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地球から2億2530万キロも離れ、水も食料も通信手段も無い孤独な極限の環境下で、人は果たしてどこまで希望を捨てずに前向きになれるものか。心さえ折れなければどんなに辛くとも困難が待ち受けていようとも生きていける。冷静な男の心の中で、闘志の炎はメラメラと燃えあがっていたのです。主人公もポジティブなら撮るほうだって嬉々としていて、リドリー・スコットがカメラの向こう側で喜色満面な笑みを浮かべながら嬉々としてメガホンを振っている姿が透けて見えます。
それはまるで、ピタゴラスイッチ火星版のごとく!持ち込み企画に比べると、相当に肩の力が抜けて、いや抜けきっていて、まさかこの舞台設定でこんなに明るい気持ちで観れる映画だとは想像もしていませんでした。宇宙空間に取り残される映画は過去に数あれど、ここまで主人公がポジティブな映画は初めてではないでしょうか。あまりに前向きすぎて、もはやそこは地球から2億2530万キロも離れた火星ではなく、どこかの無人島からの脱出譚ではなかろうかと勘違いするほど。
また、主人公が植物学者という設定で、火星で植物を育てるという行為が斬新だと言われましたが、火星で取り残された男が植物を育ててそれを食料として生き延びていたというのは、大酷評された『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年公開)で過去にもブライアン・デ・パルマが描いています。そちらも火星での大砂嵐で独りの隊員が取り残され救出に向かうという内容ですが、作品を貫くテンションは相当に重く、デ・パルマ何があったんだ~!と叫ばずにいられない内容・・・。
更に宇宙空間で植物を育てる映画の始祖としては、もっとずっと昔の1972年に作られたアメリカ映画『サイレントランニング』があります。監督は、『2001年宇宙の旅』の特撮で一躍その名を世界に知られたダグラス・トランブル。この映画、もともと低予算映画で作られたのですが、先行して封切られた企画映画が興業的にコケたことから早々に公開が打ち切られ、何と日本では1979年にテレビの日曜洋画劇場で初めて公開されたという幻の名作なのです。明日はもう少し詳しく・・・
久し振りの映画館。観るのは巨匠リドリー・スコットのSF映画『オデッセイ』!ついこの間、巨匠の歴史大作『エクソダス』を観たと思ったいたのですが、気がつけばもうあれから1年が経過・・・。一昨年の『プロメテウス』から毎年コンスタントに新作を披露していただけるのは本当に涙が出るほどありがたいことなのですが、もうすぐ80歳にならんとする巨匠のバイタリティの旺盛さには驚くばかり。さて今回巨匠が取り組んだのは、独り火星に置き去りにされた宇宙飛行士の物語。
いつもは自分が撮りたい映画を撮る巨匠ですが(世界中でもそんな事が出来る監督は本当にひとにぎり)、今回は原作の映画化権を獲得した20世紀FOXが、別の監督に撮らせるつもりで予定していた企画が頓挫して、リドリーの元に持ち込まれたものだということで、いつもの巨匠のタッチとは随分と違うものになっていました。火星での探査中に砂嵐に襲われて行方不明となり、死亡したものと判断され取り残され、地球から迎えが来るまでの火星でのサバイバル生活が描かれます。
限られた酸素と食量しかない孤独の火星での生存は、無謀で過酷で悲惨で危険な事のはずなのに、取り残された植物学者マーク・ワトニーのなんとアグレッシブでポジティブなことか!誰もいないはずの火星での暮らしは、無言映画の危険をはらんでいるものの、陽気に歌を歌い、不自然なまでに独り言を繰り返し、いないはずに誰かに語りかけ、その姿はまるで科学実験室で研究に取り組むエキセントリックな博士のごとし(お約束の爆発まであるし)。まさにドクター・ストレンジラブ!
映画の原作となったアンディ・ウィアーの小説『火星の人』は未読ながら、これは脚本部分と現場でリドリーの意図でかなり大胆にテンションが代えられたのではないかと思うのですが。本質的には、いつもの『主人公が過酷なまでの運命に立ち向かうドラマ』であることは間違いがないものの、主人公を演じたマット・デイモンの怪演もあって、いつもの陰鬱さや深刻さ、そして何より過去の作品の中でも相当に絶望感漂う設定でありながら、悲劇性がほとんど感じられませんでいた。
それから月日が流れ、間を持て余す(!)ご祈祷の際に何気に見上げた扁額に懐かしい言葉と再会。記憶の言葉と重ねてみると、どうしても「非ず」という言葉に該当する言葉が見当たらず疑問が残りつつも、ご祈祷の後に行われる宴で忘れ去られることになっていました。それがある年、その後に仕事が入っていてお酒を飲まない時があって、いつもの疑問を忘れないまま帰宅して調べて分かったのですが、あれは意図的に漱石が主人公にそのように読ませた解釈だと分かったのです。
つまり友人の妻に手を出すという人の道にも劣る行為を自ら正当化させるために、誠の道というものは天にあるのかもしれないが、それはあくまでも綺麗ごとの理想論で、人を好きになるというのは理屈ではないのだ、ということから「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」と読ませたのだという事。好いた惚れたの道は天の神様の理屈では理解できない、俗世間の人の道でござい、とでも言いたかったのでしょう。ただの詭弁であり、あまりにも身勝手な自己弁護でしかなかったのです。
