森のかけら | 大五木材


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20120227  1では、襟を正して萬翠荘のお二階へいざ!真紅の絨毯の敷き詰められた宝塚の舞台に出てくるような幅広い階段を上ると、その踊り場の壁面には巨大なステンドグラスがあって、そこには鮮やかな海と帆船の姿が描かれています!演奏会を抜け出してきた長女と息子を立たせて記念撮影。今は素直にモデルをこなしてくれていますが、やがて付いても来てくれなくなるのでしょうか・・・。それはさておき、このステンドグラス圧巻です!大正時代の建築物をいくつも知っているわけでもありませんし、歴史的考証も出来ませんが、遊び心と優雅さを併せ持ったモダンで耽美的な時代だったんでしょうね。ピアノの演奏会の会場の扉は開けぱなしになっているので、一般の見学者も覗く事が出来るのですが、そのピアノの生演奏の音色を階下に聞きながら贅沢な建物探訪です。

 

 

20120227 2萬翠荘を建てられた久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵は、そもそも別邸として建設されたそうで、当時の裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問の際に、ここにお招きするために完成を急がせた・・・と、解説が添えられていました。当日は日曜日でしたが、我々以外にも純粋な観光客の方の姿を数多く見かけました。日頃からどれぐらいの方がお見えになっているのか存じませんが、(失礼ながら)それほど来観者がいると思っていなかったのでちょっとした驚きがありました。

 
20120227 3戦火を免れて建築当時の姿をそのまま伝える萬翠荘の建築学的な価値は私の想像をはるかに超えておりました。『神々はディティールに宿る』という言葉がありますが、専門的知識はなくともそれらが尋常ならぬこだわりと意思によって備え付けられたのであろうという事は見当がつきます。フランスに留学し、海外生活の長かった久松定謨伯爵は、新進気鋭の建築士と名を馳せていた木子七郎(きご しちろう)氏にその思いを託して、当時としても斬新な(今でもまったく色褪せしていないと思いますが)フランス風の瀟洒な建物が出来たそうです。ちなみに設計士の木子氏は他にも愛媛県庁や母校・松山大学温山記念館などを手がけられたとの事・・・嗚呼、そんな事など露ほども知りませなんだ、恥ずかしい・・・。松山の観光客の減少が云々と嘆く前に、まずは自分がその地の足を運んでから言えという事を痛感。

 

20120227 4バルコニーを望むこちらの部屋には、かつてお泊りになった皇太子時代の陛下の姿を描いた絵画がうやうやしく飾ってありました。室内の装飾どれもが決して金ピカの豪華絢爛というわけではありませんが、だからこそ光るセンスの良さとエレガントな雰囲気。ただ高価なモノを集めて飾ったというのではなく、どことなく全体の雰囲気から醸し出される本当の『上質』というのこういう事を言うんだろうなあとじみじみ感じました。それは子供たちにも伝わったようです。

 

20120227 5子供が長時間居られる場所でもないと思うのですが、はしゃぎ回るはずの二人が珍しく解説のパネルに見入っていたり、「凄え、凄え」と連発して感嘆していました。小学生の息子は「天皇陛下」という言葉にも漠然としたイメージしかないので、その言葉としての存在観ではなく、この萬翠荘という建物の放つオーラに圧倒されたのかもしれません。たっぷり館内を鑑賞して階下に行くとちょうど最後の合唱の場面。子供たちも心なしか、いつもの会場よりも緊張感が声に出ていたような・・・。これぞまさにパワースポット、木子七郎恐るべし!




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