森のかけら | 大五木材


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20110920 1本殿の特別拝観に際しては、改装中の神様のお住まいを覗かせていただくわけですから、服装の制限などいくつかの注意事項があります。当然、携帯電話の着信音や撮影の禁止事項もあり、もの凄く撮りたかったのですが、そこはマナー遵守。しっかりと目に焼き付ける事としました。本殿を囲むように足場が組んであり、大屋根の軒先に触れることの出来るくらいの距離で見ることが出来ます。職人さんたちが檜皮(ひわだ)を葺いておられましたが、気の遠くなるようなボリュームに圧倒されます。1m近くもあるぐらい積み重ねられた軒先の檜皮の美しい事!優雅な曲線美。軒先の檜皮から垂れ落ちる水滴にさえ神々しいものを感じてしまうのは、前日の講演で聴いた、木1本石1つが神の依代(よりしろ)であるという言葉のお陰でしょうか。実際の写真がないので、階段が最も長い復元モデルで下から煽ってみました。臨場感伝わるでしょうか?

 

20110920 2さて、木造りである事の意義に感銘していたところ、一緒に拝観していた別の初老の団体の方々がデジカメを持ち出し次々と撮影を始めました。えっ、撮影禁止なのに?!本殿の反対側にいたので声も掛けられませんでしたが、悪びれる様子もなく何人もの人がカメラを持ち出してパシャパシャと・・・。禁止事項の説明は受けているはずなのに、マナー違反には呆れます。しかも神聖な御本殿であるにも関わらず、いいお年の方々がそんな礼儀すらも守れないとは情けない・・・。

 

20110920 3前日の講演でも錦田神主が最後に、「誠実で正義と礼節を重んじる日本人の美意識が出雲大社の信仰を繋げてきた」という趣旨の事を仰られていましたが、誰かがしているのだから私も・・・そういう発想が多いように感じられます。かくいう私もパパラッチまがいのような撮影をしており、他人様の事を注意できるような資格のある人間ではありませんが、せめてこういう場所で事前注意を受けていてそれを犯すのはどうしたものかと。誰かがしているから自分もしないと損、そんな空気が世間を支配しているような。

 

20110920 4結局、罰金などの強制力をもったような法律などがなければ歯止めが効かなくなり、その挙句に「象は映画館に連れて入ってはいけません」などのようなトンチンカンな注意を真顔で促さないと、「聞いてなかった、書いてなかった」なんて反抗され、やがて街中至る所に注意や禁止事項を喚起する紙が貼り出される事になったりして・・・昔のブラックユーモアがリアルになりつつあります。チーム愛媛は、マナーに従い本殿拝観を終えてから撮影可の場所で仲良く揃って記念写真。おお、人数が多いと壮観ですな!

 

20110920 5亡くなった私の母親はそういうところが厳格で、子供の頃に悪さをするとよく「誰も見ていないようでも天の神様が見ている」と躾(しつ)けられました。後々その言葉のルーツが、中国の「後漢書」に出る『天知る、地知る、子知る、我知る』からきている事を知りました。いろいろな言い方があるようですが、私は韻の繰り返しがリズミカルな『天が知る、地が知る、我が知る』という言い回しが好きです。昔、地方の地方の役人であった楊震という人物に賄賂を差し出したところ、誰も見ていないといっても天が見ている、地が見ている、そしてお前も私も知っている、それで誰が知らないといえようかと諭した時の言葉で、その高潔さを讃えた故事です。そういう誠実さがこの出雲大社の根幹を成しているんでしょう。今の政治の世界でこそ噛みしめていただきたい言葉です。私も自戒の念を込めて改めて肝に銘じておきたいと思います。




20110919 1もう少しだけ出雲の話。大会の翌日は、平成25年の御遷宮に向けて改修工事中の本殿の特別拝観をさせていただきました。一般に公開されていた拝観は終わっているのですが、出雲会団の皆さんの粋な計らいで特別に拝観させていただく事となりました。記念式典、懇親会が終わると、それで翌日は解散、エクスカーションとして時々有志のゴルフが組み込まれるのが慣例でしたが、今回の拝観にはなんと100名を越す参加者があったそうで、さすがは出雲大社の御威光!

 

20110919 2出雲大社が天下無双の巨大木造建築だった事は昔から語り継がれていましたが、その根拠が乏しく信憑性が疑われていましたが、平成12年に古代の御本殿中央に位置する三本束ねの柱が発見された事で、一気にその伝説が現実のものとなりました。その後、多くの研究者が幻の御本殿を復元する試みがなされましたが、どれが正解なのかは結論は出ていませんが、こういう太古のロマンって結論が出ない方が楽しいものです。個人的には最大サイズに1票!

