森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

愛媛ではまだまだ認知度が低いサーモアッシュ。それはお前のPR不足だろうが、と言われれば仰る通りなのですが、言い訳がましく釈明させていただくならば、むやみやたらに広がる事への怖さもあります。外部に木を貼りたい、壁面に木を使いたい、という需要は相当ありまして、私も相当相談を受けます。そのたびに耐朽性や施工性、コストなどの問題をひとつずつ検証しながら説明していくわけですが、最終的な要望としては防腐剤を使わないで雨風に耐えて長持ちして、そこそこの価格で意匠性のあるもの・・・。

正直言って、私の知る限りそれらすべてを満たす外壁材はありません。どれかの条件を満たせばどれかが足りず。耐朽性も意匠性もあれど高価とか、価格はリーズナブルだけど供給量が不安定とか、防腐剤は使う必要があるとか、それぞれに一長一短。まあ、条件を完璧に満たすものがないから設計士さんも悩んでおられるところなんだと思います。材木屋としては木を使っていただけるというのはありがたい話なんですが、外部に使っていただく際に一番気になる部分は、『経年変化』に対する理解というところです。

例えば外部に適性のある木として知られる『ウエスタン・レッドシーダー(米杉)』ですが、油分も多くて耐湿性に優れ、高い意匠性を持っています。ワインレッドと称される濃い赤紫色は魅力的ですが、経年変化によって銀灰色になります。それを私は「ロマンスグレー」と呼んで愛でております。このウエスタン・レッドシーダーぐらいになれば施工実績も豊富で、ロマンスグレーに成長した生の現場やその姿は雑誌やSNSでもよく見受けられるので、施主さんへの説明もしやすいのだと思われます。

じゃあ外部はウエスタン・レッドシーダーでいいじゃないかというと、そこは人間の業というか、探求心というか・・・どんなに美味しい料理でもいつもいつも同じ料理ばかりでは飽きてしまうというやつで、ちょっと毛色の違ったテイストを、ということで偏屈材木屋にはそんな変な木もあるであろうと訪ねて来られるのです。うちだってウエスタン・レッドシーダーぐらい扱っているんです、いるんですが、そんな期待に応えるのも偏屈の腕の見せ所!ということで徐々にハードルは上がっていくことになるのです。明日に続く・・・




こちらは愛媛県産の『ヒノキ』の板。農林水産省の平成26年木材統計によると、愛媛県のヒノキの素材生産量(つまりヒノキ原木が山で伐採され搬出され販売された量)は、岡山、高知に続いて堂々の第3位のヒノキ王国です。2007年から2011年にかけての5年間は、生産量日本一の座にあったのです。しかし製材された製品の多くが県外へ出荷されることや、食べ物などと違ってその流通経路や販売現場が一般市民の目に触れることも少ないため、多くの県民にヒノキ王国であるという自覚は少ないと思われます。

少し田舎に行けば見渡すばかりの山々ですが、伐り出されるヒノキは一般の方が目にする国道沿いではなくもう少し山の奥にあります。一般に方がイメージされる「山」と、山林経営としての「山」にはかなり隔たりがあります。田舎の道を走ればそこら中に生えている野良生えの木々を見て、これが住宅の元になるのか、なんて思われる人もいるかもしれませんが、そういう木はほとんど伐採されることもありませんし、建築資材にも適しません。自然素材という言葉についつい誤解しがちですが木であれば何でもOKという事ではないのです。

こうして製材され加工され文字通り檜舞台に立つことのできる木は、限られた木なのです。しかもこのように無節で赤身とのバランスがいいようなヒノキとなると、多くのヒノキの中でも更にひと握りの選ばれしエリートなのです。今回はたまたま愛媛県産材指定ということでしたので、こういうエリートでしたが、弊社が普段扱っているのは、ヒノキやスギなどの王道の木ではなくて、ひっくるめて「雑木(ぞうき、ざつぼく)」扱いされる名もなき広葉樹のしかも節や傷のある「問題児」ばかり。しかしこの問題児がたまらなく愛おしい!

