森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

今年もいろいろな木材をいろいろなところに販売させていただきましたが、その中にはさまざまな出会いと別れ別れがありました。材木屋としてやはり「店の看板」にするというような材も少しは持っておきたいところ。とはうえ弊社のような零細材木屋だと、あまりに看板ばかり持っていても、その重さで倒れてしまいますので、2、3枚ぐらいがちょうどいい。そのうちの1枚が長さ3900、幅900、厚み58㎜の北米産ブラック・ウォールナットの両耳付きの一枚板です。永らく番を張っていただきました。

大き節や割れがあるものの、そのフォルムの美しさと黒~濃茶が溶け合ったグラデーションに惹かれてひと目惚れ。今から15年ほど前に、売り先の当てもないのに衝動で買ってしまった一枚です。それが生材ならばまだ割安だったんでしょうが、その段階で既に乾燥している乾燥材で、その頃の私としてはかなり思い切った値段で仕入れました。今ならまず手を出さないだろうという値段です。他の材もいろいろ一緒に抱き合わせて買ったので感覚も麻痺していたのかもしれません。

ほどなくしてその木がうちにやって来ました。大きな市場で見た時よりもそれは大きく、すぐに弊社の小さな倉庫の牢名主的な存在になりました。どうでっか、こんなモノを持ってますよ~!と、たっぷりと見せびらかしに使い、店の顔として活躍してくれました。看板としては有能ながら、サイズが大きすぎて実際に使える現場もなく、私も「もうこのまま売れなくてもいい」ぐらいの気持ちでいました。そんなうちの大看板に今年お声がかかったのです!慌てて埃を払って久しぶりの顔見せ興業!

当初はそこまで大きなサイズを考えていらっしゃらなかったのですが、見ていただいて気に入っていただき、遂に大看板が私の手から離れる事に!正直まさか売れるとは思っていなかったので、驚きもあったのですが、ありがたいご縁。15年も手元にあると愛着も湧いて、名残惜しくもありますが、木は使っていただいてこそ価値があります。ウッドワークかずとよさんで仕上げていただき、積水ハウスさんの現場に納品。ビシッと化粧されて仕上がった姿を見ると感慨深いものが胸にこみあげてきます。明日に続く・・・




相変わらずいろいろなイベントで人気の『木の玉プール』。現在はレンタル用のセットが2セットありますが、週末ともなるとイベントに引っ張りだこ。お陰で木の玉もこどもたちに触られてすっかりツヤツヤツルツルになっています。よく問い合わせをいただきますが、最初っからそんなにツヤツヤツルツルなわけではありません。主にヒノキを使って作っているのですが。よく乾燥したヒノキを使っているので、加工して弊社に届いた直後は表面は結構毛羽だっていて、光沢も無く触感もザラザラしています。

そこから先、木の玉をツヤツヤツルツルにしてくれるのは子どもたちの「仕事」。握ったり触ったり掴んだり舐めたりしながらヒノキの玉な磨かれ滑らかになり光沢が生まれていくのです。意外に思われるかもしれませんが、一見するとまん丸に見えるかもしれませんが、加工上の問題で実は真球ではありません。写真を見ていただくと分かると思いますが、お尻の部分は平面にカットしてあります。遊んでいるうちに次第に削られ底も滑らかになってまん丸に近くなっていきますが。

レンタルだけでなく販売もしていて、本日も発送するために数を数える作業。数千個の木の玉を広げるとかなりの迫力!出来上がったヒノキ球が箱に詰められてやって来ますが、箱を開けて広げるとそこ中にヒノキの香りが一気に広がります。まだ子供たちの掌に触れられる前の少しザラッとした初々しいヒノキ玉の海。建築や家具の分野では球を作ることがなく、直線・直角で納める仕事ばかりなので隙がないのですが、球体って隙があるというか遊びがあるというか緩みが心地よい!

