は、肉厚のカキの耳突板を厚みで半分に割ってブックマッチにしたものを使ったキッチンカウンターの製作をさせていただいた話でした。その際にそのクロガキと共木の板(同じ一本の丸太から取れた)がありまして、実はこれが私的には一番気に入っていたもの。ただ同じ木柄のものはなかったので、単独として使わなければなりませんでした。そのカキが大五木材にやって来たのは10年以上も昔・・・

 




日本の『イチイ』の事を書くにあたっていろいろな文献を読んでいて、私の中のイチイのイメージが少し変わりました。そこでヨーロッパにおけるイチイの世界観について少し補足させていただきます。若い頃にシェークスピアの戯曲でイチイの毒が使われたエピソードを知って以来、ヨーロッパにおいては「イチイ=毒=不吉」というような印象だと思い込んでいました。確かにイチイは赤い果肉の部分以外すべてにタキシンという強い有毒物質が含まれていて、刻んだ葉を50~100g摂取すると成人でも死に至らしめるほどの毒性があります。

その毒性を知っていたギリシャの医師ディオスコリデス、イチイの木の下で眠ると死んでしまうという説を唱えた事で永らくの間、その迷信が信じられてきました。進化論を唱えたダーウィンは、よく教会にあるイチイの木陰で休憩していて、自分が死んだらここに埋めてくれと言っていたそうですから、学者としてそれが迷信だと分っていて皮肉としてそう言っていたのかもしれません。実際にイチイの毒によって亡くなった事例はごくわずかで、むしろ死とは真逆の命の木としての信仰の対象にすらなっていたという事実が浮かび上がりました。

それはイチイが非常に成長速度が遅いということに由来しています。一説にはヨーロッパにある木のおよそ半分ぐらいの速さでしか成長しないともいわれています。成長スピードが遅いのでその分長寿になり、ヨーロッパには1000年越えの長寿のイチイがいくつも存在しています。最高齢はスコットランドのアーガイル州にあるイチイはイギリスに現存する最古の木と考えられていて、その樹齢はおよそ5000年と推定されているとか。古代ケルト人はそんなイチイを大切にしていて、集落や部族の名前にもイチイ由来のものが多く残っているようです。

中世グルジアには古語でイチイを表わす言葉の王国も存在していたほど。また10世紀のウェールズでは、教会の敷地に生えている「神聖なイチイの木」を伐った不届き物には1ポンド(当時の1ポンドは市民が一生かかっても払えないほどの高額)の罰金を科すという法律もあったほど手厚く保護されていました。古代ギリシャ人は、イチイを「黄泉の国に繋がる扉」と考えていて埋葬地にはイチイが植えられてきました。長寿のイチイが生の象徴として、死とのバランスを保つ役割を担ってきたのに、やがて死のイメージの方が強くなってしまったのです。

そのようにヨーロッパではイチイと人間の関わりが古く深いので、さまざまな記述が残っています。日本やヨーロッパ以外にも、北半球の温帯地方から中米、東南アジアまで広く分布しています。その種は8つあるそうですが、特徴は非常によく似ていて区別しにくいのだとか。少し前に台湾産のイチイの加工をさせていただきましたが、そう言われなければ国産と思って疑いません。非常に目の詰まった高齢のイチイで、その密さからも『命の木』とも呼ばれる理由がうかがい知れました。

 




イチイの木は愛媛の山にもあるにはあるのでしょうが、原木市場に並ぶようなサイズの丸太に出会えるような事はまず期待できません。それよりも庭の生け垣などに植栽していたけど、大きくなり過ぎたので伐採したものが造園屋さんルートで流れてくるほうが可能性が高いと思われます。愛媛ではなかなか出会う機会の無いイチイの丸太ですが、今年の春に岐阜の市場に行った時にたまたままとまった量のイチイの丸太が出品されていました。サイズは決して大きくはなかったものの、これだけまとまったイチイの丸太を見るのは初めてでした。

