森のかけら | 大五木材


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大学生の頃に映画研究部に所属していた私の愛読書は『キネマ旬報』でした。田舎で純粋培養され、心にニュートラルという遊びがなかった頃の素朴で真面目な人間だった頃の私にとって、本に書いてある事がすべて真実だと信じていました。そんな私を映画の世界に導いてくれたのがキネマ旬報であり、映画のマニアックな鑑賞法の指南書でもありました。その後、『イメージフォーラム』や『映画芸術』という闇に迷い込み、当時の映画批評のひとつの極北にあった、フランス文学者で元東京大学総長の蓮實重彦氏の批評などに触れることで何か分かったような錯覚に陥っていました。

プロレスで言えば、正統派のベビーフェイスレスラー、ボブ・バックランドが大好きで、地方の試合では必ず尻を出すお茶目なエンターティナ―、ディック・マードックの素晴らしさに気づかずに嫌悪感すら抱いていたのですから、今もしタイムマシーンがあれば、その時代に行って、早く覚醒しろとウエスタン・ラリアートの一発でもお見舞いしたい気分です。そんな迷宮の中にいた私を救い出してくれたのが、一人の映画評論家と一冊の本。その人の名前は畑中佳樹、本のタイトルは『2000年のフィルムランナー 』。友人に紹介されて畑中佳樹の書いた文章に出会い強い衝撃を受けました。それまでキネマ旬報や映画芸術などのお堅い映画雑誌で、難解な映画理論で映画を語ることこそが映画を深く観る事であり、何よりも恰好いいと信じて疑わなかった純粋培養映画青年にとっては、こういう映画の観方があるのか~!

その思いをこういう言葉で表現するってありなのか~!と、評論本を読んだというよりも、新たな物語を読み終えたような感覚になり、それから氏の書いた本を購入して漁るように読みました。それまではいかに私心を捨てて映画の良しあしを論ずるかという評論家かぶれのような映画の観方に毒されていたため、世間的な評価など一切お構いなしで、自分の思いをガツンと正面からぶつけて、砕けてこぼれた瓦礫の中から、自分がこれぞと思うかけらを拾い集めて、万感の思いを言葉に込めて絶叫するスタイル

そんなスタイルの映画批評に強く心を揺さぶられました。当時、自分に自信が無く、他人の物差しで作品をはかることしか出来ていませんでした。それから畑中さんの文章を何度も読み返しました。もう30年近くも昔の事ですが、その影響は大きく、その後『適材適所』やこのブログなどで文章を書く機会が増えたのですが、決めつけたもの言いや、かくあらねばならない的な言い回し、絶叫スタイルなどは自分のもののように使わせてもらっています。論ずる対象は違えども、いかに愛情という物差しで論ずるかは共通しています。




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