それでも時々はこういう無節のヒノキなども扱うと、弊社とのお付き合いが新しい方の中には「えっ、こんな普通の木も扱っていたんですか?!」と驚かれる方もいらしたりして、果たしてどんな材木屋だと思っていたのだろうかと尋ねたくなることもあります。この10数年間、意図してそういう方向に舵をきってきたわけですから、その効果が出てきたかなと嬉しく思いつつも、自分の想定とは違うとんでもない大五木材のイメージが出来ていたりするのかも・・・まあ、それもすべてひっくるめた『木のもの屋』になれれば本望!




今ではすっかりマニアックな木を専門に扱っている材木屋という風に誤ってイメージができあがりつつある弊社ですが(実際は全然そんな事はないのですが)、まあ確かに扱っている材はひと昔前に比べるとかなりさま変わりしました。4寸の化粧柱が主流であった時代には、鴨居敷居も梱包で仕入れていいて、倉庫に積み上げられ、それをばらして立てかけるのが日課でしたが、いまではすっかりそれらの仕入れも激減し、更に本来の目的で使われることもほとんどなくなりました。本来の目的以外というとどういう用途なのか。

その答えのひとつがこちら。今日も今日とて、4mの4寸鴨居をバンバン挽き割っています。長さも1mにカットして、幅も3つ割り。私自身もひと昔前の感覚ならば、あり得ない荒業でしたが、そもそもこれは再割用に買った「たまたま鴨居サイズ」なので、一切躊躇はありません。前時代的な材木屋感覚だと、「大きな材は大きく使え!」というものでしたが、今は「小さく割ろうとも価値を高めよ!」。本来の鴨居や敷居などの造作材として売った時の数倍の値段で売れるという前提があればこそではありますが。それで割ったものがこちら。

およそ1mの43㎜角に割ること20数本。昔のように建築という出口1本しか持っていなかった時には考えることも出来ませんでしたが、今は少しは視野が広がったお陰で建築材の呪縛からは随分と解放されました。そういう視点で木材を見れば、それがいかに汎用性のある美しくて表現力のある素材なのかということがよく分かります。それゆえ、43角に再割した時に発生する薄っすい引き落としにすら、「まだ使える可能性」を感じ取ってしまうのです。普通ならばまず間違いなく焼却炉行きの端材・・・。

私にはどうしてもこれが「捨てるしかない端材」に見えないのです。主役の43㎜の角材がどうなるかという事についてはいずれまた改めてご紹介しますが、とりあえず出口の決まっているそちらよりも、私にとって重要なのはこちらの厚み2㎜程度のこのペラペラの板の方。なぜなら出口が定まるまではこの状態で保管しておかなければならないから。そうやって出口待ちの端材がどれほど多いことか!早く出口を見出さねば、「使えぬ端材」の闇の中に堕ちていってしまいます。私が救い出さねば誰がやる~!




材木屋という職業柄、『』とか『』というキーワードに非常に敏感になっていて、まったく木材とは関係のない言葉の中にでもその文字が入っていると無意識に反応してしまうのは材木屋の性です。例えば苗字でも「木村」とか「大森」とか妙に意識してしまいますし、名前にも木に関する言葉が使われていたりすると過剰反応!『桜子』だの『胡桃』、『梓』、『桂子』なんて、もうその木を使うことが運命づけられているとしか思えないので、そういう方と木の仕事で繋がると必ずその木をどこかに使うご提案をするのが礼儀。

ところで、先日映画『キングコング 髑髏島の巨神』を観た際にも、劇場での予告編に『木』が登場して目が釘付けになりました。それは、宇宙のはみ出し者たちの活躍を描いたアクション映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(残念ながら未見)の続編「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」に登場する、『歩く植物ベビー・グル―ト』。前作を観ていないのでその背景がよく分からないのですが、どうやら前作では巨木だったグルートが今回は可愛いキャラとして登場するということらしいのですが、

