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| 早めに起きたので混雑を避けるべくさっさと電車で移動。難波を出た時には乗客も少なかったものの、次第に人も増えてきて松阪に着く頃には満席に近い状態。お伊勢さんの影響かしらと思っていたら、どうやらこの時期にちょうど三重で全国菓子博覧会『お伊勢さん菓子博2017』が開催されているらしく、それ目当てのか人もいらしたようです。まあそれでも無事松阪に到着。随分久しぶりの松阪です。実は昔はよくここに来ていました。松阪木材がウッドピアとなって移転する前(平成13年に移転)のことですからもう15年以上も前。 |
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初めて来たのは前社長の親父と一緒でした。松阪木材が、岡山の木材市場に浜問屋として出店されたのがきっかけで松阪の尾鷲材を知ることとなり、その後岡山の市場からは撤退されたものの、繋がりを頼りに松阪まで仕入れに来るようになったのです。それまで尾鷲材にはほとんどご縁がなかったのですが、製材所数日本一を誇る三重県の中でも特に製材所が集中する尾鷲からは、多種多様なサイズのスギ・ヒノキの造作材が大量に生み出されていて、乾燥に関して後塵を拝した愛媛にとっては実に羨ましく頼もしい存在でした。 |
| メーカーが多すぎて最初のうちはどれもが同じに見えて、一体どこのを買えばいいのかも分かりませんでした。父親に相場をよく見ておけと言われるも、同じようなサイズの商品がズラリと並んでいて、それぞれが微妙に価格がずれているので、一体何を基準に相場をみればいいのやらも分からないほどに私も未熟でしたが、それほど大量の製品で溢れていました。まだ移転する前の小さな場所が市の舞台でしたので、人が押し合いへし合う中でセリが行われていて、木材市場の活気を身をもって経験させてもらいました。 |
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松阪木材に行くようになって10年ぐらいは、尾鷲ヒノキには随分とお世話になりました。赤みが淡いピンク色で目のよく詰まった尾鷲材は、鴨居や敷居、廻縁、畳寄せ、額縁などの造作材から化粧の柱まで非常に有用でいて、しかも価格的にもリーズナブルで、わざわざ運賃をかけてでも仕入れてくるだけの価値がありました。その価値は恐らく今でも変わっていないと思いますが、弊社の方が変わってしまい、その後徐々にヒノキの造作材離れが進み、新たに松阪にまで仕入れに行くことは少なくなってしまったのです。 |
| さて、出張の機会が少なかった言い訳に一日を費やしておきながらなんですが、今回の旅は仕入れではありません。会いたいひとに会い、行きたい場所に行くという趣味と実益を兼ねた、休みの日だからこそ出来る旅。出先で注文の電話に怯えることもなく、自分だけ遊びに行ってと家族から白い目で見られることもないという、実に都合のいい旅なのです。目的地の『ビーバーハウス』があるのは三重県。松阪牛で有名な松阪市から車で40分ほど南にある多気郡大台町。名前から分かる通り、その先にあるのは『大台ヶ原』。 |
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今回、ゴールデンウイークの最中に訪問するという暴挙にも関わらず、快く訪問を受け入れてくださった武田製材のビーバー隊長こと『武田誠』さん(以後、ビーバー隊長、または隊長)に今回の旅の行程をご相談しました。いつものごとく詰め詰めのスケジュールで、その中でビーバーハウスまで行くのならついでに大台ケ原も行ってみたいのですがなんて、軽~い気持ちで含めていたものの、隊長によればそんな生ぬるい気持ちで行けるような場所ではないとあっさり却下。地図でみればすごそこのように見えても山道なのでそう甘くなはい。 |
| なぜ大台ケ原に行きたかったのかというと、【森のかけら】を作りはじめた7、8年前に参考資料として木の本を読み漁っていたのですが、その中に学研研究社が出版した『週刊 日本の樹木』がありました。タイトル通り、日本のさまざまな樹木を30回に分けて詳しく紹介していくという「学研グラフィック百科」で、ひと月に1冊で足掛け3年で完成するという壮大な樹木図鑑で、【森のかけら】のリスト選定や解説書作成にはとっても役に立ちました。各号でそれぞれに特定樹種を特集し、その木に会える有名な森を紹介しています。 |
