森のかけら | 大五木材


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これも縁というのかもしれませんが、この数日間『小豆島のオリーブ』の話から、『北海道の鰊漁』の話に広がっていたのですが、たまたまなのですがその間に香川県小豆島からと北海道旭川からのお客様が弊社にご来店いただきました。日時はずれていましたし、その2組に関連性はないのですが、ブログの中での展開と同時並行的に2つの地域とが繋がったのが、パラレルワールド的な不思議な気分でした。本日は、遥か北海道の地より車でお越しになられた木工家親子のお話です。

北海道旭川市で寄せ木象嵌商品などを作っておられる『工房ペッカー』の河石さん親子。昨年に象嵌で使うためのある変わった木を探しておられて、それがたまたま弊社にあったことからご縁が出来たのですが、手に入れたい木を求めて車で全国各地の材木屋や製材所を廻られているとのこと。今回は九州へ渡ってからの戻りルートで弊社にもお立ち寄りいただきました。何のアポも無しに、突然旭川ナンバーの車が入って来られたので、一体何事かと驚きました。凄まじい行動力!

喋りだすとお話が止まらないことが社名の由来だという、大阪生まれで関西弁の河石さんは、30代の頃に縁あって北海道に移り住まれて、独学で象嵌細工を覚えられて、その後は家族でこちらのようなメルヘンチックな寄せ木額絵を制作されています。実に多様な樹種を使われていて、北海道産で手に入る材だけでは色が足りないのも頷けます。しかし象嵌に使えるような色調の強い木って限られているうえに、年々その入手が難しくなってきている現実があります。

ペッカーさんもそこに苦労されていらっしゃるようで、木の色を求めて全国各地へ出向かれていいるようですが、行き先を聞くと知った社名がゾロゾロ。やはり蛇の道はヘビということか!そんなマニアックな木を扱う材木屋(といっても弊社以外は、材木屋であれば誰でも知っているような一流の大手ばかりですが)のリストの末席にでも弊社も加えていただいたかと思うとなんだか感慨深いものがあります。しかもわざわざ旭川から愛媛までやって来られるのですから・・・。

電話やメールだけでは絶対に伝わらないものがあるとの信念で、私も若い頃全国の材木屋、製材所を訪ね歩きましたが、それが今となっては私の血であり肉となっています。しばらく出不精になっていましたが、またぞろ『尋ね歩き(木)』の虫が騒ぎ出しそうです。ところでそのペッかー工房さんが新たに取り組まれているのが、こちらのUSBメモリーケース。3層にすることで木の収縮やねじれを抑え精度を高められていますが、木のキャップの滑るような閉まり具合は快感!  

相当苦労を重ねて現在の形状に辿り着かれたということでしたが、これほどスムーズにしかもピッタリと閉まる木製のUSBメモリーケースは初めて見ました。記念にということで、1つプレゼントいただいたのですが、それは紫紺の『パープルハート』を『コーヒーツリー』でサンドしたもの。このUSBメモリーケースを様々な木で数十種類作るという野望をお持ちのようで、【森のかけら】のライバル登場!これは集めたくなります!端材の神様は小さなモノを作る者の上に降臨す




福井県立恐竜博物館』には44体もの恐竜骨格と千数百もの標本があって、とてもとても数時間で見れるような規模ではありません。相当凄いという話は、ここを訪れられた方々のブログなどで知ってはいたものの、想像を遥かに超える規模でした!職業柄どうしても気になるのが具体的な規模と費用。公式に発表されている数字だと、約30,000㎡(約9,090坪)の敷地面積に建てられた建物の延べ床面積は約15,000㎡(役4,550坪)、建築工事費が91億5千万円で、展示工事費31億円。その他資料整備費等を合わせて総額約140億円の県の一大公共事業

4,500㎡という広大な展示室には、44体もの恐竜骨格をはじめとして千数百もの標本の数々が所狭しと居並んでいます。昨日も書きましたが、こんな「建築現場」があれば私なんか相当にテンションが上がって、日に何度配達で呼ばれても飛んで行ってしまいます。以前に地元の動物園に木材等を納品させて」いただいていました。その際に、ゾウのサッカーボールオオサイチョウの巣、トラのベッドなど面白い仕事を受注させていただきましたが、それはそれは非日常的仕事で楽しかったものです。

建築材が主流だったので、どうしても扱うアイテムが限定され、仕事の内容もルーティンワークとなるので、少しでも毛色の違った仕事が舞い込むと気持ちがハイになりやすいのです。ただし不慣れなため容量を得ず、時間も手間もかかるため、仕事して考えれば効率的でもおいしくもないのですが、毎日繰り返されるルーティンワークに変化を求めていた飽きっぽい性格の私はすぐに飛びついたものです。動物園ですらそのテンションですから、「ティラノサウルスの台座の下地材の木材」なんて注文きたら、そりゃあ舞い上がるでしょう!

