森のかけら | 大五木材


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このブログでも何度か紹介させていただきましたが、今年の1月にご縁があって手元にやってきたモミジバフウユリノキですが、相当な数がありまして、大小含めるとトータルで3t車で14,15台はあったでしょうか。丸太を製材所に持ち込んで賃挽きしてもらったのですが、かなり短くて小さなものから大曲りの丸太など形もさまざまで、すべて挽き終わるにも、すべて持ち帰るにもかなり時間を費やしてしまい、結局最後の数台分を年の瀬になってようやく持ち帰ることが出来ました。何とか年内に桟積みまで完了~。

ただただ板に挽いて積み上げて在庫を増やしていただけではなく、一方で乾燥したものから加工して販売もしておりましたので、全体のボリュームとしては2/3ぐらいになった感じです。もともと枝が多くてそれほど大きな木ではなかったので、曲がりくねっていたり節も多くてテーブルや家具に使えるものは限られていました。なので思い切って小さなモノに再割り加工して使ったのですが、その決断をしていなかったら今頃倉庫はモミジバフウで溢れかえっていたことでしょう。

そんなモミジバフウですが、根元に近い部分は輪切にしてもらうことにしました。内部に洞(ウロ)があったり、腐食や割れなどもあったので、ダメもとで輪切りにしてみたのですが、結構輪切りフェチの方もいらしてそれなりに売れました。ただし大きな丸太の輪切りは重たいのと、コンディションが悪かったこともあって、売れ残り最後の数枚は製材後しばらく屋外で放置していたこともあってかなりボロボロ。それでも一応桟積みしておこうと並べていたら、腐食した穴に中から寒さで凍死した虫たちを発見。

製材時の大鋸屑などで防寒していたのだと思われますが、あまりの寒さに凍死したのか。まだ生きているものも数匹いましたが動きがノロノロ。単に寿命だったのかしら?ともあれどうにか年内に最後の仕舞いをつけることが出来ましたが、まさかのほぼ1年がかりの作業となってしまいました。折角の寒伐りだったのに、一部は梅雨にもあててしまいすっかり変色したものもありましたが、思わぬ出口が見つかったことから大量に消費することが出来ました。そしてこのモミジバフウの中から思わぬ拾いものが見つかったのです!




私が大五木材に入社した当時にも、バンドソーやプレーナー加工機ぐらいはありましたが、それらはもっぱら弊社に刻みに来られた大工さんが使うものであって、自ら積極的に使うものではありませんでした。その後、プレカットの台頭とともに、現場での加工作業が激減。材木屋でもガンガン加工するようになり、現場に届けるのは加工された木材ばかりになってきました。そういう流れで弊社でもプレーナー加工やサンダー仕上げ作業が日常のこととなり、現在ではベルトサンダーを使わない日はないほど

それだけ加工するにも関わらず集塵装置を取り付けていないので、日々木粉が倉庫の中に積もっていくのです。作業場が狭いこともあって集塵装置を取り付けずにきたので、いちいちおが屑を救い集める作業にも体が慣れてしまいました。その加工場の奥にもいくらかの長尺の耳付き板を積み上げているので、久し振りに表に引っ張り出したりすると、長い期間にわたり堆積した木粉がまるで地層のよう!その上を小さな虫が這いずりまわっているので、こういう『デスバレーの動く石』のような軌跡が現れるのです。

これは『ダリナ(アンゲリン)』の幅広の一枚板の上に積もった木粉。ブロワーで少し飛ばしてみれば、赤身を帯びたダリナの姿が見えてきました。材木屋と木を食す虫は切り離せれない関係で、樹皮に潜む幼虫から、倉庫を飛び回る成虫、海外からのバンドルに交じって密航してきた異国の虫などさまざまな虫が入り込んでいます。木は決して人間だけのものではありません。そこをねぐらとしたり、生きるための糧としている虫たちにとっては、根こそぎそれを奪う人間のほうこそが侵略者や破壊者なのでしょう

とはいえ、こちらもその『木』で飯を食っていかねばならない身。どこかで折り合いをつけねばなりません。立派な材をボリボリと齧られてしまうと、そんな悠長なことも言ってられませんが、幸いにもというか恥ずかしながらも弊社にはそんな立派な銘木は無いので、在庫品が喰われてしまったら、それはそれで出口を切り替えるのみ。端材の活用に関してはちょいとノウハウもありますので、虫食いの木とてそれなりに使えます。それよりもそういう時に気になるのは、虫たちが喰った穿孔の軌跡、こっれてアート!?

