森のかけら | 大五木材


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昨日の話の続き・・・私自身は、アナログ人間なので紙媒体をせっせと集めたくなるタイプなので、様子を見に行ったつもりが、ミイラ取りがミイラになるパターン。ビニール袋詰め放題コーナーで、かつて揃えていた『あぶさん』に手を出してしまいました。それだけでなく、傍にあった映画のパンフレットにも目がいってしまい、一旦持ち場に戻ってから同じく映画マニアの藤山さんを伴って再来店。まさに我々世代にとってドストライクである80年代の映画パンフを、ああでもないこうでもないと喋くりながら品定め。

  昔はこの映画のパンフレットが、映画の制作秘話などを知れる唯一の媒体であったので、観た映画はほぼ買っていましたが(今考えれば、値段の割に中身がスカスカのものも沢山あって、相当スカも掴まされましたが)、今や映画パンフレット業界も風前の灯との声も聞きます。まあ公開前からネットなどでこれほど情報(動画を含め)が公にされてしまうと、わざわざ買うもの好きも少ないでしょう。そんな数少なくなったもの好きの一人である私は5冊購入。それがこちらのタイトル、我ながらかなりの偏りがあります!

そして最後の1冊がこちらの『泥の河』。1977年に出版され、太宰治賞を受賞してこれが作家デビューとなった宮本輝の小説が原作。それをこれまた映画監督デビューとなる小栗康平がメガホンをとり映画化。1981年に公開され多くの映画賞に輝く珠玉の名作です。私はテレビ放送で初めて見たのですが、「あのとき少年時代は終わった。いま痛みの源流へ遡(さかのぼ)りたい。」のキャッチコピーと共に、多感だった私の心に大きな衝撃を残しました。今でもみるたびに心が締め付けられそうになる切ない映画です。

部隊は、まだ終戦の匂いの残る昭和31年の大阪。大阪市内を流れる安治川べりに肩を寄せ合い暮らす人々が舞台。まだまだ貧しかった頃の日本がモノクロ画面に映し出されるのですが、それは私が生まれるわずか10年前の日本の風景なのです。うどん屋の両親に育てられている9歳の少年・信雄は、ある日同い年の「きっちゃん」と呼ばれる少年とその姉に出会う。きっちゃんは、両親から決して近づいてはいけないといわれた舟に暮らしていた。そこはきっちゃんの母(加賀まり子)が春を売る廓船だった。

何も知らない信雄はある日、その船に足を踏み入れてしまう。無垢な少年が目にするのは、今まで知らなった別の世界。それは少年がおとなになっていくための通過儀礼でもある。わけもなく信雄の瞳から溢れ出てくる涙、岸辺を離れる舟、きっちゃんの名を叫びながら舟を追う信雄、それぞれに事情を抱えてわけありの人生を送る人間模様。舞台となっていたのは、大阪市内の堂島川と土佐堀川が合流し、安治川と名前を変える一角。綺麗に整備された今の姿からは想像もできません。「あぶさん」の南海ホークスも消え、昭和は遠くになりつつあります。




今年の『ほりえ港青空市』は天気に恵まれ、爽やかな海からの風が吹き込む絶好のコンディションの中で賑やかに開催されました。思わず「五月晴れ~!」と叫びたくなるような青空でした(本来、五月晴れは本来梅雨時の合間にみられる晴れ間のこと)が、青空市の看板に偽りなしのイベント日和に沢山のお客さんが集まっていただきました。弊社は、こういうイベントでは鉄板人気の『木の玉プール』の他、木の玩具や木製クラフトなどいつも通りのラインナップに、今回事情があって大量に入荷した木の器あれこれ。

11年も続いているのですっかり地元定着のイベントとなっていて、この時期の楽しみだと仰っていただく方もいらしてありがたい限りです。本来、中藤産業さんとの2本柱である大浜タオルさんのタオルの特売が、大人の事情で今年も出店無しというのは返す返すも残念ですが、地域の垣根を越えて今年も沢山の方が出店していただきました。私の方からお声かけさせていただいたのは、『カフェ ナチュレ』の藤山健さんと、地元で古本屋を営まれている『古珍堂』の芳野さん。おふたりとも昨年に引き続きのご出店です。

