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| 現在、年末までのロングセールを行っていますが、それに合わせて倉庫の奥で眠っていた材を引っ張り出したりと、倉庫の大規模整理も兼ねています。倉庫の奥の奥にあるような材は出すとなると、まずは手前のモノを片づけなければならないのですが、狭い倉庫に重なり合うように置いてあるため、そこに手をつけようと思うとえらいことになりそうなので、これをどこかに移動させるぐらいなら、売ってしまった方がいい!だったらそれが売れてから奥のモノを動かせばいい、などという都合のいい妄想で心をだましてきました。 |
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しかしそれも限界という事で、思い切って手つかずだったエリア(縦横無尽に木材が重なりあっているので、フォークリフトが使えず、すべてが手作業・・・。こういう時、自分の妄想の中では禁猟区に足を踏み入れたハンター!をイメージして心を奮い立たせているのです。そしたら、昔見たことがあったであろう懐かしのモノたちが出るわ出るわ!出たついでに特価で販売しております。いろいろな「時代に乗り遅れてしまった遺物」のようなモノも出て来ているのですが、このタモの積層親柱もそんなモノのひとつ。 |
| いや、もしかしたら私が知らないだけで、まだまだこういうタイプの親柱も現役でご活躍なのかもしれませんが。この数年、私が訪れた現場では見た記憶がありません。にもかかわらず親しみを感じるのは、20数年前に建てた自宅でガッツリ使っていて、毎日見ているから。昔はウレタン塗装にも何の抵抗も感じていませんでしたし、デザイナーズ住宅とは無縁だったので、階段の親柱といえばこういうモノぐらいの認識でしたので、こういうモノを普通に受け入れて普通に売っていました。そんな時代の名残です。 |
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経緯はまったく覚えていないのですが、大目に注文してしまったのか、キャンセルをくらったのか何かしらの理由で在庫になってしまったのだと思います。しっかり段ボールに入っていたので、ほぼ新品同様。軽微なかすり傷が数か所あるぐらいで使用に問題はありません。この頃はまだタモとナラの違いもよく分かっていませんでした。当時はなんでもかんでもタモ、広葉樹といえばタモといわれるぐらいにタモ全盛時代でしたが、まさか後々タモが高騰して簡単には手に入りづらなくなる時代が到来しようとは・・・。このタモ積層親柱はオンラインショップにて(アウトレット)販売しています。 |
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240種に及ぶような多樹種を扱っていてもっとも大切な事は何だと思われますか?それは、木が混ざらないようにするという事。もうこれに尽きます!プロのくせに樹種の見分けもつかないのかと呆れられるかもしれませんが、あくまでも私の場合。もう胸を張って言ってもいいぐらい(?)なんですが、見分けつきません!そりゃあ、スギやヒノキやサクラやブナなんてメジャーな木ぐらいは見分けつきますが、【森のかけら】240種の中にはほとんど情報も知見もないようなマニアックな木がいくつもあります。 |
| 東南アジア圏やアフリカなどのマイナーは木になると、どうにか手にして数枚の木と専門書のわずかな情報だけが頼りで、仕入れ先の言葉を信じるしかないものだってあります。フタバガキ科なんてどれもこれも似たり寄ったりで、小さくなればなるほど見分けるポイントも少なくなって見極めるのは困難を極めます。仕入れる時はそこそこの大きさの板やら角材で購入するため、それなりに木目や木柄、色合い、重さなど特徴も分かるのですが、問題はそれを製材して割り返して小さくなってしまった場合。 |
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【森のかけら】は35㎜角なので、およそ40~45㎜角の荒材で保管するのですが、そうなってしまった時が一番注意が必要なのです。一度に数十種類の木を製材するので、ここで名前をつけ忘れたりしたら大変な事になります。木に名前を書く場合に一般的に使われるのが、この『木材チョーク』。いろいろなメーカーが生産していますが、弊社では昔からこの寺西化学工業㈱のマーキングチョークを使っています。かなり使い込んでいますが・・・。油性タイプで濡れても消えずに折れにくい、材木屋の必需品。 |
| と、普通であればこの木材チョークで名前を書くのですが、【森のかけら】の場合は保管スペースの関係もあって、40~45㎜角に荒加工した角材を棚に積み上げていくため、平面ではなくて小口に書かないといけないのですが、木材チョークだと細かな文字が書きにくいので、仕方なく油性のマジックで書くことになります。経験したことのある人なら分かると思いますが、埃や木粉も付着していてガサガサで凸凹した木の小口に文字を書くというのはかなりストレスの溜まる作業なのです。 |