木の玉に関しては私の家内(高橋佐智子)が担当していますが、私独りだったら決して扱っていなかったと思います。仕入れたところで、これどうやってどこに売ればいいのか?そんな風にしか考えられなかったと思います。木育活動を通じて保育園から幼稚園、施設などさまざまな場所に出張していって、子供だけでなくおとなも実物に触れて楽しんで人のつながりの中でここまで広まっていきました。直径30㎜足らずの小さな球体ですがそこに込められた思いは無限大。たかが木の玉、されど木の玉。




昨日に続いて木材を納品させていただいた『SEA FOOD HUT MATSUYAMA 』のプレオープンの試飲会のお話。白い紙の上にサーブされた食材にひるんだものの勇気を出して手を出してみればコクのある濃厚スープがからまって甘辛でとても美味。最初こそ譲り合っていたおっさん連中もそのうちに抵抗感が薄れて、自発的に手が出るようになっていきました。若い人やカップルだと軽いアトラクション感もあって楽しめるのだと思うのですが、50も過ぎたおっさんたちにはなかなか初期ハードルが高いスタイルでした。

こういう事も経験ですのでご興味のある方は是非一度チャレンジしてみて下さい。東京あたりではかなり流行っているとの事なので、もしかしたら今後はこういうスタイルの店が流行ってくるのかも?住宅も時代に合わせて変わっていってますが、飲食店の移り変わりも激しい。世の中、何が当たるか分かりません。ところで、このお店のどの部分に関わらせていただいたのかというと、今回はいつものようにテーブルやカウンターではなくて、下地材とベンチの材料です。

ベンチに使うのでこれこれこういうサイズが欲しいと注文が入った時には今ひとつ使い方が分からなかったのですが、完成してみて納得。スギの節の少ない「いいところ」を加工して面取り仕上げ。Rの下地に沿わせてベンチに仕上げられました。結構な数が必要だったのですが、スギの化粧材って最近すっかり出番が減っていて、どうしようかしらと考えあぐんでいたところにありがたいピンポイントのご注文でした。こういうのも乾燥した在庫あればこそ対応できるというもの。

最近は、以前に入居していた店の内装や厨房機器、空調設備、什器などの設備をそのまま利用する『居抜き』の現場も増えていて、新規店舗だからといっても常に木材の出番があるわけではありません。たまたまお付き合いのある『すずかけ商会』さんをはじめとする店舗屋さんが、木が好きな人が多いので弊社の出番もあるだけ。木をたっぷり使ったお店が繁盛してもらってこそ、巡り巡って我々にも仕事が来る。木を売るだけではなく、木の店のお客になるという事も大切な仕事なのです!という事でまたお酒も飲みにいかねば。ご繁盛祈念しております。

SEA FOOD HUT MATSUYAMA

定休日   :月~日・祝前日・祝日




ご紹介がすっかり遅れましたが、今年の夏の終わりに松山市三番町にオープンしたのが『SEA FOOD HUT MATSUYAMA 』。東京の方では流行っているらしいのですが、手づかみで食べるシーフードのお店。流行に疎い私全く知りませんでしたが、訊くところによるとアメリカのルイジアナ州で発祥したそうです。ルイジアナ州では昔から魚介類を手づかみで食べる文化があり、そこに辛いスパイスを効かせたケイジャン料理とフランスからの入植者の影響を受けた多国籍風のクレオール料理文化が加わって完成したそうです。

そのお店に弊社も少し木材を納品させていただき完成後に関わった業者をお招きいただきご馳走していただくことになりました。ザックリとそういうスタイルのお店だとは聞いていたものの、よく理解できていなかったのであまり気にしていませんでした。それで、席に着くとオーナーからご挨拶があり、そこで初めて手づかみシーフードの食べ方の説明がありました。まずはテーブルの上に大きな白い紙が敷かれますが、普通ならあるはずの皿も箸もフォークもスプーンも無い・・・。

まずはそこにドレッシングのかかったサラダが置かれます。それを手づかみで食べるのですが、さすがに我ら昭和生まれの『お箸の国の人』、素手で食材を掴んで食べるにはちょっと抵抗があります。乾きものならまだしも、ドレッシングのかかったサラダとなるとなかなか躊躇。このお店を施工した『すずかけ商会』の犬伏君が口火を切りようやく食事が始まりました。その日は正式なオープン前の試食会も兼ねていて、誰かを見本にしようにも我々関係者だけしかおらず不安な中、食事がスタート。