藤山さんは大病を患われていたものの奇跡的な復活を遂げられ、久し振りに元気な姿を見て安心しました。時間とともに日差しが強くなる中、美味しいコーヒーを販売してもらいました。こういうイベントの際の飲食の強さを見せつけられるものの、PR効果と地域貢献を考えてのイベントですので、本旨を曲げてまでお金儲けに走っても仕方ないので、ほっておいてもお客さんが集まってくるコーヒーを横目に頑なに木にこだわる!その結果といえるかどうか分かりませんが、そこでは売れずとも後日ご来店くださる方も増えました。

家内とふたりで回しているため、なかなか他所をゆっくり見て回る余裕もないのですが、声をかけた責任上、古本の売れ行きも気になって古珍堂さんのところへ様子見。お店自体は、会場となったほりえ港から数百mの距離にあるのですが、国道沿いというわけではないのでまだまだお店の地名度が低いようで、地域の皆さんへのアピールという思いで出店していただきました。新作でも厳しいご時世ですから、古本ってかなり難しいと思います。ネットでの中古本の価格破壊も凄まじいですから。明日に続く・・・




以前にも告知していましたが、いよいよ明日は『第11回ほりえ港青空市』の開催日。天気の心配もないようで、本日張り切って皆でテント貼り。思えば第11回ということですから、もう11年も続いているわけですが、主催の『オレンジ会』は松山市堀江地区の異業種企業の若手後継者の会で、会自体はもっと長く続いています。異業種交流会は各地で頻繁に開催されているでしょうが、10年以上の継続していて尻すぼみになっていない会というのは結構珍しいのではないかと思います。

会が発足してから数年後に、会員が集まって地域の人とふれあう機会を作ってはどうかということで、当時独自にタオルの詰め放題などの販売会を開催されていた大濱タオルさんのイベントに相乗りさせていただく形で始まりました。その後紆余曲折があって、廃港となったほりえ港に場所を移し、今ではすっかりこの季節の恒例行事として地域の方にも認知されるようになりました。更に近年は地元の『堀江地区まちづくりコミニュティ会議』の皆さんも参加していただくようになり、出店者数も大幅に増えてきました。

以前はもともとの主要なメンバーだけだったのでテントの数もわずかでしたが、今では20張りを超える数のテントが立つほどの賑わいとなっています。本日は延べ24張りのテントを立てましたが、テントの数以上のメンバーが集まりあっという間にテントも完成。夜のうちに『木の玉プール』や出品商品を搬入しておこうと現地に行くと、テントの群れが明日の賑わいを待ち構えるかのようにライトの灯りに照らされておりました。こういう大掛かりなイベントが出来るのも同じ思いを抱く多くの仲間がいればこそ。

私自身は堀江地区ではないものの、会の発足から特別に参加させていただいているのですが、地元の平田町は柑橘農家は多いものの個人商店は少なく、国道沿いは軒並み大手企業が独占していて、地元の個人商店の多い堀江地区が羨ましく感じます。そんな会が、このイベントが今後も継続していくためには、思いだけでは駄目で「成果」も出さねばなりません。ということで、今年はご縁があって手に入った多樹種の木の器(左)をはじめ、鉄板の『木の玉プール』で皆様のご来場をお待ちしております♪




瀧原宮から荻原神社を経て、向かうはビーバーハウス。わが故郷に似た山道を進むと集落が見えてきてその中に突然とそれは現れました。初めて松山にやって来られるお客さんを道後温泉にご案内する機会がこの数年やたらと多いのですが、特に東日本の方が抱かれている温泉のイメージと現実がかけ離れていることが多くて、道後の街に入ってからくり時計の角を左折すると忽然と現れる道後温泉本館に、「えっ、ここ?!」と驚かれること多数なのです。湯煙も無く、温泉街という風情も無い中に突然現れるからそう思われるのでしょう。