木粉の上に描かれた軌跡は消えゆく運命にありますが、樹皮を食った軌跡は残そうと思えば残せます。それでそこにどんな価値があるのかと尋ねられますが、価値を見出しているわけではなく、面白いと思っているだけ。面白いなんて言うと、自分が生きるために必死にもがいた虫に対して失礼な話かもしれません。樹皮に産み落とされ、生きるためにがむしゃらにそこにある「食料」を必死に食っただけのこと。ここまで食うかと思うほどに食い尽くし薄っぺらくなった樹皮、そこに打算はなく真摯な生があるのみ。




世界のミステリーのひとつに、アメリカはカリフォルニア州の国立公園にある『デスバレーの動く石』というのがあって、この手の話が大好きな私は昔から興味津々でした。ご存じない方のために説明しますと、かつてはゴールドラッシュで賑わったのですが、その後衰退し住む人もいなくなった荒地です。長野県に匹敵する面積を持つアメリカ最大規模を誇る国立公園内にある、通称『死の谷』とも呼ばれる荒涼として乾燥地帯でその謎の現象は起こります。重さ200㎏を超える巨石が独りで勝手に数百メートルも動き回るというもの

といっても石が動いている姿を見た人は誰もいなくて、石が動いた軌跡が発見され、すわ宇宙人の仕業か、嵐の仕業かな、いや意思を持つ石からのメッセージなのではなどと様々な推測され子供心にワクワクしていたものです。原因が分からないところにロマンがあるのですが、残念ながら近年この謎も解明されてしまいました。ご存知の方も多いと思いますが、巨石が動く理由は「地表の泥に浮いている薄い氷が割れ、風によって割れた氷が何層にも重なり、大きくなった氷が石を押し進めている」というもの。つまり自然現象

かなり限定された条件が幾つも揃わないと発生しない特異な自然現象ということのようですが、そうやって昔からまことしやかに語り継がれてきたミステリーが解明されていくのって、私は複雑な心境。かつては人間の英知が及ばない未知の現象と考えられていた事が次々と科学的に解明されていくことで、自然に対する畏怖や畏敬の念って薄れていくのではないでしょうか。私としては謎が解明される数よりも謎が生まれる数が多いほうが嬉しいのですが・・・。ところでこれが何の前フリだったのかというと、これ。

この写真は、「デスバレーの動く石」をかなり俯瞰で捉えたものではありません、という言葉をいいたかったためだけに持ち出した前フリだったのです。実はこの石が動いたような軌跡(そう見えるか見えないかは問題ではありません、自分が楽しんでいるだけなので)は、倉庫の中から長年眠っていた材を引っ張り出した際に現れたものです。正体を明かすと、厚みにして実に10㎜以上もの微細な木粉が積み重なった上を小さな虫が這いずりまわった跡。さっさと掃除をすればいいものを、ここにデスレバーの動く石が重なって見えたのです。続く・・・




甲子園といえば、誰もが知る高校球児の聖地であり、愛する阪神タイガースの本拠地ですが、「全国で競い合って日本一を目指す大会」という比喩としてOO甲子園という言葉がジャンルを超えて使われています。『俳句甲子園』しかり『マンガ甲子園』しかり『ダンス甲子園』しかり。そんな巷に溢れるOO甲子園の中に、『和牛甲子園』というものがあります。正式名称は、『全国和牛能力共進会最終比較審査会』というもので、和牛日本一を決める共進会の中の、高校の部の俗称ということで、球児ならぬ牛児が日本一を競います。


