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| 先日、『センダン(栴檀)』の板の賃加工で磨き直しさせていただきました。看板に使われていたらしいのですが、結構反っていて、反りはそのままでいいので、表面だけ綺麗に削って欲しいということでしたので、それなら私でもどうにか出来るので削らせていただきました。電動ガンナで表面を削ってから、サンダーで徐々に目を細かくさせながら磨き上げて仕上げました。ほぼ仕上がりに近付いた頃に、加工前の姿を撮っておかなかったことに気が付いたのですが後の祭り。ビフォー&アフターが無いのが残念ですが、レベル(水平)を出さなくてもいいということであれば、どうにか自分で鉋削りとサンダーで磨くぐらいはできるので、徐々に仕上がっていく工程が見えるのは楽しいところです。 |
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センダンは、センダン科センダン属の広葉樹です。弊社にもいくつか在庫がありますが、ケヤキの代用品としてよく利用されます。そうはいっても、センダンとして樹種の指定が入ることは滅多になくて、数か月に一度ぐらいセンダンの板に触ることがあるかどうかという頻度です。私はなんでも運命づけて物事を考えてしまうタチなのですが、このセンダンの板の加工の注文が入った頃に、県外の方から松山で美味しいお店を紹介して欲しいという依頼があり、思いついたのが道後石手の『栴檀』さんという高級老舗。 |
| そんなもの自分のさじ加減ひとつやと思われるかもしれませんが、いいんです。自分の脳内でのことなので。センダンの板を削っていたから、栴檀という名前のお店が思い浮かんだというわけでもないのですが、四六時中木の事でアンテナを張り巡らせていると、こういう関連づけに運命的なものを感じてしまうのです。そんな事を考えながら磨いていると、それだけでも何となくやり甲斐や動機づけが出来るというもの。センダンは見た目こそケヤキに似た木目で代替材とされますが、硬さは随分差があります。 |
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かなり軟らかくてこれぐらいのサイズ(およそ1.5m)でも、見た目より随分と軽いです。軟らかすぎて、気をつけていないと鉋で削り過ぎてしまうほど。もともと着色されていたので、ケヤキかと思っていたぐらいなんですが、削ればセンダンらしい木肌が現れました。私の仕事はここまでなので、仕上がりまで見届けられないのが残念でした。軟らかさゆえ建築の場面では用途が限定されますが、木目は面白いし、このような二股のように形も面白いものも多いので、掲げて使う看板などにはおススメの木の一つです。 |
| 地域の材の事を考える場合、どうしても川上から川下までの流れを地域内で完結させてしまいがちですが、他地域の事の方がより冷静に見ることが出来るし、足りないものを補い合えばより流れはスムーズにスピーディになることも多々あります。海外から国内まで、針葉樹から広葉樹まで多岐な材を取り扱っているからこそ見えてくるものもあるし、今回の江差の群来のニュースとて木の事と関連付けて考えることもできます。最近やたら魚とご縁があるのですが、農林水産業なんで根っこは同じところなので当然の事かと納得。 |
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5月頃になると沿岸に魚群が押し寄せることから、北海道では春を告げる魚という意味で『春告魚』とも呼ばれるニシン(鰊)ですが、それは季節的なものだけでなく、漁民にとっては経済的にも春をもたらすものでした。その「春」が実に100年以上もの間遠ざかっていてわけですから、今回の群来は江差の方にとって感激ひとしおだったのではないでしょうか。しかし考えてみれば最後の群来から104年が経過しているわけですから、当時を知る人はもう誰もいないわけで、まさに歴史的な事件。 |
| 江差をはじめ北海道の漁民の方々はこの「春」をただ漫然と待ったわけではなく、稚魚放流などの継続的な活動が実ったということです。植林から伐採、そしてその後の製材、乾燥、加工まで含めると、ひと世代では結実しない長期戦の林業に比べると、稚魚の放流から考えても成果が出るまでのスパンが短いと考えられる漁業で、100年というのは恐ろしく長い時間であり、その成長が日々目で確認できる樹に対して、見えない水面下の魚が相手という事を考えれば、それは絶望的に長くゴールの見えない日々だったのではないでしょうか。 |
