森のかけら | 大五木材


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20120323 1地元の公民館の新旧役員総会が開催され、1年間おつとめさせていただいた分館主事もとうとう御役御免となりました。主事の主な仕事は、公民館行事の進行や館長のお手伝いですが、その中に朝の町内放送があります。朝7時5分を目処に放送させていただくのですが、1年間で50~60回ぐらい放送の依頼があります。運動会や敬老会など開催行事の日時の連絡から、子供たちの登下校の見守りや不幸事のお知らせなどさまざまです。多い時は週に3回も4回も放送する事があります。

  

20120323 2もともと朝6時40分前後には会社を開けていますし、自宅から会社まで歩いて数十歩の距離ですので、早朝の放送に何も問題はありません。しかし自宅からお勤め先の会社まで距離がある方にとって、この放送時間が「主事へのハードル」になることもあります。ちょうど通勤時間と重なるので仕事に支障が出るということです。この辺では、第一線を退かれた方が公民館長をつとめられ、主事は30~40代の方が つとめられるのが慣習ですが、皆さんお仕事がありそれぞれに事情があります。

 

20120323 3ある程度の時間の拘束は仕方がないところですが、その加減はひとそれぞれ。そのバランス感覚を自分の物差しで判断していると軋轢も生じます。いろいろな世代のいろいろな職業の方が関わるところに地域活動の難しさがあります。自分の事情を押し通せば地域コミュニティは成立しなくなりますし、あまり仕事に差し支える事になってしまっても本末転倒。幸いにも私が住んでいる周辺に新居を構えられた方々は年齢的にも近く、交流もあり、地域活動に理解のある方が多いので今のところうまく回っています。

 

20120323 4以前、平田公民館の会議室に掲げられている大平正芳元首相の揮毫『任怨分謗(にんえんぶんぼうについて触れましたが、今宵もその言葉に身が締まります。審議員、体育部長、公民館主事とおつとめさせていただき、今年は組長を拝命いたしました。お声を掛けていただくうちが花ですから、やれる時にやれる事をやるだけです。町内放送も数ヶ月もすれば慣れてきて、依頼がなければないでなんとなく寂しくなったりして・・・どうせやる事ならば楽しまねばモッタイナイ、モッタイナイ!




20120321 1愛媛県産木材の新たなブランド名とシンボルマークが発表されました。現在、愛媛県は「ヒノキの生産量日本一」を誇っているのですが、その事を意識している県民は驚くほど少ないのが現状です。それは、製材工場で生産された木製品の多くが東京、大阪、東海などの大消費地に送られているため、「木製品が日常的に目に見えない」からだと思います。また、そのほとんどが「家づくりの材料」となるため、食べ物のようにダイレクトに消費者の元に届けられるわけでもありません。加工され柱や土台などの構造材となり家を支えますが、最終的には壁の中に、床の下の黒子の役割を負う事が多く、実感が伴いにくいという事もあるでしょう。それは、家の土台や柱などの構造材を主流とする愛媛の木材産業の宿命であり、良い悪いの問題ではありませんが、どうしても地味な印象になってしまいます。まあそこが奥ゆかしい「愛媛らしさ」であるのかもしれませんが・・・。

 

20120321 2それは愛媛の森林行政を預かる県の農林水産部でも頭を悩ます課題で、その品質の良さは木材市場ではよく認知されているものの、一般的な浸透度の低さを解消したいという事から今回の新ブランド&シンボルマークの作成となったようです。しかし認知度の低さは、行政の問題というよりも、それを生業とする我々材木人の努力不足である事は明白。新ブランドやロゴマークさえ作ればすべてがある日突然劇的に変わるというものではありませんが、動機付けにはなります。

 

20120321 3今年の年初の挨拶で中村時広知事も、「我々は、総合物作りメーカー、株式会社愛媛のセールスマンたる、 その気概をもって、向き合うことが重要である」と述べられていましたが、こういう厳しく切迫した地球環境、経済環境の中で「リサイクル可能な生きた資源・木」には大きな追い風が吹いています。誰かが旗を揚げれば、それに異を唱えたり足を引っ張りあう人間が現れるのも世の常ですが、今こそ木材人が自ら立たずにいつ立つか?批判する事は簡単ですがそこからは何も生まれません。

 

20120321 4聞くところによると、県は今後この新ブランドやロゴを、建築用木材だけではなく、愛媛の木を使ったいろいろな商品にも応用していくつもりだとか。多くの木にまつわる産業が、その商品名に冠したり利用する事で水平展開が出来ればその知名度も増してくるのではないかと思います。大きな木を育てるには、深いところに種を撒く必要があると思います。短期的な「収穫」を「成果」とはせずに、木材同様に数十年という長いスパンで育てていかなければ決して「ブランド」は根付かないと思います。

 

20120321 5今まで大型量産工場に向いていたと言わざるを得ない「愛媛の森の出口」が、弊社のような零細の流通業にとっても「通行しやすい」方向に転換しつつある事は非常にありがたいことでもある反面、今後の木材産業の行く末を考えると、王道のロジックが通用しなくなりつつある証拠でもあり、難しい局面を迎えているのも事実です。小さな会社は小さいなりに身の丈にあったやり方で、『媛すぎ』、『媛ひのき』の出口を探していこうと思います。それこそが草の根木育活動。隙あらば木の話をしよう!