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そのNO.26が『タブノキ』特集で、タブノキの群生する森として紹介されていたのが『大台ケ原』だったのです。そこにはブナの森やトウヒの群れの写真に添えられた以下のような文章がありました・・・「かつて吉野の大峰山から大台ケ原を目にした修験の行者の中には、大台ケ原を開山しようと何人もが試みたが、ほとんど失敗して帰ってこなかったという。大台ケ原には魔物の巣窟があって登ってきた者をとって喰うと、麓の村人たちにいい伝えられてきたそうだ。」そう、大台ケ原は『魔物の棲む山』なのである!この話、明日に続く・・・ |
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大のビール好きである高梨君はお約束どおりまずはペルーのビールを注文。ボトルで『CUSQUENA(クスケーニャ)』というペルーを代表すると言われるビールをご堪能。このビールは南米ペルーの街・クスコで作られていて、地元ではとても人気のビールだそうで、名前のクスケーニャというのもその地名から命名されていて、日本語に訳すると『クスコ娘』という意味があるそうです。ボトルの下部にある凹凸は、世界遺産にも登録されているクスコの石垣のイメージなのだとか。 |
| 毎晩の晩酌を欠かさないビールキングの喉も満足させる味だったようで、これは私も探して飲んでみねばなりません。その後もシェフご自慢のペルー料理を楽しまれたようですが、さすがに『かけら大使』だけあって仕事も忘れません。鮮やかな色彩のペルー料理を引き立てるモザイクボードのテーブル、といった趣きでバッチリ写真も撮影いただいたのでこちらでお借りしました。私はまだお店に伺ったことがないのですが、これでお店全体の雰囲気やレイアウトもよく分かりました。 |
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カウンターだけではなくて、テーブルにもモザイクボードをご利用いただいて、すっかりメインの場所を独占させていただき恐縮です。その分、お客様の目に留まり、オーナーとの会話のきっかけにでもなったり、色彩豊かなペルー料理に少しでも花を添えられるような「仕事」をしろよと、生みの親の心配は尽きません。今回、すぐにお店に行って食&モザイクレポをしてもらった高梨君ですが、何度かこのブログにも登場してもらっていますが、『森のかけらフレーム289』を所有する真正かけらフェチ!(念のためですが賛辞!) |
| 前にも東京でご縁のあったお店に出向いて、大量の写真を撮ってきてくれたりと、その仕事ぶりには定評があります(私にとってだけかも・・・)。東京でこうして新しいお店にモザイクボード使っていただいたり、そのお店を『森のかけらコレクター』が訪ねて、そこで知らない二人が遥か愛媛の名もなき材木屋の話をするなんて、私にとって本当に夢のような話。そんな素敵なご縁が少しずつ広がっていって、東京出張の際には訪ねる店が多くて悩んでしまう・・・という妄想で今日も夜が更ける。 |
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★今日のかけら プレミアム004【オリーブ】 Olive モクセイ科・広葉樹・スペイン産
| さて本日は昨日に続いてオリーブの話ですが、ちなみに【森のかけらプレミアム36】に入っているオリーブはスペイン産のものですが、ここでお話しするのは小豆島で育った国産オリーブの話です。まずは小豆島とオリーブの歴史について。四国に来られたことのない方には小豆島がどこにあるのか分かりづらいかもしれませんが、瀬戸内海・播磨灘にある島で、香川県小豆郡に属し、小豆島町、土庄町の2町からなり、人口は3万弱。淡路島に次いで2番目に大きな島です。 |
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こ の島がなぜオリーブの産地になったかというと、今から100年と少し前の明治41年(1908年)に、当時の農商務省がアメリカから輸入したオリーブの苗木の試作をするために日本で3か所が選定されました。なぜそれらの場所が選ばれたのかというと、オリーブの原産地のイタリア、スペイン、ギリシャなど地中海地方に似た温暖な気候の場所であるということと、小豆島については当時沢山獲れたニシン(鰊)をオイル漬けにして輸出する狙いもあったとか。小豆島以外の2ヶ所は鹿児島と三重。 |
