森のかけら | 大五木材


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20110604 我が家の山の木を伐るという事(2)①我が家の山の木を伐るという事は、そんない高いんですか!と驚かれる方もいらっしゃいますが、実際に山の中から1本の木を伐り出してくるという事は、決して生易しい事ではありません。その付帯するコストを外国産製材並みに下げて、国際競争力をつけようというのが日本の林業の命題とされていて、今高度に機械化された林業経営が試みられている最中ですが、日本の狭い国土の急勾配な山の形状や、林業を生業としない山の所有者(相続などにより所有した、あるいは帳面上のみの所有者)が零細化、分散化しているという現状を考えると、非常に困難な道だと思います。

20110604 我が家の山の木を伐るという事(2)②しかし、山の木は放置しておいてもドンドン成長していきます。山の現状を知らない人(特に都会の)は、木を伐るという事にある種の罪悪感を感じる人がいるかもしれませんが、計画的な伐採をすれば木の成長力は、想像を遥かに越えるほど逞しいのです。人間のちっぽけな感傷を吹き飛ばしてしまうほど、山の木々は風雪に耐え、虫や鳥たちと格闘し力強く生命を謳歌しているのです。そういう木を相手に、数十年という長期間のスパンで計画的に林業を考え、製材し出材されてくる材と、手入れもしていない、見た事も行った事もない放置林から出材される材を同根で比べてはいけないと思うのです。最終的には、ただ価格という数字でしか表わせれなくなるので、高い安いという事になってしまうのが寂しいところですが、自らの手でやってみる事を考えれば、その値段の正当性も自ずと理解してもらえると思うのです。

 

20110604 我が家の山の木を伐るという事(2)③食料にしてみても、目の前にすぐに食せる便利に調理されたものが並ぶ事に慣れてしまい、それがどうやって生き物から命を奪い食材になったかという工程に想像が及ばなくなってしまっています。私自身も鶏の首を絞める事も出来ませんし、その肉をさばく事も出来ません。食の世界で相次ぐ偽装問題は、そのものがどういう工程で生産され、どれぐらい手のかかる仕事で、どれぐらいの価格が正当なのかという事にまで想像力が働かなくなった我々消費者にも問題があるように思います。山の問題も同様に、どういうところから伐り出され、どういう特徴を持った木であるか、どういう活かし方があるかをしっかり伝えていかなければ、スーパーに並ぶ魚の切り身と同じです。既にそうなってしまってはいますが、ささやかながらでも流れに竿を差して時代に取り残されながらでも、偏屈に木の物語を語る人になろうと思うのです

 

20110604 我が家の山の木を伐るという事(2)④さて、そういう事も理解した方で、建築部材としてというわけではなく、止むに止まれぬ事情で伐採しなければならなくなった材を、そのまま廃棄処分させるのは忍びないという事で、何とか第二に人(樹)生を全うさせてやれないだろうかという相談を持ちかけられる事もあります。そういう奇特な方は、山の上にも事情にも精通していらして、伐採した木を買ってくれとは言わず、伐採費用と相殺して欲しいという条件を提示されます。それであればこちらも願ったり叶ったりのありがたい提案です。

 

20110604 我が家の山の木を伐るという事(2)⑤先方としても、伐らねばならぬ事情があり、必要な伐採費用が浮き、その木も何かに生まれ変わり役に立つのであれば、私も一種の贖罪のような気持ちになりますが、持ち主の方も少しは気が安らぐのではないでしょうか。それが大きな木であればあるほどに、そういう気持ちは強くなります。大きな木が伐採される瞬間は、やはりどこか後ろめたいものを感じずにはいられません。それが自分の関わりであればなおさらの事。そのお詫びとして、少しでもその木に眠る価値を高めるよう、その木に適した出口を見つけようと思うのです。




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