森のかけら | 大五木材


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20101014 桑の木とパトロン①】といえば三国志の雄・劉備玄徳の生まれ育った場所を連想する方も多いかもしれません。劉備が生まれ育った家の前には大きな桑の木があり、その事から「いずれこの家からは立派な人が出る」と言われていたと伝えられています。その桑に因んで村の名前は「楼桑村」と名付けられたというのはあまりに有名な話です。私は個人的には孫権贔屓なのですが・・・。俗に「サワラ」の木に当たられている「」という漢字は誤りで、本来の意味は、木を割る台またたは【】の実の事を表わしているといわれています。私の故郷・西予市野村町は『シルクとミルクの町』として、古くから養蚕が盛んに行われてきました。最近では養蚕も外国産に押されて苦境に立たされているようですが、私が子供の頃は多くの家で養蚕が行われていました。ただ私は生来、虫が苦手なので当時から詳しく見た事はありません。

 

 

20101014 桑の木とパトロン②材は緻密で磨くほどに美しい光沢が出ることから家具材として珍重されていますが、特に『江戸指物』にはなくてはならなし素材だといわれています。しかし残念ながら、最近では良質な大径木の桑は本当に少なくなりました。過去に作られた茶箪笥長火鉢を見ると、その鈍い光沢と艶はとても美しいものがあります。他にも楽器細工物などに使われていますが、意外なところでは「木魚」などもあり、桑の大きな木魚は大変価値があります。前日の『前田さんのサイズの木魚(㊧画像)』だと、物凄い値段になることでしょう!

 

20101014 桑の木とパトロン③以前にテレビの「開運!なんでも鑑定団」で、かの渋沢栄一翁(1840~1931)ゆかりのお宝「愛蓮堂(あいれんどう)の額」が紹介されていました。依頼主は銘木店の店主だったと思いますが、良質の桑の産地・御蔵島の桑の銘木を使ったモノで、明治38年に大実業家・渋沢栄一翁(㊨画像)が、指物師としての最高位である桑樹匠(そうじゅしょう)・前田文之助に依頼して作らせた逸品でした。漢文が書いてあったのですが、それを書いた方の名前は失念しましたがそちらもかなりのビッグネームでした。その鑑定額、実に驚異の¥1500万円!渋沢栄一翁の威光もあったのでしょうが、漢文や彫りがなくても数百万の価値との鑑定(確か700~800万だったような・・・?)でした。テーブルサイズぐらいの大きさだったと思うのですが、今そんな巨大な桑はありえないでしょう!

 

20101014 桑の木とパトロン④しかし日本は広いですから、日本のどこかには巨大な桑が眠っているかもしれません。しかしそれも今の経済状況では、なかなか倉庫から出れないのではないでしょうか。木にとっても倉庫で塩漬になるのは決して幸福な事ではないでしょう。住宅なり家具なりに形を変え、表舞台に立ち誰かの役に立ってこその「材木の本懐」だと思うのです。それにしても昔の大実業家の方って高尚な趣味をお持ちだし、目も利いたのでしょう。そこには、日本の文化や伝統を守り、若い芸術家を自らの手で支援、育てようというパトロン的な気概や意味合いもあったのではないでしょうか。今は芸術も投機の対象としての風潮が強くなっていますが、真の芸術には多かれ少なかれある程度の後ろ盾が必要だと思います。芸術のレベルが高いから立派な支援者が現われるのか、支援者が育てるから芸術が育つのか・・・?




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