森のかけら | 大五木材


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本日も妄想の公務員・藤田雅彦邸のウッドデッキで遊ばせていただきます。カメラを向ければ何かせずにはいられないというのもこの病の症状のひとつです。その日、撮影に来ることを知っていた藤田さんは当然いろいろな仕込みをしていました(頼まれてもいないのに)。さり気なく出来立てのウッドデッキの上で日曜日に本を読んでいる体の絵が欲しいと言えば、小道具まで自ら積極的に家の中から持ち出してきてすぐに応えてくれるのはもはや達人の域!背後の壁もこの後ブチ抜かれることになります・・・


達人はディテールにも手を抜きません。まあ、これが手抜きではないのかどうかは個人的な感覚ですが、私としては藤田さんの「本気度」がビシビシと伝わってきました。ある休日のウッドデッキでくつろぐ主人が目を落としているのは、お洒落なファッション雑誌?村上春樹の最新刊?いえいえとんでもありません。我らがバイブル、白戸三平先生の『忍者武芸帳』の愛蔵版!恐らく『カムイ伝』にするかこちらにするかについては、私たちの見えないところで大葛藤があったに違いないのです。嗚呼・・・

敢えて話を脱線させますが、今さら説明の必要もないと思いつつも、最近の若い方はご存知無い人もいらっしゃって、それだとこのネタが十分に楽しめないと思われるので軽く説明しますと、大名や武家たち支配者層と対立する被支配者層である農民や地侍たちとの間で起こる一揆などの陰で暗躍する忍者の悲哀などを描いた壮大な歴史群像劇であり、歴史にその名を刻む名著なのです。シュールな白戸先生の劇画のタッチは当時はかなり衝撃的でした。


ここでもあまりにに無慈悲で不条理な運命に翻弄される農民たちの姿が描かれるのですが、さらにそれは『カムイ伝』、『カムイ外伝』によって、「生きるとは何か、ひととは何か」という根源的なテーマとして世に問われることになります。ちなみに『忍者武芸帳』が描かれたのは私が生まれる前の1959年、『カムイ伝』は1964年からかの『月刊漫画ガロ』に連載されていました。当然私はリアルタイムで読んだのではなく、後年コミックになったものを読んだのです。完成度、衝撃度でいえば『カムイ伝』なのですが、『忍者武芸帳』はかの大島渚ATGで静止画によるモンタージュという野心溢れる実験的映画にしたということで映画史にも刻まれる伝説となったのです。

お分かりいただけたでしょうか?なぜ藤田さんが、爽やかな休日のウッドデッキにはあまりにも血生臭い『忍者武芸帳』という漫画を持ち出してきたのか。私を喜ばせるため?そうではありません。大名や武家たち権力者から理不尽な扱いを受けて、命を賭けた一揆でしか意思を示せない農民の義憤や怒り、影として生きていくしかない忍びの悲哀などが『忍者武芸帳』のテーマなのです。それをこんな健康的なシーンに持ち出して読むということは、つまりこれは藤田さんによる「声なき声」!自らも筆を持って作品を描くアーティストでありながら、その特殊能力いう刀を鞘に納めて活かすことのできぬ己の環境とその不条理を嘆き、俺に忍者としての死に場所を与えてくれという無言のアピールにほかならないと思ってしまうのは私の妄想?!




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