そしていよいよメインの『手づかみベーシックセット』が登場!熱々にボイルされ特製ソースがよくからんだズワイガニをはじめとする魚介類と野菜たちが、皿ではなく白い紙の上に直接ぶちまけられます。初めて見るスタイルなので皆一瞬たじろいでしまいます。いいのか、これ?って感じです。ソースものだけに見た目はなかなか強烈。なかなか誰も手を出しません・・・そして覚悟を決めて恐る恐る素手でカニの脚をつまんで食べてみる。うまいッ!続きは明日・・・




マニアックな映画秘宝の読者といえども、その事を気にする人など誰もいないだろうと思われる着眼点。そう、キングギドラが今にも踏みつぶそうとしているのは、材木小屋!ちょうどのところで画像が見切れているので、全体像が分からないので、これが製材工場の材木置き場なのか、材木屋の倉庫なのか詳細は不明ですが、いずれにしても木を扱う店の一角である事に間違いはありません。キングギドラが初めて登場したのは1964年、私の生まれる2年前の事。表紙のキングギドラが何年の作品か分かりませんが、いずれにせよ今から55年ぐらい前の一場面。板塀の純和風の家々の奥には防火水槽の櫓が見え、手前には積み上げられた原木や板材が崩れかかった様子が垣間見えます。田舎によくあった住居と仕事場が併設したスタイルだと思われます。この材木小屋もこの後キングギドラに踏みつぶされたのでしょうか・・・

ミニチュアの丸太や板の1本1本まで精巧に作られた職人の仕事ぶりは素晴らしく、丸太もただの寸胴の円柱ではなくて、枝があったり、剥いだ樹皮まで転がっているなど精緻!今ならCGで簡単に作ってしまうところでしょうが、この時代ひとつひとつがすべて手作り。時代考証とかいった難しい話でなく、木が身近にあって、よく分かっているスタッフも沢山いて、迷いもなく再現されたのかもしれません。当時ですから高層建築物なんてあまりなくて、怪獣が踏みつぶすのは一般的な和風建築の民家。

 

材木屋に限らず、今は見る事の少なくなった各種専門店なども当然のように怪獣たちに踏みつぶされてしまいます。今DVDで昔の怪獣映画を観返すと、怪獣に足蹴にされ破壊される町の風景は、昔あったであろう古き良き日本の街並み。製材所や材木屋だって怪獣に踏みつぶされるぐらいの頻度で存在する当たり前の存在だったのです。ゴジラが公開された当時まさに国産材の原木供給量は全盛期を迎えていました(1967年5,274万m3がピーク)。林野庁の森林・林業白書によると、『旺盛な木材需要に支えられ、また、小規模なものであれば高度な技術を必要とせず、比較的少額な投資で機械設備の購入が可能であったことから林業が盛んな地域を中心に全国的に増加した。(中略)戦後の製材工場数は、昭和24(1949)年の38,912をピークに漸減傾向となり、需要拡大期においては25,000前後で推移した』とあります。

現在の全国の製材工場の数は5,000を切っています。最盛期から比べるとおよそ1/8になってしまいました。しかも多くが大型集約化され、住宅地からは離れた木材団地などの場所に移っているので、一般の人が製材所や材木店を目にする機会はますます減ってきています。そういう環境の中で育った人が映画やテレビの製作に関わった時に、彼らがイメージする街には当然ながら製材所や材木屋は存在しません。怪獣が破壊しようにも見たことも無いのですから当然です。

昔、『前略、おふくろ様』という大好きなテレビドラマがあって、それは深川の料亭が舞台でした。1969年に新木場に移ったのですが、ドラマでもその移転に伴う問題が取り上げられていました。材木屋の集まる街が舞台という事で、よく材木屋の旦那衆がよく料亭に来ていました。子供心に材木屋って儲かるんだと羨望の眼差しで観ていました。もしかしたら怪獣も儲けていた製材所を庶民の敵として踏みつけていたのかもしれません。材木屋もゴジラに踏みつぶされるようになってこそ一人前!踏みつぶされたいッ!




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2018年11月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
Scroll Up