森のかけら | 大五木材


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20160121 1万高原町へ向かう三坂峠は雪で凍結注意報が出ていたものの、どうしても久万の製材所に材料を取りに行かねばならない事情があったので、意を決してノーマルタイヤで踏破することに!そもそも私はトラックの運転が苦手なので、雪はおろか雨でもあまり走りたくはないのですが、背に腹は代えられません。幸いにもお天道様が顔を出したので、少しでも雪が溶ける昼頃まで待って出発。冬の凍結注意報の出ている坂を、ノーマルタイヤのトラックで走るなんて無謀だと思われるかもしれませんが、

 

20160121 2交通量の国道なので、早い段階から除雪作業も行われますし、凍結防止剤なども撒かれるため、余程の大雪でなければ昼頃にはほとんど普通に走れるようになります。ただし道路の端や、ちょっと脇道に入ると除雪が出来ていないのでツルツル。とにかく脇に逸れないように注意しながら坂を登ります。2012年に開通したトンネルのお陰で、冬季の積雪や凍結による大きな事故は随分少なくなったようです。昔は、冬季に1、2台は丸太を積んだトレーラーが道路を塞いだものですが。

 

20160121 3松山市内は雪のかけらも見当たらないぐらいの天候でも、三坂峠を登って長いトンネルを抜けると、そこは状況が一変。本当に周囲は白銀の世界!およそ8キロの峠で一気に720m登りますので、冬場は本当に車の窓から見える風景が一変します。運転が下手の事もあって、ノロノロ運転でどうにか製材所に無事到着。製材所の土場には大型車が出入りするため、出入り口周辺はすっかり雪も溶けてしまっていますが、それでも端の方を通るとたちまちハンドルが取られてしまいます。

 

20160121 4雪国の方からすれば、たかだかこれぐらいの雪で大袈裟なと呆れられるでしょうが、慣れぬ環境というのは先の見えない恐怖のようなものがあります。何事も「程が分からない(加減が分からない)」というのは厄介なものです。そういう意味では、日本をはじめ北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリア、アジアなど世界中の木を少なからず自分の手でも触ったり、加工してきたということで、それなりにいろいろな木の「程が(少しだけ)分かった」ということは大きな財産です




20160119 1それから月日が流れ、間を持て余す(!)ご祈祷の際に何気に見上げた扁額に懐かしい言葉と再会。記憶の言葉と重ねてみると、どうしても「非ず」という言葉に該当する言葉が見当たらず疑問が残りつつも、ご祈祷の後に行われる宴で忘れ去られることになっていました。それがある年、その後に仕事が入っていてお酒を飲まない時があって、いつもの疑問を忘れないまま帰宅して調べて分かったのですが、あれは意図的に漱石が主人公にそのように読ませた解釈だと分かったのです。

 

20160119 2つまり友人の妻に手を出すという人の道にも劣る行為を自ら正当化させるために、誠の道というものは天にあるのかもしれないが、それはあくまでも綺麗ごとの理想論で、人を好きになるというのは理屈ではないのだ、ということから「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」と読ませたのだという事。好いた惚れたの道は天の神様の理屈では理解できない、俗世間の人の道でござい、とでも言いたかったのでしょう。ただの詭弁であり、あまりにも身勝手な自己弁護でしかなかったのです。

 

20160119 3それが分かってからDVDでこの映画を観直すと、まあ相当に自己陶酔した軟弱で刹那的な主人公の不倫正当化映画であった事に気づかされました。若い頃は、ところどころに意味ありげにインサートされる謎のカットの映像イメージや、松田優作、小林薫、中村嘉葎雄、風間杜夫、草笛光子、笠智衆などの芸達者な役者の演技合戦、そして奇跡的な美しさを放っていた藤谷美和子の美貌などに目を奪われて、よく分かっていませんでした。なにより不倫がどれほど獣の道であるかなども理解できず・・・

 

20160119 4気ままな生活を送る主人公・代助たちの事を、『高等遊民』と呼んでいたことから、そんな生き方に憧れを抱くほどに子供でもありました。それ以来、誠の道というものは天の道であって人の道ではないという言葉にどう正当性を持たせて、神社に飾られるほどに奥深いものであるのか、理屈だてるのに長らく時間を費やしました。そので自分なりに考えた結論は、人殺しや諍いの絶えない人の世に誠は無く、誠の道は天にしかない。ゆえに天を目指せと理解せていたので、まんざら間違いでもなかったかと。

 




20160118 1先日、地元で新年恒例の祈祷という行事がありました。町内にある阿沼美神社に集まって、地区ごとに分かれてお祓いを受けるもので、毎年1月の第三に日曜日に開催される神事なのですが、これをしないと新しい年を迎えた気分がしないほどに、私もすっかりここ平田町の人間になりました。この地に住むようになってからもう30年近くになりますので、この神事もすっかり新年の風物詩として体に染みついてきました。このご祈祷の話もブログを始めてから毎年書いている気がしますが。

 

20160118 2毎年このご祈祷の際にここに座ると、目に入るのが阿沼美神社の名前が縦書きに彫られた扁額の上に、横書きで『誠天道誠思人道』の言葉が書かれた扁額。が飾ってあり、いつもその言葉を見ては思い出す映画があります。『中庸』という古典に書かれた言葉で、原文は「誠者天之道也。誠之者、人之道也」。「誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり」と訳されています。この言葉を見ると必ず思い出す映画があります。森田芳光監督、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』。

 

