森のかけら | 大五木材


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今日のかけら・#013【一位/イチイイチイ科イチイ属・針葉樹・岐阜産

今日、子供達の通う小学校で『新1年生のための体験入学』が開催されたそうです。うちの子供は、上が小5(長女)で下の双子が小2(次女と長男)なので、お姉ちゃんの方はホスト役を務めて、双子達はさっさと帰宅してきました。今の1年生が、「先輩」として新1年生のお手本役をするようです。早いもので、上の娘が入学する時の親としての心のときめきからはや6年目を迎えようとしています。うちの会社の前の道路も通学路になっているので、毎朝子供達が通っていきますが、昨春新1年生になった顔見知りの男の子がいて、通るたびに元気に挨拶をしてくれるのですが、大きなピカピカのランドセルに「背負われている」ように小走りに駆けて行く愛らしい姿に、わが子の数年前の姿がダブります。この辺りの班が、小学校から一番遠い距離なので、最初はかなり心配もしましたが子供は勝手にたくましく育っていくものです。

そんなもうすぐ1年生の事を考えて、本日のかけらは『イチイ(一位)』にしてみようと思います。なぜイチイかというと、1年生でイチイというのもありますが、そのココロは彼ら新1年生が手にする鉛筆がイチイだから。いや、だったから。数年前に某雑誌に文章を掲載させていただいていた時にもこの話は書かせていただいたのですが、昔は筆記用といえば木製が当たり前でした。我々が子供の頃は、学校で確かシャーペン禁止令が出たような出なかったような・・・。それはとにかく鉛筆が筆記用具の主役で、鉛筆の軸木は木で作られています。

新品の鉛筆を箱から出したり、削ってみると懐かしいような香りがしたという経験はあるでしょう。新1年生たちも前の夜は、きちんと鉛筆を削っているかを調べるのが日課となることでしょう。しかし残念ながら彼らが手にする鉛筆は日本の木ではありません。かつては日本で作られる鉛筆には日本の木が使われていました。狂いが少なく軽軟で安定性が高く、加工も容易なイチイ(一位)が、その役割を担っていたのです。そもそも日本で初めて鉛筆の製造を始めたのは眞崎仁六(まさきにろく)氏です。

130年ほど前にパリの国際博覧会で外国製の鉛筆を見て、強く心を惹かれた眞崎氏は帰国後国産の鉛筆製造に取り組む事になるのです。何でも新しい事を興すというのは並大抵の事ではありません。鉛筆の軸木を選ぶのにもかなりの苦労があったようで、さまざまな木を使う試行錯誤の連続の末、辿り着いたのが『イチイ』の木だったということなのです眞崎氏は、1887年に東京において「眞崎鉛筆製造所」を立ち上げます。それが現在の「三菱鉛筆」です。当時は北海道産にふんだんに生育していた『イチイを使ったとされています。

その後、第一次世界大戦が勃発するとアメリカからの外国製鉛筆の輸入が途絶え、本格的な国産鉛筆の生産が始まるのです。『イチイ』の採れる北海道には、多くの鉛筆工場が建てられ活気を呈したといわれています。こうなると、ただの鉛筆の今昔的な話ではなく、日本という国のものづくり物語のようにも思われます。先人達のものづくりの情熱は素晴らしいです!あらゆる事に貪欲で、たゆまぬ洞察力、一心に取り組む行動力、そういう時代のエネルギーはあったかもしれませんが、やはり個人個人に人間の資質も今よりは随分違っていたのだと思います。学ぶことばかりです。さて、隆盛を極めた鉛筆業界でしたが、その後歴史のいねりの中に巻き込まれていきます。当時の国産の木を使ってものづくりをしていた多くの産業が辿った苦難の道を辿ることになるのですが。明日に続くく・・・。

 

 

 

 

 




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