これが板に挽いてあったら、売る見込みはないものの勢いで買っていたかもしれません(汗)。もともとイチイはそれほど大きくならないので、建築材向きではないと言われていて、建築では主に赤身と白身のコントラストを活かして床の間の落とし掛けや床柱などに、色を添える装飾的な意味合いで使われてきました。先日書いたように、かつては高貴な位のひとの染料として使われてきた経緯があるため、「位の高い木なのだから、家の中のどこにでも使っていいものではない。家の中でもっとも大切は床の間になら使ってもよい」と考える地域もあるのだとか。まあ古い話ですが。

床柱としては私も何度か納品させていただきましたが、確かに赤身と白身のバランスが絶妙で、床の間に彩りを与えてくれました。しかし今ではそんな風情を楽しもうにも床の間はおろか和室すらない家ばかりで、建築分野ではイチイの活躍できそうな場面が無くなってしまいました。私としては、個人の家の部材としてではなく、その一位とう言葉にかけて、その地域一番の店になれますようにとの願いも込めて、商業店舗の内装などに使っていただきたいと思っています。アクセントとして赤味を添えるという程度なら大きな丸太も必要ありませんから。

例え少ない量でも軽んじずに丁寧に説明をしていくことで、木に対して関心を持っていただくことは出来ると思います。大きな量を扱ったりするとついついその事を忘れて、マテリアルとして木を見てしまいがちです。貴重な木だから大切に扱い丁寧に売るというのは勿論ですが、ありふれた木にだってそれぞれに個別の物語はあるはずです。ただの「素材」としてだけで売ってしまうなんてモッタイナイ!しっかりと骨の髄までしゃぶり尽して、語り尽して売ってこそ木の価値も高まるというもの。それこそが材木屋の腕の見せどころ、語りどころ

 




森の出口』を考える際に重要なのは、その木についてどれだけ多くの情報を持っているかという事だと思っています。材質や質感、産地、名前、由来などは勿論ですが、色合いや香りも大切な手掛かりとなります。特に最近注目しているのが木の色。赤い木は削れば当然赤い削り屑が出ますし、黄色い木からは黄色い削り屑が出ます。個性的な削り屑が出たものは、それをふるいにかけて選別して『森の砂』という商品まで作っています。中でも赤い色の削り屑って一般の方はなかなか目にする機会が無いので、珍しがって興味を持っていただきます。

イチイの場合は大径木が少ないため、どうしても辺材の白太が混ざってしまうため、なかなか赤身だけの削り屑を集めるのに苦労するのですが、機会があるごとに少しずつ集めいます。そんなイチイの色については先人たちもしっかりと目をつけいられていたようで、赤身部分の紅褐色の抽出液は染料として利用されてきました。紫のくすんだ赤色のことを『蘇芳(すおう)』と言い、昔は位の高い人しか使えなかった高貴な色ですが、繊維を蘇芳色に染める時にはこのイチイの染料も使われていたそうです。

そもそも蘇芳(スオウ)というのは、ミャンマーやインドなどアジア南部が減産のマメ科の低木の事(学名:Caesalpinia sappanで、その幹を切り砕き煎じて染料が採られていました。なので本来は木の名前なのですが、それで染めた色の名前としても使われています。スオウという木は漢字で蘇芳という字があてられていますが、これは英語名のSappanwood(あるいは  Sapanwood) からきているようです。日本で染料として使われてきたt歴史は古く、既に飛鳥時代には中国経由でこの木が日本にも輸入されていたのだとか。

かなり貴重なものなので、その代用としてイチイも使われてきたので、地方によってはイチイの事を『スオウ』という名前で呼ぶところもあるほど。あるいは本来のスオウに対して一歩引いた意味で『山蘇芳(ヤマスオウ)』と呼んだり。染料としても用途は分ったものの、色の図鑑などで見る『蘇芳色』と、いま目の前にあるイチイの赤身とがどうにも結ぶつかないのですが、木肌も経年変化で変わっていきますから抽出して煎じていくとこういう深みがかった色になっていくのでしょう、きっと。そんな事考えてたら抽出もやってみたくなってきた、『森のかけら色水』・・・

 




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