20120305 1昨日の愛媛木青協の卒業式で『ふなや』さんに向かって歩いていると、その道路の反対側にある子規記念博物館の垂れ幕が目に入りました。定期的に換えられているようですが、その日に掲げてあったのは『二番目の娘みめよし雛祭(ひなまつり』の子規の句。俳句というものは言葉の流れや情景を感じ取るものであって、言葉を解説するものではないと教えられてきましたので、その意味を追うよりも口に出して感じる言葉のリズム感やその遊び心に思わずニヤリとさせられました。

 

20120305 2いつもこの場所を通るたびに目に入る子規の俳句ですが、子規は多作で、(あくまでも私が)知っている俳句が掲げてある事は稀。その日は『雛祭』の言葉に惹かれてカメラに収めました。その日がちょうどお節句の3月3日であった事もありますが、私の誕生日が4月3日で、田舎ではひと月遅れで雛祭をする習慣があり、子供の頃から誕生日が雛祭でして、人一倍「雛祭」の言葉に敏感なのです。翌日その意味を調べてみました。俳句の意味を解説するというのはやや無粋ではありますがあえて記しますと、『子規は小さい頃から女の子の遊びが好きだったようで、三歳年の離れた妹・律の雛祭は一緒になって楽しんだようです。「みよめし」とは、器量が良いという意味で、「二番目の娘」が誰を指すのかは不明ですが、一緒になって遊んだ娘がまるで雛人形のように愛らしかったのでしょう。』という事でした。

 

_RIM1820 (2)きちんと意味が分かってなお惹かれます。子規は「雛祭」にちなんだ句も多く詠んでいるようで、他にも「雛あらば娘あらばと思ひけり」という句もあります。生涯独身だった子規に子供はおらず、世間では雛祭と女の子たちが着飾り賑やかに祝っている中、寂しそうに己の境遇を哀れんで詠んだ句と言われています。こちらの方になると、その後34歳で夭折(ようせつ)するという悲運が重なり、「おかしさ」よりも「切実さ」が伝わってきてちょっと辛いです。数年前まで対して興味も無かったのですが不思議なものです。

 

20120305 4地元にちなんだものづくりをするようになって改めて、地元に眠る物語をきちんと読み返してみると、魅力的な物語があるわあるわ!『灯台もと暗し』とはまさにこの事。他山の石を羨むばかりでなくもっともっと足元を掘り返さなければと、今頃になって慌てています!それだけ新鮮味が長く続けられるとも・・・。さて日曜日は、下の娘と一緒に雛人形を組み立てました。いつもは家内に任せていましたので組み立てにもひと苦労。昨年の記録画像を見ながらなんとか娘ふたり分の雛人形完成しました。

 

20120305 5今年はたまたま時間が空いていた事もあったのですが、長女は中学生になり部活に出かけていて、下の娘ともこうして一緒に雛人形を飾り付けするのもあとわずかだと思うと、これから家族で行うかけがえのないセレモニーを大切にしなければモッタイナイという気持ちにもなります。たまたま子規の句を見た翌日に、二番目の娘とふたりで組み立てた雛飾り。改めてお内裏様も『笏(しゃく』を持っている事に気付きました。『二番目の娘(も)みめよし』とは、いずこの親も思うこと・・・娘よ、どうか健やかに。




20120228 1萬翠荘シリーズ第3幕。何しろ材木屋にとって(私にとって)見所満載!今では到底使えないであろう素材がふんだんに使われていて、そのどれもが洗練されていて、素材の魅力をより輝かせているのですからたまりません!今でもワンポイントにそういう木材を使いたいとかいう話はありますが、どうしたってつけた感は否めません。それでも関心を持って使っていただくだけで十分にありがたい事なのですが・・・。【森のかけら】を販売させていただいていて、建築関係の方からよく耳にするのが「こんな木知らない」とか「こんな木、使うことなんかないだろうな」という言葉。規格型の建売住宅だと構造材から造作材まで含めても10~15種類もあれば事足りるのではないでしょうか。沢山の種類の木を使う事がいいという訳ではありませんが、知らずに過ごすなんてモッタイナイ

 

 

20120228 2時々「今の仕事が合ってるね」なんて声を掛けていただく事もあるのですが、全ての材木屋がこういう(どういう?)仕事ばかりをしているわけではありませんし、皆が世界中の木に興味津々で【森のかけら】を作っているわけでもありません。私は自分がそうしたいので、そういう風に流れを仕向けているだけ。そういう仕事があって、それに適していると思われるぐらい、その仕事が社会的に認知されてきたという事の裏返しであるのならば、それとてもありがたい事です。

 