展示してある恐竜の骨格などを目で追いかけながらも心は建築時期にタイムスリップ。これだけの規模だから敷地への乗り入れや建物への業者の入場も厳格にされていただろうから、きっと恐竜がプリントされた入場証か何かが配られていたんだろうとか(勝手な推測)、展示に使われる木材に関しても地域材の指定があったのかしら、でも恐竜が生きた時代に事を考えればスギヒノキであるはずがないだろうからどういう樹種の指定があったのかしら(展示には本物に木は使われてないだろうが)などなど恐竜並みに膨らむ妄想




福井に行ったならば必ず行っておきたいところ、それは東尋坊でもなければ永平寺でもない、そう男の浪漫、『福井県立恐竜博物館』!!カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、中国の自貢恐竜博物館とともに世界三大恐竜博物館の一つと称される恐竜テーマパーク。平成12年にオープンして以来、常に多くの恐竜マニアの心を惹きつけており、現在では年間90万人が訪れる福井を代表する人気スポットです。後輩たちの車に乗せて帰る予定でしたので、もしや別の場所を言い出したりしなかとの若干の危惧もありましたが、

さすがにそこは皆男の子、心配は杞憂に終わり全員一致で恐竜博物館へ向かうことになりました。車で福井までやって来た彼らは、事前に永平寺には寄って木の勉強の済ませていたらしいのですが。とにかく人気スポットで日曜日ということもあり、混雑を避けるために開館前から並ぼうと早朝より移動。すると館周辺で、何やらマラソンが開催されていたのですが、そこにもしっかりと「〇〇恐竜マラソン」の幟(のぼり)がズラリ。福井の皆様の商魂逞しく地球の遺産を有効活用なさっていらっしゃいます。

思えばスピルバーグがスクリーンに生々しすぎる恐竜を復活させたのが1993年のこと(ジュラシック・パーク)ですから、今からもう四半世紀近くも前になります。それまでの恐竜といえば、特撮の神様レイ・ハリーハウゼンに代表されるカタカタした動きが哀愁を誘うストップ・ ストップモーション・アニメか、ジャパニーズ着ぐるみ(ゴジラ)でしたので、とても作り物とも思えないほどに滑らかな間接に感動すら覚えたものです。どうして人はこんなに巨なるものに心惹かれるのでしょうか。

まだ誰もいない会館前に到着して、開館を待っていたのですが開館時間が近づく頃にはすっかり長蛇の列が出来上がっていました、さすがは人気スポット。ちなみにこの建物、地上3階・地下1階の鉄筋コンクリート造で、地上はドーム型をしていますが設計はかの黒川紀章氏。地下に降りるエスカレーターに乗って考えていたことは、もしも自分の会社が建築時にこの建物に携わらせていただいたとしたら、伝票には「恐竜博物館」と書き込むんだろうなあ、「恐竜博物館に納品行ってきます」なんて言うんだろうなあと独り妄想しながらワクワク!




北陸に向かい愛媛を飛び出して2日目の午後ようやく福井市に到着。このブログでは既に足掛け62日が費やされていますが、いよいよこの旅も佳境に入ってきました。福井駅に降り立った私を待ち受けていたのは、『福井の巨人』!2007年の第三次恐竜化石発掘調査で発見された大型の恐竜化石で、「日本産の福井巨人」という意味のフクイティタン・ニッポネンシス(Fukuititan nipponensis)という学名が付けられた首長竜です。そう、福井県は日本一の恐竜化石の産出地なのです!

