森のかけら | 大五木材


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ダグラスファー』で、もう少し触れておきたい事がありましたので、補足させていただきます。今や日本国内でもっとも馴染みの深くなった感のあるダグラスファー、つまりベイマツですが、日本に入ってきた歴史も最古参です。記録として残っているのは、嘉永6年(1835)に黒船が浦賀に来航したのですが、その時ペリー提督が幕府に献上した幾つかの品の中に、ベイマツの製材品が入っていたというものです。まさか梁や桁のようなサイズの物ではなかったろうと思いますが、少し厚めの板材のような物だったのではないでしょうか。

その時のベイマツはしっかり保存されていて、かつて佐藤栄作首相がこのベイマツの一部を使って、シガレットケースを作らせて、アメリカ大統領のお土産として渡米したという逸話が残っておりますので、170年前のベイマツを是非とも拝んでみたいものです。相手はジョンソンだったのでしょうか、あるいはニクソン?そういう記述もありますから、これはかなり確かな事実だと思われます。それから百数十年後、まさかその木が日本中の建築の主流になろうとはよもやペリーも想像だにしていなかった事でしょう。

いや、もしかしてその来るべき未来を予知してベイマツをこの国に持ち込んだとしたら・・・!実はペリー提督が米国林産会社の特命を帯びたスーパーバイヤーだったというまことしやかな話もあるのです。かつて日本の野球の創成期に、アメリカ大リーグが来日して日本のチームと各地方で試合を行いました。来日してメジャーリーガーの中には、ベーブルースゲーリックなどの名だたるスーパースターがいたのですが、その中にメジャーでは成績の振るわない無名選手が混じっていたのです。

実は彼らは野球選手の名を借りた米国の秘密諜報部員で、野球の全国遠征に帯同しながら野球そっちのけで諜報活動に励んでいたという、嘘のような本当の話がありましたが私こういう都市伝説的な話大好き!アメリカならやりそうなところがリアリティを感じます。なのでペリーもただの手土産としてではなく、アメリカの圧倒的な森林資源を知らしめるため、そして日本の住宅資材にベイマツを普及させるために、トップダウンの営業戦略を取っていたのかもしれません。また同時期に幕府は大型船舶の建造も解禁したのですが、造船の甲板材としての売り込みのカットサンプルだったのではないかとも言われています。実際にペリーが乗船していた黒船にもたくさんのベイマツが使われていたそうです。黒船は商船だったのか・・・

その後日本の軍艦の甲板などにベイマツは使用され、急速に輸入が増えたという事ですから、ペリーの目論見通りになったという事でしょう。そうしてベイマツは初めて日本の土を踏み、その後の戦後復興の急激な木材の需要に国内木材だけでは供給が追いつかなくなり、木材鎖国政策が解かれ再び日本の土を踏むことになるのです。日本を開国させたペリーが最初に日本に持ち込み、それから長い時を経て、輸入解禁後に市場を席巻したダグラスファー、何か歴史の因果を感じずにはいられません。

 




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