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改めて100年という時間を考えたとき、何気なく手にする米松の桁とて目込みのものであれば、それに匹敵するぐらいの時間が凝縮されています。積み重ねられた時間は、日本の木だろうがアメリカの木だろうがアフリカの木だろうが同じです。普段から自分より「はるか高齢な先輩方」ばかりを相手にしていると、ついつい100年生なんて軽口を叩いてしまいがちになるのですが、100年ぶりのニシンの群来の話を聞いて、身近な100年選手たちのことももっと深く考えようと思いました。 |
| プレカットなどの浸透で木材業界もすっかり工業製品化が進み、プラスマイナス数ミリの精度ばかりが幅を利かすようになって、かつての木目や風合い、木味、艶などといった情緒的な表現を使う場面がすっかり少なくなってきました。そういう時代だからこそ、木を語り継ぐ事に意味もあります。いつかまたやって来ると思い続けて104年後に実った執念。もう二度と来ないのではとの疑心暗鬼との戦いであったと思います。情緒的に木が語られる時代がまた再び来るその日まで信じて種を撒き続けていきます。 |
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| 恐らく地元では大きな話題となっているのだと思いますが、ここ愛媛ではほとんど話題になることもありません。ただ私は個人的に、以前に『小豆島のオリーブ』の事を取り上げた時に、北海道のニシン(鰊)漁の事をしつこいまでに取り上げさせていただきましたので、大変興味を持ってこのニュースを拝見しました。そのニュースの内容とは、2月の末に北海道江差町で、ニシンの産卵活動で沿岸部の海が白く濁る「群来(くき)」という現象が104年ぶりに発生し、海藻についた卵も確認されたというものです。 |
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あまり興味の無い方にとっては、ニシンが久しぶりに大量に押し寄せて来ただけの和やかなローカルニュースだと思われるかもしれませんが、前回「オリーブとニシンの関連性」についてのブログを書くにあたって、当時『北のウォール街』とも呼ばれたニシン漁についての状況を調べると、それが単に一地方都市のの漁業の栄枯盛衰の話ではなく、そこに日本が近代化する歴史の悲哀が凝縮されていたことを知ったのです。そういうこともあって、今回のニシンの群来については他人事ながら非常に嬉しく思いました |
| 104年ぶりというのは江差町での話であって、小樽などでは継続的なニシンの稚魚放流などの活動の結果、10年前から群来が確認されているようです。改めてニシンと木(オリーブ)の関係について説明すると、100年前当時に大量のニシンが押し寄せ、ピークで100万トンもの水揚げ(個体数で換算すると30~40億匹!)があり、そのニシンをオイル漬けにして海外にも輸出する狙いもあって、国が国内3か所(香川、三重、鹿児島)にオリーブの試験栽培を始めました。それが香川の特産品・オリーブの発祥なのです。 |
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その後、三重、鹿児島ではうまく生育が出来なかったものの、香川ではうまく根付いて特産品にまでなりました。しかし残念ながら、ニシンそのものが獲れなくなってしまったのは皮肉な話。しかしその後オリーブは当初の目的とは違う形で利活用され、島の特産品とまでなりました。100年を経た香川のオリーブですが、あるこころからお話もいただき、剪定される枝などを「材」として何か利用できないものかと考えているところです。江差も小豆島も私にとっては無縁の地ですが、自分の中では既に繋がっています。 |
| 六甲山のアセビからは『森の毒りんご』が生み出されましたが、黒田慶子先生は神戸大学の構内で伐採された『エノキ(榎)』を自分たちで乾燥させて、オーダーキッチンの突板にされました。その経緯については黒田先生のブログに詳しいのですが、樹木が材木になるまでの過程でかなりのご苦労がおありになったようです。木材の場合、伐採、製材、運搬、保管、加工などその工程において様々な専門業者が関わらねばなりませんが、それがうまく繋がっていないと信じられないくらい流れが停滞して物事が進んでいきません。 |
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我々業界ではその流れが仕組みとして確立されているので、SNSなどでアップされた丸太(ビフォー)と板(アフター)が並んでアップされたりすると、丸太がいとも簡単に板材になるかのように思い込まれるかもしれません。昔は製材所や材木屋だけでなく木材産業に携わる会社も人も多くいたので、一般の方が所有する山の木を伐って家を建てようと思っても、その流れに乗ることも難しくはありませんでしたが、ひとたびその流れが断ち切れてしまうと、丸太を板にすることがとんでもなく難しいことになります。 |