今回福井に来た理由のひとつに、翌日に行く予定の恐竜博物館があります。まあどうしてこうも恐竜は男の中にある少年の心を刺激するのでしょうか!福井県ではさまざまなことに対して恐竜というモチーフが使われていますが、実のところか細いご縁でしかない「坊ちゃん」を何かと使いまくる愛媛の人間としては羨ましい限り(著者の夏目漱石は東京生まれ。英語教師として赴任してきた松山での経験を元に描いた小説が「坊ちゃん」)。坊ちゃん電車、坊ちゃんスタジアム、坊ちゃん文学賞、坊ちゃん団子・・・

それが悪いとは思わないものの、夏目漱石が愛媛に赴任してきたのは明治28年(1895年)のこと、そして小説「坊ちゃん」が明治39年(1906年)ですから、もう110年以上も昔の話。恐竜はそれよりも遥かに昔のことですが、福井県から産されたものだという『トレーサビリティのしっかりしたコンテンツ』であるのに対して、江戸っ子の漱石が愛媛を舞台にして書いた小説という点に何か借り物的な印象が拭いきれないと感じている人って結構多いのではないかと思うのですが、強力な地元産コンテンツを持たない県民のコンプレックス?


まあそれはともかく福井駅前にはこのフクイティタンの他にも複数の恐竜モニュメントがあって、それらは定期的に動く仕掛けになっていたりするので、記念写真を撮ろうとする親子連れなどで賑わっていました。この写真には人影が写っていないじゃないかと思われるかもしれませんが、それは人がはけた隙をじっと待っていて撮ったものだからなのですが、ずっと恐竜の傍らでその瞬間を待っていたので、よほどの恐竜おたくのおっさんと思われたかもしれません。いいです、何と思われようとも。

今までの経験上、若い頃にやって後悔したことよりもやらずに後悔したことの方が多かったので、やってみたいと思うことがあって、それが出来る機会があれば迷わずやるということにしています。こうやって人ってドンドン年をとると図々しくなっていくんだなと実感していますが・・・。恐竜のことに関しては、この後の木青連の大会の翌日に、恐竜博物館に行きますのでそこで改めて触れることにして、さあいよいよ大会へ!とは言っても厳密には大会の後の懇親会に顔を出しただけなのですが・・・。




エンドウ建材』さんで圓道忠雄君とお話しさせていただいた後は、忙しい中圓道君に無理を言ってそこから5キロほど離れたところにある美術館『金津創作の森』へ連れて行ってもらいました。ここは福井県あわら市が運営するアートスポットで、文字通り市街地から少し離れた場所にひっそりと建っているのですが、そこで開かれている企画展示が結構面白くて、それまではホームページで拝見していたのですが、折角の機会なので平日の午後、アートには縁もゆかりもなさそうな中年のおっさんふたりで美術館へ。

実はここでは依然に、現代彫刻の鬼才・三沢厚彦さんの展示会も開かれていたのです。圓道君からその情報を聞いて臍を噛んだものです。あわら市自体は平成16年に坂井郡芦原町金津町が合併して生まれた町で、人口は3万足らずということで、愛媛で考えれば愛南町伊予市程度の規模ということですが、そこにこんな美術館があって、熱心に活動されているなんて素晴らしいことだと思います。当日の企画展は、柳宗理デザイン研究所のシニア・ディレクターの森 仁史監修による『ジャパン・モダンの奔流展-戦後日本デザイン・復興から頂点へ-』。

時代を越えてわたしたちの日常の中に寄り添いながら受け継がれる戦後の日本デザインの魅力を伝えるという内容で、昭和41年生まれの私には、馴染み深い懐かしい商品の数々が展示されていました。【森のかけら】でデザインに覚醒するまでは、日頃使っていたそれらの商品について、それが「デザインされたもの」というような認識すらありませんでした。そのデザインであることが当たり前、違和感すら感じないというほどに暮らしに溶け込んでいて空気のような存在になっていたのだと思います。

格好いいデザインだからとか、洗練されているからとかいった理由で購入したり、使っていたわけではなくて、もうその商品力が飛び抜けすぎていて、それ以外の形や商品名など考えられないというほどに完成されていた究極のデザインだったのだと思います。自分の子供たちにこの写真を見せれば、「昭和~!」とか「ダサい」と嘲笑されてしまいますが、当時の私たちにとってはそれはとてもエッジが効いたスマートで洗練された最新式の商品だったのです。今もし復刻版として再販売されてもレトロ人気で結構売れたりするじゃないかと思うのです。




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