20120228 3さて、萬翠荘の周辺には多くの木々が植栽されていて、こちらも私にとっては貴重な記録のチャンス。いずれ『今日のかけら』でご紹介させていただき(たいという気持ちで無数にストックしているのですが、溜まる一方・・・)ます。萬翠荘の裏手には、かの夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した際に、下宿していた離れを忠実に再現した『愚陀佛庵(ぐだぶつあん)』があり、萬翠荘と並んで松山観光の目玉でもあったのですが、残念ながら2010年の豪雨による土砂崩れで全壊してしまいました。

 

20120228 4こちらが在りし日の『愚陀佛庵』。正岡子規も療養のために居候し1階に正岡子規、2階に夏目漱石が共に住んだ時期があるそうです。そこで子規は俳句を作り、漱石はここでの暮らしを基に小説『坊ちゃん』の構想を練ったとか。今はすっかり整地され見る影もありませんが、現在再建に向けて準備が進んでいるようです。再建場所の選定で激しい議論があるようですが、両人の思いが散在するこの地が安全性さえ確保できれば一番相応しいような気がします。

 

20120228 5街の喧騒から少し離れたこういう場所で、かつての文豪たちの息遣いに静かに思いを馳せるのがよろしいんではないかと思うのですが。当時、『愚陀佛庵、全壊す!』の記事は地元では大きく取り上げられました。かなりの勢いで土砂が崩落したようで、痛々しい姿に・・・。この時は土砂崩れでしたが、戦禍や火事や落雷など木造建築物の保存・保護には多くの困難がつきまといます。だからこそそれらの困難をくぐり抜けてなお悠然と立ち続ける木造建築物は毅然と神々しくさえあるのでしょう。新たな歴史を刻むべく、愚陀佛庵の速やかなる再建を望みます。




20120227  1では、襟を正して萬翠荘のお二階へいざ!真紅の絨毯の敷き詰められた宝塚の舞台に出てくるような幅広い階段を上ると、その踊り場の壁面には巨大なステンドグラスがあって、そこには鮮やかな海と帆船の姿が描かれています!演奏会を抜け出してきた長女と息子を立たせて記念撮影。今は素直にモデルをこなしてくれていますが、やがて付いても来てくれなくなるのでしょうか・・・。それはさておき、このステンドグラス圧巻です!大正時代の建築物をいくつも知っているわけでもありませんし、歴史的考証も出来ませんが、遊び心と優雅さを併せ持ったモダンで耽美的な時代だったんでしょうね。ピアノの演奏会の会場の扉は開けぱなしになっているので、一般の見学者も覗く事が出来るのですが、そのピアノの生演奏の音色を階下に聞きながら贅沢な建物探訪です。

 

 

20120227 2萬翠荘を建てられた久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵は、そもそも別邸として建設されたそうで、当時の裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問の際に、ここにお招きするために完成を急がせた・・・と、解説が添えられていました。当日は日曜日でしたが、我々以外にも純粋な観光客の方の姿を数多く見かけました。日頃からどれぐらいの方がお見えになっているのか存じませんが、(失礼ながら)それほど来観者がいると思っていなかったのでちょっとした驚きがありました。

 
20120227 3戦火を免れて建築当時の姿をそのまま伝える萬翠荘の建築学的な価値は私の想像をはるかに超えておりました。『神々はディティールに宿る』という言葉がありますが、専門的知識はなくともそれらが尋常ならぬこだわりと意思によって備え付けられたのであろうという事は見当がつきます。フランスに留学し、海外生活の長かった久松定謨伯爵は、新進気鋭の建築士と名を馳せていた木子七郎(きご しちろう)氏にその思いを託して、当時としても斬新な(今でもまったく色褪せしていないと思いますが)フランス風の瀟洒な建物が出来たそうです。ちなみに設計士の木子氏は他にも愛媛県庁や母校・松山大学温山記念館などを手がけられたとの事・・・嗚呼、そんな事など露ほども知りませなんだ、恥ずかしい・・・。松山の観光客の減少が云々と嘆く前に、まずは自分がその地の足を運んでから言えという事を痛感。

 

20120227 4バルコニーを望むこちらの部屋には、かつてお泊りになった皇太子時代の陛下の姿を描いた絵画がうやうやしく飾ってありました。室内の装飾どれもが決して金ピカの豪華絢爛というわけではありませんが、だからこそ光るセンスの良さとエレガントな雰囲気。ただ高価なモノを集めて飾ったというのではなく、どことなく全体の雰囲気から醸し出される本当の『上質』というのこういう事を言うんだろうなあとじみじみ感じました。それは子供たちにも伝わったようです。

 

20120227 5子供が長時間居られる場所でもないと思うのですが、はしゃぎ回るはずの二人が珍しく解説のパネルに見入っていたり、「凄え、凄え」と連発して感嘆していました。小学生の息子は「天皇陛下」という言葉にも漠然としたイメージしかないので、その言葉としての存在観ではなく、この萬翠荘という建物の放つオーラに圧倒されたのかもしれません。たっぷり館内を鑑賞して階下に行くとちょうど最後の合唱の場面。子供たちも心なしか、いつもの会場よりも緊張感が声に出ていたような・・・。これぞまさにパワースポット、木子七郎恐るべし!




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