森のかけら | 大五木材


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4月4日は地元のローカルルールで、会社はお節句休みでした。もう40年も続いている慣習なのですが、毎年県外の取引先からは「会社の電話が通じないが何かあったのか?!」と同じ質問をいただいております。つぶれたりしたわけではないのでご安心ください。ところで、年に数回あるかないかの平日の休みで、子供たちもちょうど春休みで、女子チームは遠方にお出かけしましたので、久しぶりに息子とふたりで映画を観に行くことに。珍しく二人の意見が一発で一致して決まったのが『キングコング 髑髏島の巨神』!

そういえばここしばらく仕事が忙しいこともあって映画館からすっかり足が遠ざかっていました。嗚呼、映画館の中のポップコーンとジュースの混ざり合った甘ったるい匂いが郷愁を誘う~。朝一で並んでいい席を確保しようと意気込んで中に入ってみれば人もまばら。うちは節句休みでも世間は普通の火曜日の朝。いきおい休んでここに座っている自分が不安にあっているものの、今どきどれぐらいの会社が節句休みしているのかよく分かりませんが、周辺の大工さんは休んでいるので、いいんだぞと自分を納得させます。

そんなもやっとした不安は、コングの咆哮によってすぐに吹き飛ばされました。なるべく事前情報を入れないようにしておいたものの、映画の予告編で既に全身を見せるという怪獣映画のタブー破りはかなりの自信の現れだと理解し、相当に期待して臨みました。結論から先に言いますと、親子で大満足!コングが暴れるシーンはほぼ昼間で、昔の怪獣映画にありがちな「暗闇の中で想像力をフル回転させながら妄想の怪獣を楽しむ」という、予算不足を想像力で補うという観客の思いやりは一切不要でした。

CG技術のレベルの向上のお陰で、明るいところで全身を思いっきり見せながら戦うというのが昨今の怪獣映画の流れのようで、むしろここまで作りこんでるぞ~!とこれみよがしに見せつけられるので、昭和の怪獣世代としては何か気恥ずかしさすら感じてしまうような不思議な感覚。まあそれでも、こういう様々な種類が登場する怪獣映画ではありがちな、なぜあいつと戦わないんだ~というマッチメイクの緩さによる消化不良もなく、まんべなく「敵」とたっぷり戦ってくれて怪獣ファンの溜飲を下げてくれたのです。




材木屋仲間同士で話をするとき、「木材を何で売るか?」という話になって、「わが社の最新鋭機機械で作った高精度の品質で売る」とか、「全国に張り巡らした流通ネットワークで売る」とか、「昔ながらの杢や木味などの目利きの力で売る」、中には「競争力のある大量仕入れの低価格が売り」など、ひとそれぞれですが、私は「木を言葉で売りたい」。何をそんな綺麗ごとをほざきやがってと思われるかもしれませんが、9年間このブログを書き続けてきた材木屋として選んだ「私が材木屋として生きる唯一の道」。

誰だって言葉で営業して木を売っているわけですが、私が言いたいのは表層の価格的な交渉や品質、ボリューム、納期などを語るための記号的な言葉ではなく、その木の背景にある歴史や逸話、伝承、またその木の名前の由来や昔ながらの用途、名前にまつわるエピソード、本当のような嘘のような都市伝説ならぬ樹木伝説、そしてこの木が誰の手を通してうちにやってきて、ここでどう過ごして、これからどうなっていくのかといった個別の履歴などなど。「そんな話が木を売るのに必要か?」とよく問われます。

必要ないかもしれません。そんな話はどうでもいいから1円でも安いほうがいいわ、その方が施主さんのためや!そうかもしれません。だからそういう人はそういうお店で買われればいいと思います。サクサクっと木を安く買って帰りたいだけの人はそうすればいいし、そんな話を聞いたからといって何の得になるわけでもありません。でも私は思うのです、自分が魚を買うときは魚が好きでたまらない、あのタレントのさかなクンのような人から買いたいと。自分が肉を買うときは肉が好きでたまらない肉屋から買いたいと。

自分の扱っている商品のことをキラキラした目で一生懸命に話すそんな人から、そんな人が扱うものを買いたい。それが少々高くても、味が決してNO.1ではなくてもいいんです。大事なものは、自動販売機からではなく、ひとから買いたい。その仕事が(バカみたいに)大好きで、自分の商品に(バカほど)愛着と誇りを持っていて、お客さんが飽きれるほどに語りすぎてしまう、そんなひとから買いたい。だから世の中には、木を買うときには、価格だけではないものを求めている自分と同じようなひとだっていると思うのです

まだまだ収斂が足らず、木の深みには辿りつけていません。恐らく一生かかってもその深みを知ることはないのかもしれませんが、大好きな木の話をすることが仕事であるという今の状況は私にとってもっとも居心地のいい場所なのです。木の話をするとき、私もまた心が高揚し、恍惚の中にいます。幸せな仕事だと感謝しています。材木屋の仕事が天職だと思っています。昔であれば想像もつかなかった方法で木を売ろうとする愚息の事を、父は空の上からどういう気持ちで見ているだろうかとふと考えた、まだまだ尻の青い51歳の春。




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