それが分かってからDVDでこの映画を観直すと、まあ相当に自己陶酔した軟弱で刹那的な主人公の不倫正当化映画であった事に気づかされました。若い頃は、ところどころに意味ありげにインサートされる謎のカットの映像イメージや、松田優作、小林薫、中村嘉葎雄、風間杜夫、草笛光子、笠智衆などの芸達者な役者の演技合戦、そして奇跡的な美しさを放っていた藤谷美和子の美貌などに目を奪われて、よく分かっていませんでした。なにより不倫がどれほど獣の道であるかなども理解できず・・・
気ままな生活を送る主人公・代助たちの事を、『高等遊民』と呼んでいたことから、そんな生き方に憧れを抱くほどに子供でもありました。それ以来、誠の道というものは天の道であって人の道ではないという言葉にどう正当性を持たせて、神社に飾られるほどに奥深いものであるのか、理屈だてるのに長らく時間を費やしました。そので自分なりに考えた結論は、人殺しや諍いの絶えない人の世に誠は無く、誠の道は天にしかない。ゆえに天を目指せと理解せていたので、まんざら間違いでもなかったかと。
先日、地元で新年恒例のご祈祷という行事がありました。町内にある阿沼美神社に集まって、地区ごとに分かれてお祓いを受けるもので、毎年1月の第三に日曜日に開催される神事なのですが、これをしないと新しい年を迎えた気分がしないほどに、私もすっかりここ平田町の人間になりました。この地に住むようになってからもう30年近くになりますので、この神事もすっかり新年の風物詩として体に染みついてきました。このご祈祷の話もブログを始めてから毎年書いている気がしますが。
毎年このご祈祷の際にここに座ると、目に入るのが阿沼美神社の名前が縦書きに彫られた扁額の上に、横書きで『誠天道誠思人道』の言葉が書かれた扁額。が飾ってあり、いつもその言葉を見ては思い出す映画があります。『中庸』という古典に書かれた言葉で、原文は「誠者天之道也。誠之者、人之道也」。「誠は天の道なり。之れを誠にするは人の道なり」と訳されています。この言葉を見ると必ず思い出す映画があります。森田芳光監督、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』。
その映画の中で、松田優作演じる主人公・ 長井代助が、兄に金の無心に訪れた際に壁に飾ってあったこの言葉を呟くシーンがあります。30歳にもなりながら職にもつかず自由気ままな生活を送る代助が、その言葉を目で追いぼそっとつぶやきます。「誠の道は天の道なり、人に道に非ず」。漱石の原作にもあるのですが、これでは本来の意味とは真逆の解釈となります。本来の意味は、誠とは嘘偽りのない真心、つまり天の道である。その天の道を素直に受け入れて誠にするのが人の道だというもの。
それを、敢えて逆説的に主人公に語らせたのは、この物語が友人の妻に惚れて略奪するという「格調高い不倫小説」だからです。初めてこの映画を観たのは大学生の頃で、この『中庸』の言葉の意味も、後に文化とまで言われる不倫の「高尚さ」すら理解できませんでした。この言葉の意味を気にするようになったのは、実はご祈祷に参加するようになってから。当時言葉の意味はよく理解できずとも、優作の口から発せられる言葉が耳に心地よく、意味深な言葉だけは記憶していました。
本日もキリの話の続編ですが、日本で一番軽い素材という特徴に立ち返ってキリの出口を考えた時に、あるひらめきが!ただし少々味付けに時間と手間がかかるので、まだこのブログではお知らせできません。材の出口を考えるときに煮詰まると、原点に返って先人たちが引き出して使ってきた材の特徴に立ち戻って考えるに限ります。その中から、今風に少しアレンジさせて物語が盛れるものがないのかを考えること。キリの新商品については、完成後改めてご報告させていただきます。
ところで、私はリアル生物を触るのは大の苦手ながら、観察することには大いに興味があります。特に昆虫は沢山の種類があって、虫に関わらず同属の多様な種類を集めたくなる『種類コレクター』にとってはとても魅力的な素材なのです。自分で作るのは得意ではありませんでしたが、虫の標本には強く心を惹かれました。まあいわば【森のかけら】も同じような系譜に連なると思います。さて、そんな私の中で、「観るだけの虫」について覚醒させたのはある一冊の漫画。
それが手塚治虫先生の『ミクロイドS』。綺羅星の如くヒット作のある手塚作品の中においては決してメジャーな作品ではないと思いますが、私は大好きでこれで(リアルでない)虫にはまりました。ちょうど雑誌に掲載されたものをリアルタイムで読んでいた世代(1973年少年チャンピオン連載)なので思いも強いのですが、長期連載が多い手塚作品としては単行本3巻にまとめられた中編で、個人的はもっと連載を続けて欲しかったので、子供心に残念だった記憶があります。
内容は、蟻が異常進化した種族「ギドロン」が人間に牙を向くのですが、人間の赤ん坊をさらってきてミクロ化人間として改造されギドロンの奴隷として育てられた種族「ミクロイド」の中の心ある3人が、人類の未来を救うために理解ある人間と協力してギドロンと戦うというもの。後に手塚自身の手によってアニメ化もされましたが、かなり残酷描写や自然破壊に対する強い警告もあるメッセージ性の高い漫画に比べて、アニメはかなり甘ったるい味付けになっていてガッカリ。
漫画の方が圧倒的に面白くテーマも深いのですが、40数年前に自然界からの報復を描き、それは今読み返してみてもまったく色褪せるどころか、ますますその危機は現実的になりつつあるのですからさすが巨匠の慧眼!この中で、人間側に味方するヤンマを追うのは、ギドロン側についた実兄のジガー。そのジガーを助けるべくギドロン側から5人(匹)の刺客がお供するのですが、そういうシチュエーションが大好きで、そのあたりにきっと【森のかけら】の原点があったのかと。
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