森のかけら | 大五木材


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本日も『神樹』の話ですが、神々しい名前(実際は誤訳だったことは昨日書きましたが)とは裏腹にその扱いはあまりにも酷いものがあります。その評価の酷さについては、満久先生が、かの『荘子』に記された言葉で紹介されています。「大木だが瘤(こぶ)だらけで墨縄がつけにくく、小枝が多くて差金がきかない。舟に作れば沈み、棺槨(かんかく/棺)に使えば早く腐り、器物にすれば壊れやすく、門戸を作れば木脂(ヤニ)が出るし、柱にすれば虫に食われ、全く役に立たぬ悪木」あまりの言われよう。

何かシンジュの木が悪さをしたか(倒れて家を壊したとか)シンジュの木で出来たものを買ってきて嫌な目に遭ったとか余程のトラウマでもあったのではなかろうかとしか考えれないほどの悪意に満ちた悪言に対して、心優しき満久先生は同じ中国の書物『古文真宝』の「天、我が材を生ず。必ず用あり」の言葉を持ち出して、「自然界ではどんな木だってそれぞれの存在価値がある筈で、無用の木などある筈がない」と締めらていて心が救われます。しかしここまでこき下ろされるには何か大きな理由があったのかも。

誤訳とはいえ、『神の樹』の名前を戴いたシンジュですが、もしかして命名者は中国におけるシンジュのあまりの言われように救いの手を差し伸べるべく、あえて神の樹との漢字を当てたのではと勘繰りたくもなってしまいます。私はこの木を、『ビーバー隊長』こと三重県の武田製材武田誠さんから数年前に貰い受けていていましたが、丸太の挽き割状態で仕入れたものなので、しっかり乾かせてから使おうと、天然乾燥させて放置していた(そのまま存在を失念していたともいうが)いまだ手つかずです。

ですので、果たしてこの木が本当に箸にも棒にもかからない役立たずの木なのか、それとも荘子の言葉が言われなきいいがかりなのか、まだ実証出来ていません。しかし、【森のかけら】の解説文にみも添えているように、私のスタンスとしては「木は決して人間のためだけに生まれてきたものではない」と考えていますので、人の役に立つか立たぬかで木の良し悪しを決めつけてはいけないし、そこまで言われるのであればシンジュのまだ知られぬ魅力を引き出してやろうではないかと反骨精神に火が付くのでありました




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