予告編ではそのベビー・グルートに(話せるのは「ボクはグルート」という設定)、銀河の運命が託されたにも関わらず、周りから「危ないから押すなよ、絶対押すなよ!」と言われながらも笑顔で起爆装置のボタンを押しそうになってどこかへ走り去るという、ダチョウ倶楽部的なノリでしたが、ポスターのキャッチコピーには、『最終兵(器)』の文字が!言葉遊びとしては面白いものの、材木屋としては『木』が『兵器』になってしまうというのは、ある意味で深いのですが、コピーそのものには深い意味はないと思います(笑)。

リサイクル可能な資源」としてはさまざまな用途で汎用的に利用されている木材ですが、時にそらは命をつなぐ希望ともなります。かのイースター島では先住民族であるポリネシア人による無計画な森林の乱伐(偶像モアイを製造・運搬するために大量の丸太が必要)によって深刻な環境破壊が起こり(土壌が流失して食物の栽培ができなくなる)、食料を争う争いによって滅んだとされています(現在ではこのエコサイド説に対して、ヨーロッパから到来した船によって島に疫病がもたらされたという説を唱える学者も現れていますが)。

そういう意味では、森林とそこから産される木材は『最終兵器』と言っても過言ではないかもしれません。日頃は、倉庫に中でなかなか売れない(売らない?)木材たちの前に仁王立ちになって、これを何に加工すれば売れるのだろうかと頭をひねっているものの、もし本当に森が消えてしまえば、イースター島のように釣り竿1本作れなくなってしまう(代替材があるという野暮な事は言いっこなしで)と思うと「何にしようか」ではなく「何にでもなる」という思考でいないとイメージも広がらないし、それこそ最終兵器にすらなりえない。




今日も『キングコング 髑髏島の巨神』の話。映画を観終ってからいろいろな雑誌やネットで制作裏話や評価を読みました。そもそもネガティブで怪獣愛の無い人の意見などハナッから読む気もないので、おのずと好意的な意見しか目にしないので、非常に幸せな気分。多くの分析の中で、これがもうひとつの『地獄の黙示録』であることが指摘されていましたが、主人公の元英国陸軍特殊空挺部隊員の名前がコンラッドであったり、先の戦争から島の住んでいる戦闘機のパイロットの作ったボートで川を下るくだりや全米のポスターなどまさにそれ。

並んで飛ぶ攻撃ヘリの場面や、ヘリから拡声器で音楽を流す場面など、臆面もなく『黙示録』をパクッていますが、監督へのインタビューでも監督自らが、「ビジュアル的には『黙示録』を狙った」と述べていることろからも、確信犯的に黙示録のビジュアルを踏襲したようです。堂々と主人公に同じ名前を付ける潔さも屈託がなくて、現地の不気味な住民が現れるお約束の場面などにも、いつものコング映画とは違う深みを感じさせたものの、奥から現れるのはカーツ大佐ではなく狂言回し的な元パイロットと緩急が効いてる!

怪獣映画に対峙する正しい姿勢としては、馬鹿な疑問を持ったり、下手な突っ込みをしない、ありのままを受け入れるということなので、ここで細かな事を指摘するつもりは毛頭ありません。十分に楽しく見応え十分でした。更にこの後で、『キングコングVSゴジラ』のレールも敷かれているようですが、『パシフィック・リム』の ギレルモ・デル・トロ監督やこのジョーダン・ボート=ロバーツ監督のように、子供の頃に日本のアニメや漫画の洗礼を受けた怪獣おたくに監督をお願いしたいところです。

ところで口から炎やレーザーを放つわけではないコングにとって、武器となるのは己の拳や脚といった屈強な肉体と、決闘の場面では必ずそばにある岩や木。今回もそれらが大切な武器となるわけですが、丸太を持ったコングが、プロセッサ・ハーベスターのように瞬時に枝を払って棒にして敵と戦うシーンがあります。今回は、ゴジラと戦う布石としてコングが必要以上に巨大化していますが、通直な丸太だったので針葉樹だろうけれども、そんな芸当したらさすがに掌痛めるだろうと材木屋としては心配になってたのでした。★★★★1/2




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2017年4月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
Scroll Up