森のかけら | 大五木材


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20100815 天然撮影装置①や正月に故郷に帰省するとネットの通信環境が万全でないので、アップが遅れてしまうのですが、その分自然のネタはたっぷり仕入れする事が出来ます。今回も3日間ほどの里帰りでしたが、数百枚の及ぶ膨大な画像を撮りまくりました!今更ながらというよりは、このブログを始めてから「手持ちの画像」をストックしておきたいという欲望から、様々な日常生活における木と関わりには常に注意を払っているのですが、松山にいると探して出掛けて見つかるという感じですが、実家の周辺にいるとカメラを向けた先が全てネタになると言っても過言ではありません。この数年来、『久万郷』さんとの関わりから、久万高原町に出かける事が多く、山に行くといつも絶好の撮影現場だと思ってきましたし、実際に数多くの山や森の風景を写真に収めてきました。

 

20100815 天然撮影装置②私の生まれ故郷・西予市野村町も久万高原町に負けず劣らずの山に囲まれた田舎ですが、実家周辺には林業で生計を立てているという家はなく、農業や商業が中心です。なので、同じ山の町といっても久万高原町のように、伐採をローテーションに組み込んだ商業ベースの山林とは違い、そこに『山が在る』といった感じの手付かずの山林なので、自然の風景といえば聞こえはいいかもしれませんが、手を入れる価値がない(そんな事をすれば大赤字になる)というのが現実の放置された山なのです。

 

20100815 天然撮影装置③ところがこれもモノの見方だと思うようになったのですが、急斜面に育ちヒョロヒョロで曲がりくねっているため、伐採したとしても製品価値がなく、市場でも値段がつかないでしょうが、そういう環境に育っている木だからこそ、自然の風景の写真の中にはピタリと納まります。以前から久万高原町の山を撮影していて何か違和感を感じていたのは、「きちんと手入れが継続され整然と管理された山」と、自分が育った「手入れもされていない放ったかされた山」との差だったように思います。どちらが良い悪いかという事ではなく、自分には故郷の「手入れもされていない放ったかされた山」の方が身近に親しみを覚えるのです。その山には名前も知らないたくさんの木々や草花が雑多に生えています。 林業や製品としての価値はほとんどゼロだったとしても、「写す山」、「撮る山」としての存在価値は実はたくさんあるのではないかと思うのです。

 

20100815 天然撮影装置④私が故郷の山を撮ったときに感じる『不思議な座りの良さ』に共感する人は案外多いのではないかと思ったりするのです。素人カメラなので、技術がないからこそ裸の山の姿に妙な安心感を抱いたりすることってないでしょうか。【森のかけら】で、端材の中から新たな価値を見出そうと格闘してきましたが、お陰でモノの見方がすっかりひねくれてしまったようで、国道よりも田んぼの畦道や舗装されていない凸凹道を選んで歩くような性格になってしまいましたが、それだからこそ見えたり、感じたりする事もたくさん出来ました。

 

20100815 天然撮影装置⑤吉野や天竜などの日本を代表する大林業地帯の山林風景に、以前から妙な居心地の悪さを感じていましたが、その理由も分かったように思います。小さな頃から網膜に、体に刻まれた風景には、経済価値以上の愛着価値があるものです。ならば、伐って建築資材や土木資材にするという出口以外の価値、例えば天然撮影装置としての存在価値などがあってもいいんじゃないかと思います。口で言うような簡単なものではないのは重々承知ですが。決して宣伝ではありませんが、財団法人・愛媛の森林(もり)基金主催の『第16回えひめの森林・林業写真コンクール』などは、まさにそういう意味では天然撮影装置にはうってつけの舞台であり、出口のひとつだと思うのです。森の価値は、そこに在る多様な植物の数だけあるはずです。




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