ほぼ5年ごとに開かれている和牛の改良成果を競いあって日本一を決める大会で、「高校の部」を含め39道府県527頭が出品される和牛業界最大規模のビッグイベントなのだそうです。その中の一部門である『和牛甲子園』という言葉がどこまで浸透しているのかは分かりませんが、私は夏季休暇で家内の実家に帰省していた際に、テーブルの上に置いてあって何気に手にした『日本農業新聞』の活字に目が留まり、そこで初めて知りました。記事によると全国から15校が出場するのですが、残念ながら四国からの出場はなし。

北は岩手から南は鹿児島まで全国の畜産科のある高校から14校が出場しています。他の甲子園と違うのは、主役が牛児だけではないということ。競馬はその血統が非常に重要視されるブラッドスポーツですが、牛も同様に血統が大切で、出場校と並んで出品牛名、出品牛の父の名、母の父の名なども明記されています。和牛らしい体型や品位などを競う種牛の部や、肉質や肉量を競う肉牛の部などがあり、全国から500頭あまりの牛が集結し、その様は『和牛のオリンピック』とも称されるのだとか。


なぜそんなに和牛の共進会が気になっているのかというと、家内の実家が畜産業を営んでいて、和牛を400頭ほど肥育しているので、ついこういう話題に目がいってしまうのです。以前にもこのブログでもご紹介しましたが、その黒毛和牛に『山の響』というブランド名をつけるお手伝いをさせていただきました。木と牛、ジャンルこそ違えど自社の商品の魅力をいかに消費者に伝えていくのかという点では非常に勉強になりました。その美味しさが画像からでは伝わらないのが残念ですが、それは木も同じ。




蛇が事務所に迷い込んだ話の続編。とりあえず事務所からは出てくれたので、夜に事務所で独りデスクワークをしていて、足元がムズムズすると思って足元を見るとそこに大きな蛇がとぐろを巻いていたっ~!なんて映画『スネークフライト』みたいな事は回避できたようです。二度と事務所に迷い込まないことを願うばかりですが、へたれな恐怖心が蛇の大きさを異常に増幅させ、私の脳内ではアナコンダ並みの大きさに成長してしまっています。実際は長さ1m前後で、大きさもOKサインの輪ぐらいの青大将・・・

私の田舎では、家に現れた蛇は縁起がいいとか、家の主だからいじめたり追い払ってはいけない(何もしなければ向こうから噛みつくこともない)と言われていましたが、そうは思っていてもリアルな蛇を見るとどうしても気持ち悪さが勝ってしまいます。ところでリアルな蛇はNGですが、これが映画だったり図形化されたりするとまったく問題なくて、興味すら湧いてくるので自分でも呆れるほど。そんな蛇ですが、うちの商品ともわずかな接点があります。それが、日本の家紋を使った『森のしるし』です。

これは家紋をスタンプした木製のマグネットですが、人気が高いのは戦国大名シリーズ。現在のところ戦国大名シリーズは第三弾まで出来ています。勇猛な武将の家紋は、少年・歴女に人気です。その中に「肥後の虎」として知られる勇猛果敢な武将・加藤清正がいます。加藤清正が使っていたのが、蛇の目をデザインしたその名も『蛇の目紋』。同じ加藤姓でわが松山城を築いた加藤嘉明も同じ蛇の目紋を使っていたらしいのですが、当時は武将はいくつかの紋を使い分けていたらしく、悩んだ末に加藤清正はもうひとつに『桔梗紋』に。

蛇の目紋を使わなかったのは蛇が嫌いだからというわけではなくて、そのデザインに拠るもの。というのも、『森のしるし』はゴム印を手押しでスタンプしているのですが、丸い台木に丸いデザインの家紋印を押すというのは想像以上に難しいものなのです。家紋には紋を丸く囲んであるデザインが多いのですが、台木の丸と紋の丸のふたつが重なると、わずかなズレでも非常に目立ちます。最初は台木のセンターが出るように治具も作ってみたのですが、これが思いのほか具合が悪くて早々にフリーハンドに切り替えました。




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