20160118 3その映画の中で、松田優作演じる主人公・ 長井代助が、兄に金の無心に訪れた際に壁に飾ってあったこの言葉を呟くシーンがあります。30歳にもなりながら職にもつかず自由気ままな生活を送る代助が、その言葉を目で追いぼそっとつぶやきます。「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」。漱石の原作にもあるのですが、これでは本来の意味とは真逆の解釈となります。本来の意味は、誠とは嘘偽りのない真心、つまり天の道である。その天の道を素直に受け入れて誠にするのが人の道だというもの。

 

20160118 4それを、敢えて逆説的に主人公に語らせたのは、この物語が友人の妻に惚れて略奪するという「格調高い不倫小説」だからです。初めてこの映画を観たのは大学生の頃で、この『中庸』の言葉の意味も、後に文化とまで言われる不倫の「高尚さ」すら理解できませんでした。この言葉の意味を気にするようになったのは、実はご祈祷に参加するようになってから。当時言葉の意味はよく理解できずとも、優作の口から発せられる言葉が耳に心地よく、意味深な言葉だけは記憶していました。

 




20160116 1 愛媛県を代表する伝統工芸品のひとつに『砥部焼(とべやき』があります。文字通り愛媛県砥部町を中心に作られている陶磁器です。その起源は江戸時代中期とされていますが、背後の山から良質な陶石と薪が豊富に産出されたことから、藩の庇護も受けてこの地で砥部焼が盛んになったそうです。愛媛県の指定無形部家財ともなっており、愛媛の家庭ではどの家にも砥部焼の器が少なくともひとつやふたつはあるほど日常生活にも溶け込んでいます。そんな砥部焼のお店とのご縁のお話し。

 

20160116 2お得意先のワンズ㈱さんで新居を建築されたのが、こちらの『森陶房』さん。『えひめイズム』や『おとなの部活動』などを通じて、木材・建築以外の異業種の方々との交流らコラボも急激に増えているのですが、地元の伝統工芸というカテゴリーでは必ず繋がる砥部焼。ふだん使いの食器や花器など日用工芸品としての色合いの強い砥部焼ですが、その中でも独立して窯を開かれたり、女流作家さんも増えて、伝統やら歴史のしがらみの多い業界の中で新たな展開が起きているようです。

 

20160116 3砥部焼というと、白磁に藍の呉須というのが主流でしたが、森陶房さんのギャラリーには多彩な色遣いのカラフルな砥部焼が展示されていました。スギウラ工房さんで初めて見たのですが、色合い豊かな砥部焼は、モザイク柄フェチの琴線に触れます。砥部焼に関わらず、地元の伝統産業というと長男が後継するというのが主流で、地元で生まれて小さな頃から将来は後継者になるのだと周囲からも期待(洗脳)され、その道を究めるがゆえに伝統や歴史に縛られどうしても視野が狭くなりがち。

 

20160116 4地域の伝統産業を生業とされている方の作品の中で、従来のモノとは随分毛色が違うなと感じたものの多くは、作り手の方が地元出身者の方でなかったり、配偶者の方が県外の方であったりと、外から愛媛を見られてその素材の良さや魅力の押し出し方の物足りなさを感じておられるケースが多いように感じます。これは砥部焼に関してだけのことではなく、地元密着型の材木屋という仕事についても言えること。近くに居すぎると木の根元の方だけしか見えず、梢を見るには離れることも大事




20160109 1松山にまで戻った話をもう一度引き戻しますが、年末に帰省して正月を過ごし、松山に帰る際に少し時間があったので、いつもとは違う大野ヶ原経由で帰ることにしました。大野ヶ原は、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台と並ぶ日本三大カルストのひとつで、標高は約1400m。東西25kmにわたってカルスト台地が広がり、『四国カルスト』の名前でも知られています。姫鶴平、五段高原、天狗高原と連なる山肌は、夏になると草に覆われて緑の絨毯が目を楽しませてくれます。

 

20160109 2しかしこれが冬になると、かつては陸の孤島とも呼ばれたほど過酷な状況になるので、子供の頃から幾度も訪れてはいるものの、冬場はほとんど近づくことがありませんでした。それが今年の正月は暖かったこともあって、ノーマルタイヤしか装備していなかったものの、行けるとこまで行ってみようということになり、大野ヶ原ルートで帰ることに。実家を出る時に温度計を見たら11℃ほどあって、気持ち割るほどの陽気。これなら軽く大野ヶ原も踏破できるのでは・・・?!

 

20160109 4その考えがあまりにも甘いものであったことに気づかされるのにたいした時間を要しませんでした。山を登るにつれて温度が1℃ずつ下がっていき、7,8℃になった頃には、道路の端に残雪が見受けられるようになり、子供たちは久しぶりの雪のテンションも上がっていたものの、みるみるうちの道路は白くなってハンドルを握る手にも力が入ります。それからノロノロ運転で進んで、温度が5℃になった頃にはもうすっかりあたりは雪景色。かなり標高も上がってきました。

 

20160109 3更に車を進めていると、明らかに雪の質が違うゾーンに突入!まあ無理だろうとは思っていたものの、叶うならば撮影したかった雪中のブナ原生林まであと6,7キロというところで、さすがにノーマルタイヤの限界を感じ、登行を断念。松山に移ってから、必要もないためスノータイヤを装着したことすらないリスク管理能力の低い人間ですので、ほとんど対向車も無い中、もしもの場合命の危険すらあるのでそこで引き返すことに。樹氷の撮影は来年のお楽しみとすることに。




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