森のかけら | 大五木材


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兼六園からいざ金沢城へ。このふたつに建物は道路を1本隔てて隣同士に並んでいるので、簡単に移動できます。観光に来られたほとんどの方は、このどちらにも行かれるんだと思います。兼六園の中からも、白い城壁の一部が見えますが、橋を渡って最初に迎えてくれるのは石川門石川櫓。別名「白門」とも呼ばれる美しく気品のある御姿。朝いちばんに兼六園に行って、その流れでこちらに移動したのですが、時刻は8時30分過ぎでしたが、既に辺りには観光客が溢れ始めていました。

いちいちどれもこれも興味の湧くものばかりで、写真も撮りまくったのですが、いちいち順路に沿って説明していたのでは永遠に終わらないので、ごく一部をかいつまんでご紹介しますが、まあカメラをどこに向けても絵になる構図ばかり。堂々たる正面玄関のように見えるこの石川門ですが、本当は北にある大手門が正面玄関だとか。前田利家の時代に建てられた石川門は、その後二どの大火で焼失し、その後に再建され(1788年)230年以上もその勇壮たる姿を誇っています

その石川門の最初の扉をくぐって右に折れると、更に重厚な第二の門が現れます。敵が侵入してきたとしても勢いを鈍らせるために、通路を曲げている枡形門です。金沢城は、別名『石垣の博物館』とも呼ばれていますが、その理由はさまざまな時代に造られた石垣が綺麗な状態で現存してあるため。こちらが有名な左右非対称の石垣。向かって右側が、石を削り隙間なく積み上げた『切り込みハギ積み』、向かって左側が、形や大きさを揃えた割り石を積み上げた『打ち込みハギ積み』。切り込みハギ積みの方が時代が新しいそうです。

なぜこういう形で2つの技法が接する形で残っているのかは分からないようですが、初期は『打ち込みハギ積み』だったのが、その後の改修工事で『切り込みハギ積み』に変わったようです。こうして時代時代の城造りの足跡が残っているのは貴重なことですが、一方でどの時代の城を残すかというのも難しい問題。金沢城には天守閣がありませんが、造営後20数年で落雷により焼失。その後、天守再建の声は何度も挙がったものの、現在の金沢城は江戸末期の姿らしく、天守を作ると時代の混乱があるからとか。




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