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マジックの先端にも木粉とかが付着してすぐに書きにくくなります。なので、うちでは一端小口をカットして滑らかにしてから名前を書くようにしています。そうやって名前を書くのですが、一度に沢山の種類の名前を何度も何度も書いていると、ゲシュタルト崩壊を起こして、これって漢字として合ってるのか分からなくなること多数。木編の名前がつく樹の場合が多いのですが、例えば「椎」とか「樅」、「樫」、「櫟」など。あるいは「梅」と「栂」が混同したり。名前をつけたものの判読不可能という「今そこにある危機」! |
| 四国電力さんの広報誌『ライト&ライフ』から転じて、宮崎の『霧島アカマツ』の話の続きです。若い頃、木材の地域名に対して深く考えたりしていなかったので、言われるがままに記号としてインプットしていたので、その名前の背景や由来に関心もありませんでした。なので宮崎から入ってくるマツは『霧島アカマツ』というのだと漠然と考えていました。後年になってその宮崎の銘木屋さんの所に行くことになって、初めてその名前の由来とかを聞いて、初めてそういう事だったのかと気がつきました。 |
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銘木屋さんが扱っていたため必然と目の込んだ高齢木で木目の面白いモノが多かったため、霧島アカマツって質のいいものがあるなあと思っていたら、その銘木屋さんによると、もともとは霧島連山周辺の山から産出されるアカマツの中でも特に良質で樹齢が200年ぐらい経たようなモノを『霧島アカマツ』と称して銘木扱いしていたものだったそうです。そこまでの品質ではないモノは、『日向松』として分類されていたらしいのですが、商圏が広がるにつれその区別が曖昧になっていったという事のようでした。 |
| まあ木の世界ではよくある話で、もともと口伝で語り継がれる世界なので、遠くに行けば行くほど話に尾ひれ背ひれがついたり、話が盛られたり、混乱するもの。その話自体もどこまでがどうなのかはっきりとは分かりませんが、そういった分類のようです。そう聞いてから在庫の『霧島アカマツ』を見直して見れば、確かに銘木と思わせる雅趣に溢れた杢のモノも多いのですが、中にはとても銘木とは呼べないような目の粗いモノも混ざっていたり。そういえば、銘木屋さんも「霧島の松」と言ってたような(笑) |
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さて、今NHKの大河ドラマ『西郷どん』は佳境を迎えておりますが、その薩摩藩士たちが宝暦治水工事の際に地元から苗を持ってきて、油島締切提(岐阜県)に植えたのが『千本松原の日向松』。徳川家重の時代、力を持っていた島津藩の勢力を削ぐために、大洪水で被害の出た堤防工事を島津藩に普請させます。当時40万両とも言われた巨額の資金をさせられた薩摩藩の藩政は逼迫し、堤に植える松の苗を購入する資金にも事欠き、仕方なく地元から持ってこようと片道25日をかけて薩摩に戻ることとなったのです。 |
| 長い船旅を終えてようやく日向まで戻ってきた一向は、島津藩とは親戚筋に当たる佐土原藩の国家老の屋敷に泊めてもらうことになります。事情を知った佐土原藩家老は事情を知ると家来たちに命じて日向に自生していた苗を採取させて船で届けたのです。届いた日向松の苗を薩摩藩士たちは泣きながら植林しました。その後、日向松は立派に成長し、『千本松原』として美しい景観を作り出しているのです。その一方で治水史上最大ともいわれた宝暦の治水工事は困難を極め、巨額の資金を費やし、多くの犠牲を出したことから、指揮を執った薩摩藩家老・平田靱負は自刃するのです。 |
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平田靱負(ひらたゆきえ)は、次のような辞世の句を残しています。「住みなれし里も今更名残にて立ちぞわづらふ美濃の大牧」。その無念いかばかりであったか・・・。男気溢れる薩摩藩士たちの奮闘と生き様を描いた『薩摩義士伝』(平田広史著)は涙なしには読めません。近年多発する自然災害によりインフラが大きな被害を受けていますが、その陰で全力を尽くして復旧に励んでいただいているのが四国電力さん。『ライト&ライフ』の取材から大きく迂回しましたが、ここにきて奇跡的に話が繋がりました。これぞ『力技と引き寄せのかけらの法則』!(笑) |
| 私が勝手に『奇杢』と呼んでいる『レースウッド』ですが、入手した当時(今から20数年前)は、ただただ物珍しい木が欲しいという事で、誰にどうやって売ろうなんて考えてもいませんでした。愛媛という小さな限られた市場の中で売り買いしていたのでは決して手に入らないであろう木材を、県外に飛び出して行っては必死にかき集めていて時代の収穫のひとつがレースウッドだったのです。しばらくの間は、来店されたお客さんにこんな面白い杢の木もあるんですよと、『見せる木、語る木』として活躍してくれました。 |
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ほとんどの反応が、「面白い」、「初めて見た」、「どうやったらこんな杢が出来るのだろう」といった感じで、まさに我が意を得たり。十分にその存在価値を示してくれました。私的にはそれだけでもこの木を持っている意義はあると思っていたので、焦って売る気も無かったのですが、そのうちこれを使ってみたいという人もぽつぽつと現れるようになってきました。圧倒的なインパクトを持っているものの、その稀有な存在感は半端ないので、下手に使うと室内のバランスを逸しかねない諸刃の剣! |