 

20110919 3大会会場のホテルに復元モデルの1つが展示してありましたが、これが現実としたら高さ16丈(約48m)にも達する本殿は、当時の感覚からすれば人智の及ばざる神の領域だった事でしょう。高所の苦手な私としては、もしこれが復元されていたとしたら、そこでの特別拝観は遠慮申し上げた事でしょう。これが建造できたかどうかという技術論は別にして、天にも届かんとするその異形は、さぞ畏怖の象徴となった事でしょう。木同様に大きなるモノはそれだけで偉大です。しかも木造です!

 

20110919 4さあ、それでは現代の御本殿へ。拝観前にはきちんとお祓いを受けて、総勢100数名が2斑に分かれて御本殿へ。首から浄掛(きよかけ)を掛けて御払いを受けるのですが、そこに染め抜かれたのは、弊社の昔のロゴマークと酷似した「六角形に大の文字」。弊社は五角に大(大五。いきなり出雲大社にご縁を感じてしまうのです、単純ですから。でもきっと「ご縁」ってそんなものだと思うのです。ごく身近にあっても気づかない事もあるし、ある日突然それに気づいてビックリしたり、世の中あらゆるものが繋がっています。




2011018 1中四国大会の有意義な基調講演の後は、恒例の大懇親会。若い時は、注がれたグラスの一気飲みが名刺代わりの挨拶でしたが、もうさすがにそんな飲み方はしなくなりましたし、たくさんの友人と顔見知りになって配る名刺の数も激減しました。今はすっかり異業種の方々からいただく名刺の数の方が多くなりました。何だかそれも寂しいような・・・。弊社のような零細企業から、日本を代表する大企業までが「木」という関連性だけで一緒に活動できるのが木青連の醍醐味。

 

2011018 2日木青や中四国地区に出向していた時は、役員会などを通じて年に4度も5度も顔を合わせていましたが、出向もしなくなると途端に「お久し振り大会」になります。最近はフェイスブックもあって、平素からメールのやり取りも頻繁になりましたが、やはり膝を交えて盃を傾けないと「距離感」を埋めれません。逆に言えば、盃さえ交わせば一気に懐かしさは厚かましさに変身します!雲の上の存在のこのようなお方ともフレンドリーにご挨拶出来るのもこの会の真骨頂、銘建工業㈱中島浩一郎社長と奥様。

 

2011018 3中島社長や山下木材㈱山下豊社長、牧野木材工業㈱牧野淳一郎社長方が現役会員だった頃の美作木青協は、まだ新入りだった頃の私にとって、近寄りがたき遥か雲の上の憧れの存在でした。それは今でも変わりませんし、当時から美作イズムは愛媛木青の永遠の目標でもあります。美作会団は50歳が定年ですので、若干の世代のズレはあるものの、そのエッセンスは昨年の中四国地区長の安東真吾氏㊨に連綿と受け継がれています。いつまでたっても美作会団は永遠の目標、ライバルです!

 

2011018 4この大会で、次年度の大会開催地や全国大会のPRなどが行われるのですが、残念ながら来年はその場に自分がいないと思うと、少しは卒業の実感が湧いてきます。中四国大会は来秋に岡山県にて、全国大会は三重県津市にて開催予定です。私が入会した年の全国大会が北海道で、それから次の北海道大会を心待ちにしていたのですが、諸般の事情で卒業に間に合いませんでした。皮肉にも再来年が北海道大会。再来年の吉田良弘日木青会長㊨のご活躍を遠く四国の地より祈念しております。

 

2011018 5その吉田会長の隣で満面の笑みを浮かべて親指を立てているのも美作の山下昭郎君。どうしてこうも美作の方ばかりになるのか不思議ですが、間違いなく次世代の日青連を背負っていく男です。今秋には待望の二世も誕生との事、一層張り切って活躍される事でしょう。中四国地区もすっかり若返りが進み、初めて見る顔も増えてきました。ビールグラスの乾杯が繰り返される中、私は日本酒をチビチビして交流を深めております。懇親会の終了後には、愛媛会団で舞台に集結して記念写真。いや~若々しいですな~!時代は確実に流れています。




20110917 1愛媛木青協に入会以来、中四国地区大会には1回も欠かさずに参加してきました。今回が21回目にして最後の大会です。中四国地区には現在12会団あり(以前は14会団)、地区大会は各会団が順番に主催する慣例となっていましたが、会員数の減少などから辞退する会団もあったりして、本来12年に1度のペースがやや短くなっています。そのため21年の間に、松山でも2度開催されており、出雲も前回は11年前の開催でした。今後は更に短期間で順番が回ってくるような状況になりそうです。

 

20110917 2数年前から異業種の方々との交流が深まるようになって思うのは、こういうきっちりした形のセレモニーを主催しているかいないかによってさまざまなイベントでの応用が出来るという事。若かりし頃は堅苦しい形式が嫌でたまらない時期もありましたが、歳を重ねるごとに区切りとしての儀式や形式の大切さが分かってきました。そのあたりは、さすが神の国・出雲の会団、周到に準備されピシッと引き締まった大会となりました。約120名ほどの参加者がある盛大な会です。