| その後、小豆島以外の地域ではオリーブがうまく育たず栽培を断念。小豆島の環境にはうまく適応したようで、順調に生育し、大正時代の初めの頃には搾油ができるほどに地域に定着したのだそうです。栽培農家の努力もあって、その後栽培面積も増えて、昭和29年には県花、昭和42年には県木にも指定されています。しかし昭和34年の農産物自由化以降は、スペインなど海外から安価なオリーブ製品が輸入されるようになって厳しい価格競争の波に飲み込まれることに。 |
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当初考えていたニシンのオイル漬けも、漁獲環境が一変して激減します。ちなみに明治30年には国内の鰊の漁獲量はおよそ100万トンもあって、海藻なども含めたあらゆる漁業の総漁獲量が174万トンだったので、全体のおよそ6割をニシンが占めていた計算になります。個体数で換算すると、約30~40億匹という天文学的な数字!しかしその後ニシンは急速に獲れなくなり、「あれからニシンは どこへ行ったやら ~♪」と石狩挽歌で歌われたように激減の一途を辿ります。 |
| いよいよ本日が長かった北陸紀行の最後となります。実質3日の旅でしたが、過去にないほどの中身が充実した旅のご紹介に費やした日数、実に延べ84日。つまりわずか3日間の出来事を、ダラダラと3か月近くも書き連ねてきたこととなります。ちょうど仕事の事で慌ただしいことがあったりと紆余曲折もあり、時系列通りにいっていないこともありましたが、どうにか次の大阪の全国大会までには終えることが出来ました。ほとんど1年前のことなのによく覚えていたなと言われますが、きっちり書くつもりだったので記憶は定か。 |
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まあそれほどまでに魅力的で充実した北陸の旅だったということです。それもこれも村本さん、四住さん、圓道君、角永君はじめこの旅でお世話になった多くの方のお陰です。私は20年ほど愛媛木青協に所属させていただき、確か2年目の岡山大会(その前年が、今のところ北海道での最後の開催となっている札幌大会だったので、今さらながら行っておくべきだったと悔やんでおります)からずっと全国大会に参加し、唯一石川大会だけは喪中で参加できませんでした。その時以来の北陸となったこともあり感慨もひとしお。 |
| 当初は全国大会に行っても先輩方の後を金魚のフンのようについて回るだけでしたが、少しずつ慣れもできてくると、わざわざ遠くまで行くのに、会場と繁華街だけでは面白くないと、勝手に行程の前後にスケジュールを組み入れて単独行動を取るようになりました。会団の行事なのだから会団単位で動くべきだとお叱りを受けたこともありますが、高いお金を払ってわざわざ地元と同じ顔触れで、地元に居ても交わせる話をするなんて勿体ない!という私の中のモッタイナイは暴走。大会の参加費が高いだの交通費・宿泊費がどうのこうの、何もリターンもないだの議論はきっと愛媛だけのことではないかと思います。確かにただただ先輩方の後ろについていくだけの「参勤交代」ではほとんど得るものはないでしょう。 |
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高い出費と徒労感が残るだけかもしれません。それは誰のせいなのか?結局それは自分のせい。全国の会員が一堂に会する大懇親会の席ですら、地元会団で固まって他の会員に溶け込もうとしない、愛媛の控えめでおしとやかな性分といえば聞こえはいいかもしれませんが、商売人としてどうなのか。折角の全国ネットワークを生かさないなんてモッタイナイというところから初めた、全国大会に絡めた勝手な全国木のもの行脚が、卒業後にこうして若い会員たちと共にできたことは望外の喜びでもありました。 |
| 最後の最後の場所が、木のお店『もく遊りん』さんであったということも運命的なことのように感じております。店内中央部に鎮座ましましていたのは、長さ10mはあろうかというマツの大木。20人ものひとが一度に座れようかという巨大なテーブルに仕上がられておりましたが、これは大迫力!製作や搬入を考えれば身近なテーブルを何台か並べたほうがいいに決まってはいるものの、あえてこの一枚板の巨大テーブルにこだわったところに材木屋としての気概と矜持を感じずにはいられません。住宅だけに限らず様々な分野での木の使い方、出口探しに邁進しているところですが、こういうモノを見てしまうとやはり血が騒がずにはいられません。最後の自分の原動力に根っこにあるものも再確認できた実り多き旅でした。最後までお付き合いいただき感謝致します。 |
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