森のかけら | 大五木材


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この2日間、『キハダ』について書かせていただき、先日の「骨まで食べられる魚」の話の最後に少しだけ「木魚(もくぎょ」に触れたのですが、実はこのキハダと木魚は遠からずご縁があります。木魚の代表格の木といえば『桑』の木で、『今日のかけら』の『山桑』の項目の際にも木魚について少しだけ書かせていただきましたが、今日はその「木魚」の事について改めて木魚を考えてみます。木魚は読経の際に使われる仏具・楽器ですが、そいう宗教的背景には疎いので偏った話になりますがご了承下さい。

まず木魚が日本に根付いた歴史ですが、今から350年ほど前の江戸時代初期に中国から30人に弟子を連れて日本にやって来た隠元(いんげん)禅師によってもたらされ、その後禅宗各派をはじめ各宗にも広がっていったとされています。隠元禅師は、中国は福建省の出身で、福建省にある黄檗山萬福寺(まんぷくじ)の住職でした。当時中国は明代末期で国が荒れていたため、その騒乱を避ける意味もあり、日本からの要請もあり来日し、時の将軍・徳川家綱の知遇を受け京都の宇治に萬福寺を築きました。

中国でもキハダの事は『黄檗』と表わし、本家の中国の萬福寺では寺の周辺に多くにキハダの木が生い茂っていたところから、宗門の人たちが「古黄檗(こおうばく)」とも呼ばれていたそうです。そこから隠元禅師が日本で開山した萬福寺のある地も黄檗山と呼ばれるようになったとか。この隠元禅師が日本にもたらしたのは宗教、木魚だけではなく、隠元豆(いんげんまめ)などもあるようです。つまり中国のキハダの寺の住職が来日して日本に持ち込み全国に広めたのが木魚のルーツなのです。

しかし宗教的な解釈(静かに読経を聴きその意味を考えることを邪魔する)から一時禁令が出ましたが、木魚のリズムが精神統一を促したり、布教活動の手助けとなる、その柔らかい音色が安らぎを与えるなどの理由で再び使われるようになり、現代にまで伝えらています。ではなぜそれが木魚と呼ばれているのかという事ですが、魚は夜でも目を閉じて眠らないことから、昼夜起きて覚醒していると考えられ、修行中のお坊さんも木魚を叩くことで眠らずに修行に励むという意味だそうです。こちらは萬福寺の魚鼓(ぎょく、または魚ほう

明治時代頃までは、木魚は文字通り魚の頭と尾が刻まれていたそうですが、「鯉の滝登り」に由来するようです。「龍門へと続く黄河はとてつもない激流で、魚が遡上しようとしてもあまりの激しさに多くが死に絶えてしまうのですが、鯉だけは川を登りきり、最後には龍になる」という伝説から、木魚の魚も龍の彫刻に変化していったというのです。それで現代では、二匹の龍が玉を争う姿などが彫られています。奇しくも今日は東日本大震災から1年。鎮魂の意味も考える1日です。明日は木魚の素材について。




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