 

20110917 3中四国地区以外の地区会に参加したのは数度しかありませんが、結構参加人数も10数人とかの少なさで、ただ冠だけ地区大会という寂しいところもありましたが、中四国地区においては年間最大行事の区切りとして、伝統がしっかりと継承されています。愛媛も昨年、今年入会の若手が多数参加してくれて、会の雰囲気を味わった事と思います。こういう事は、いくら口伝で話してもなかなかそのエッセンスは伝えきれるものではありません。「百聞は一見にしかず」時間を差し出さねば得れない物はたくさんあります。

20110917 4今、出雲は来るべき出雲大社の御遷宮に合わせて工事が急ピッチで行われています。その関係もあって、式典の後の基調講演は、島根県神社庁主事であり万九千社・立虫神社弥宣でもある錦田剛志氏によるご講演が組まれていました。演題は『伊勢神宮と出雲大社の御遷宮 ~永久(とこしえ)の祈りと木の文化~』。平成25年に、奇しくも伊勢神宮の20年に一度の第62回式年遷宮と出雲大社の御遷宮が重なり(昭和28年以来)、しかも来年の日本木青連の全国大会が、その伊勢神宮のある三重県(津市)で開催される事もあって、信仰と壮大な木造建築の関わりなどについて、実に分かりやすく明快にお話いただきました。今まで全国大会はじめたくさんの講演を拝聴しましたが、私にとっては心に響いた素晴らしいご講演でした。

 

 

20110917 5空飛ぶ神主さん』の別名もあるほど、全国各地に赴きご講演をされているのもうなづけます。神とか信仰という目に見えない非常に特異に分野を、我々にもわかりやすい言葉を用いて、ご自分の実体験を交えてお話いただきましたが、「祭事の中で感極まり涙された話」とか「出雲大社が天下無双の建築物であるという話」など、よく信仰の話にありがちな説教臭さは微塵も無くて、随所に笑いも散りばめながら、身振り手振りも交えて聴衆を惹きこむ話術は圧巻。プロフィールを拝見するとほぼ同世代。学ばねば・・・

 

20110917 61本の木、ひとつの石にも神が宿る『依代憑代(よりしろ)』という思想、我々の命はやがて土に還るが、魂や文化は永遠に続くという思想が木の文化であり、遷宮の心であると。個人の家の材を扱っていると、寺社仏閣は別次元のような感覚ですが、木の家に住むという精神性は相通ずるところがあるのだと感じました。住宅の精度や性能などが競われ、床の間さえもただの1スペースと解釈され、随分その品質的な意味合いが薄れてきています。こういう事を契機として改めてよく考えてみなければならない事がたくさんあります。とても意義ある素晴らしい講演でした。




20110916 1今年は台風が多い年です。また発生した台風に道中の安否を心配しながらも、私にとって現役会員として最後となる『第40回中四国地区会員出雲大会』に、愛媛の会員10数名とともに貸し切りバスで出発。我が愛媛会団においては、今年度に中途で更に2名の新入会員があり、遂に会員数30名の大台が目前に迫る勢い。かつて、会員減少に歯止めがかからず、定年延長(現行は45歳)が会の協議事項の争点であった時代を思えば、青天の霹靂です。

 

20110916 2道中、大雨の影響で高速道路で土砂崩れが発生し、高速道路が通行止めになるハプニングはあったものの何とか無事に出雲に到着。以前は遠方の大会に車で参加する場合によくバスを使ったものですが、貸切バスでの移動は久し振り。こういう形で会員が「時間と空間を共有」する事で不思議な連帯感が生まれます。スポーツ系の会と違って明確な目標の無い当会において、大きな大会に皆で参加するというその行為そのものが(その道中、大会、懇親会すべての体験)、モチベーションを高めてくれます。

 

20110916 3新入会員も増えてありがたい反面、数年先には愛媛木青連在籍年数5年以下の会員がほとんどという状態になってしまいます。世代交代にはつき物の一場面ではありますが、中四国地区や全国との絡みもありますので、今のうちの伝えておかねばならない事もあります。毎月の例会やその後の懇親会の席で、魂の伝承・継承には努めてはいるものの、物事には光と影があり、表と裏があります。裏の影の部分を伝えるにはこういう場面が最適!

 

20110916 4以前にアップしましたが、昨年は出雲の地に2度に来ました。今回の出雲大会で延べ何度目の出雲になった事でしょうか。家族旅行も含めて6度目か7度目・・・。初めて来た時には、まだ高速道路も未整備でよくぞここまで来たものだというのが実感、「出雲遥かなり」と思ったものでした。あれから多くの先輩、友人と出会い、たくさん勉強させていただきました。私にとって木青連活動の最後の中四国大会の地が、ご縁結びの地・出雲というのも不思議なご縁です。




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