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ここで言う板は、ただ丸太を挽いたという意味ではなく、乾燥などの工程を経て「住宅や家具などに使えるような資材としての板」の意味です。そういう現実を嘆いたり、新しいシステムの構築を叫ばれる人は沢山いますが、実際に経験してみなければ本当の問題は見えてこないと思います。黒田先生のえらいところは、それを実際に実践されているところ。そして幾多の葛藤がありながらも、もともと癖が強いエノキを突板にしてオーダーキッチンにまで仕上げられて結果を出されたとろこ、素晴らしいです。
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そういう経験をされたからこそ、各地で整備の進まない里山実情が本当に歯がゆく思われていることとお察しします。植林や伐採、加工、商品化などという各工程がぶつ切りでの里山整備ではなく、それがひとつの流れになれば、利用価値が無いと思われている里山の木の利用も進んでいくのではないかとの思いで、黒田先生と考え出したのが、『黒田慶子教授監修・日本の里山の木36(仮称)』です!森のかけら240種の中から、代表的な里山の木を36選んでいただき、里山の整備などに関する先生の手引書をセットにした新シリーズ! |
私にとって【 森のかけら】は、端材から生まれた『出口』の1つですが、買っていただく方にとっては森や木の事を知るための『入口』だと考えています。同様に 『里山の36』も、里山の事を考える『入口』や、里山整備に関われる方にとっての道しるべ(里山の多様性や材としての利用まで含めた)の1つになればと考えています。そんな話があまりに盛り上がりすぎて、帰りの電車の時間がギリギリになるほどでした。早速樹種の選定をしていただいていますが、 新しい『かけら』の仲間が登場することになるかも?!これにて神戸大学かけら探検隊の話終了~、皆さんありがとうございました!
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| 本日も黒田かけら探検隊御一行のお話し。後になると必ず忘れてしまうので、今回も早々にサインの儀式。『霧島栂』にお名前いただきました。先日少しだけ触れましたが、黒田先生は樹木組織の専門家ですが、同時に里山の管理や保全に関するスペシャリストでもありますが、地元神戸を代表する名山・六甲山の森林資源についても研究されていていらっしゃいます。その中で問題になったのが、『アセビ(馬酔木)』という木の存在。その名前からも分かる通り毒性を持つこの木が厄介者扱いされていました。 |
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六甲山というと、阪神ファンの私としては阪神タイガースの応援歌『六甲おろし』しか思い浮かびませんが、神戸の人にとっては暮らしにも密接した自然のランドマークであり、市民の誇りでもあるとか。山に対する畏怖や畏敬の念tごいうと、正直なところ昔はあまり意識したこともなく、あって当たり前という空気のような存在でしたが、近年幾度となく登山するようになった霊峰・石鎚山に行くと、こんな私でも何か敬虔な気持ちになって、万物の気配に敏感になります。山岳信仰にはまる気持ち分からないでもないです。 |
| 六甲山はそういう類の山なのかどうかは分かりませんが、植林された山とはいえ100年もすれば立派な森が生まれていて独自の生態系が形作られているのだと思います。そういう中にあっても、毒性があって用材としての利用が未確立の木は手に余る存在で、伐採も進まず六甲山整備のための障害ともなりつつあったようです。山なんて自然なんだからそのまま放置しておけばよいとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、一度人の手が入った山はその後も人が責任を持って整備していかねばなりません。 |
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自然なんだから放っておくといずれ山は荒廃していきます。自然という言葉からアマゾンのようなジャングルと混同してしまいがちですが、そこは大きく異なるところ。勝手に適性の木が育って豊かな森を作ると思ったら大間違いなのです。黒田先生はそういう観点から六甲山の森林整備も考えられて、今はまだ利用価値のほとんど見出されていない(利用価値が無いのではなく)アセビにも何かの『出口』を与えられないかと案じられています。私もいまだ『森の毒りんご』しか思い浮かんでなくて歯がゆいところ。まだまだ続く・・・ |