たぶん多くの方が抱かれている温泉街のイメージというのは恐らくこんな感じではないでしょうか。写真は九州の別府温泉の湯煙の風景です。まあ、これはこれで私の勝手なイメージなのかもしれませんが・・・。幼い頃はよく両親に別府に連れて行ってもらったいたので温泉というとこういうものと思い込んでいて、私の中の刷り込まれたイメージなのだと思います。道後温泉に初めて来たのは中学生頃だと思うのですが、実は大学生になるまで私の中に道後温泉の印象はほとんど残っていなかったのです。

まあ何はともあれ、念願のビーバーハウスに到着!私の中の勝手なイメージでは、山の中にポツリとあって、集めた材と周辺の山の木がほとんど同化してしまっていて、土場の中央にはまさにビーバーの家のように材がうず高く積み上げられてあたかも小山のようになっている姿を思い浮かべていました。隣近所にも普通に家があって、ちょっと驚いたのですが、この場所で製材業が継続されているということは、ご近所周辺とのコミニュケーションがいかにうまくいっているかということの証明ですね。

  さてどこから何を見させていただければいいのか見当もつきませんがドキドキが止まりません。今までに全国各地のいろいろな製材工場見学をさせていただきました。最新設備を備えたフルオートメーションのコンビナートのような超大型製材工場から、アフリカの大径木を挽く専門製材、特殊加工機のある工場など個性的な工場は沢山見てきましたが、そのどこよりも惹きつけられるのは私にもビーバーの血が流れているからなのか!そしてここからいよいよ長い長いビーバーハウスでの2日間が始まるのです!




本日もビーバーの話の続編。かつてはダム決壊時に洪水を引き起こすことから害獣として駆除の対象となったり、その毛皮が柔らかく肌触りがよいことから帽子の原料として乱獲が進むなど(その後、保護法の成立などを受けて個体数も増加)ビーバーにとっては冬時代がありました。その後、カナダではその毛皮交易が国の発展に寄与したということで国獣に指定されたり、流水の音に反応して巣を作っているという習性が解明されるなどして、共存の道が拓けたもののひとたび人間の手が入ってしまうと元の状態に戻すのは非常に困難

ビーバーはいろいろな樹を齧るようですが、齧るだけでなく草食なので樹皮も食します。その中で特にお好みなのが、ヤナギ、カエデ、ポプラ、ブナ、カバ、ハンノキなど(アメリカビーバーの場合)。この話を書くにあたって改めてビーバーの事を調べたり、画像を検索してみると、その前歯の鋭さに思わず引いてしまいました。ビーバーなどの齧歯(げっし)類は、一生伸び続ける歯を持っているので、硬いものを削って歯を摩耗させないと、最終的には自分で自分の突き破ってしまうという宿命を持っています。

それを思うとせっせと樹を削り運んでいるビーバーの姿は切なくすらもあります。水族館などでは、どうしても運動不足になったり、歯が伸びすぎるので、適度にビーバーが作った巣を壊して何度も作らせるそうなのですが、それもまた切ない・・・。また森の建築家、伐採屋たるビーバーですが、時には自分が削り倒した樹の下敷きになってしまうという悲劇も起きるようで、SNSでは無情にも下敷きになったビーバーの姿がいくつもアップされていました。ビーバーは樹がどちらに倒れるか察知できる能力があるのだそうですが


削っていた本人(ビーバー)が下敷きになったのか、見物していた別のビーバーが巻きこまれたのかもしれませんが、不覚としか言いようがありません。実際の伐採現場でも熟練の伐採士が木の下敷きになる事故がたびたび起きていますが、人間とビーバーの体の大きさから比較すると、伐採はビーバーにとってかなりリスクがある作業だと思われます。それも含めてビーバーにはどことなく哀愁が感じられるのです。これでビーバーの特性については大体分かっていただけたと思います。それを踏まえたうえで、いざビーバーハウスへ!




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