| 実際にレースウッドを幅剥ぎにして作ったテーブルとかを見られると、「うわ~面白い~!」とは仰られるものの、自分の家で使うとなるとさすがにこれはないな~という感じ。木も買い手を選ぶというのはまさにこの木にあるための言葉。そうやって年に数人現れる奇特な人の手によって少しずつ売れていたのでしたが、近年はさまざまな規制等によって海外の木材が入手困難になってきたことと、このHPのお陰で少しは認知されるようにもなってきたこともあって、県外からレースウッドを求められる方が急増。 |
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在庫しているといってもそんなに大量に持っているわけではありませんし、今後の入荷のアテがあるわけでもないので、売れるのは嬉しい反面、次第に手持ちの数が減っていくのは寂しくもあり不安でもあります。大抵の木であれば、売ってもまた今度仕入れればいいと割り切れるのですが、レースウッドのように仕入れのルートが細い木だと、これですべて無くなってしまうと、今生の別れのような気がして切なくなってしまうのです。そうやって結局どの木も少しずつ『名残の数枚』が山のように残っていく・・・ |
| 以前に大学で大学生相手に木の話をさせていただく機会があって、その中でたまたまモミとアスナロの話になったので、イメージしやすいかなと思って、ちょうどいずれもが文学に登場する木ということで、山本周五郎の『樅の木は残った』と井上靖の『あすなろ物語』を引き合いに出したのですが、そこにいた数十人の学生全員が無反応。後から先生に聞いたのですが、最近の学生はそういう昔の本や映画をほとんど読んだり観たりしていないので、授業でそういう例えを使っても理解できないですと聞かされました。 |
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私は本を読むのが好きなインドア派の子供だったので、子供の頃結構本は読んだ方だと思います。買って読むのはほとんど漫画で、本はもっぱら学校の図書室。当時、どれぐらい本を借りたか(読んだか)をグラフにしていて同級生と競うように本を読みました。意味も分からず読んだ(文字の羅列を眺めていた?)本もありましたが、紙をめくる感覚と古い本の独特の匂いは今でも大好きで、どうしても電子書籍には馴染めない昭和40年代男です。山本周五郎も井上靖も遠くになりにけり・・・ |
| いつものように枕が長くなりましたが、今日書きたかったのは節の所でバックリと欠けたゼブラウッド。長さも短く家具材としては使いにくいので本来であれば【森のかけら】にするところですが、現在『ゼブラのかけら』はたっぷりあるので、オンラインショップの『ちょこっと銘木端材コーナー』で販売することにしました。もともと大きな節のところで豪快に欠けていたのですが、そこを飛ばして綺麗な板にしてもよかったのですが、こういうものって使い勝手もあるので、あえてそのままのサイズで削りました。 |
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ゼブラウッドとしては、正直なところ縞柄は今ひとつ。節の周辺にうねりが出るので、欠けた節の周辺がいい感じになっているので惜しいのですが、まあこれはこれで個性。割れも逆目もありますが、購入された方が自由に割ったり削ったりして使っていただければ。粗削りしたサイズで440 X290X62mmですが、仕入れから15年も経過していますので、ゼブラウッドとしてはかなり軽い方だと思います。それでも収縮したりするやんちゃぶりがゼブラの怖いところでもあり愛おしいところでもあるのですが。 |
| そんなやんちゃなゼブラへの愛を、名作の台詞を使って表現しようと思っていたため、冒頭のような話になったのです。ある人が私に「世界中の木の中でどの木がもっとも好きかと」尋ねます。私は答えます、「どの木もそれなりに素晴らしく、木に貴賤などあるべくもなく甲乙つけがたくとてもどの木が一番好きなどとは・・・」と、ここまで型通りの優等生発言を続けた私でしたが、その時私の目にザックリ欠けたゼブラウッドが映ります。感極まって私は思わず本音を吐露してしまうのです。 |
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「どの木もそれなりにすばらしい・・・・・・いえ、やはりなんといってもゼブラです! 私はゼブラが大好きだ!割れていようがかけていようがゼブラが大好きなのだ~!」。そう往年の映画ファンなら誰もがご存知の『ローマの休日』の名場面。アン王女こと妖精オードリー・ヘプバーンが記者に囲まれてつい本音を漏らしてしまう場面です。映画では「どこの国もそれなりにすばらしかった・・・・・・いえ、やはりなんといってもローマです! 私はローマの思い出を生涯心に抱き続けることでしょう!」と訳されました。そういう話も若い人には通じないとしたら切ないなあ・・・ |