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トンネルを抜ければそこは雪国だった・・・ではありませんが、今年最後の朝、目覚めれば外は一面の雪化粧でした。昨晩帰省する際には、道路にも白いものは見当たりませんでしたが、一晩でこの変わりよう。それまで雪の気配はなくとも、大晦日になると雪が降って、この数年の大晦日は雪に囲まれて過ごすのがお約束のようにです。雪といっても子供が雪遊びできる程度ですが、山々に囲まれた地形なので、積雪は少なくとも道路が凍結し、身動きが取れなくなります。田舎に帰るとそもそも喧騒も少ないのですが、更に輪を掛けて音が雪に吸い込まれていきます。
静謐な空間が年の瀬とあいまって神妙な心持になります。弱った億弱な木々が雪の重みに耐えかねて折れ曲がっています。実家の傍にある銀杏の細い枝にもびっしりと雪が積もっていました。他の木々も、秋には赤や黄色で華やかに色とりどりであった服を脱ぎ去り、すべての木が白い服をまとい、身を清めて新しい年を迎えようとしているかのようです。白銀の世界にすべての穢れも隠されているように見えるものの、雪が解ければそこには森の現実が姿を現わします。今年もいろいろな木に出会い、森を見て、木製品に触れてきました。
我々木材界を取り巻く環境は劇的に変わりつつあります。【森のかけら】のような木製品も、ただの品質や価格だけではなく、その商品が生まれた森林背景やプロセス、その意義までもが購入の判断基準となりはじめたという意味において、大きな変換期であるともいえます。今までは大量消費という雪に隠されていた物が、少しずつその姿を現わしてきました。それは、これからも木製品を作る際の必須条件となり、購入される方の購買基準になるのかもしれません。
日中は降り積もるほどの雪は降りませんでしたが、ほぼ家中で過ごしました。兄弟家族が集まり、そのいとこだけで17人もいますのでそれなりに騒々しい大晦日となりました。その中で、子供たちから離れて、ゆっくり更新しようと思った矢先にまさかの展開!無事これ名馬とずっと無事故であったパソコンが最後の最後に来てエンジントラブル!松山に居ればすぐにSOSにも対応してもらえるのですが、ここではどうする事も出来ずに独りでオロオロ・・・!便利であることや快適であることの功罪を頭で考えたり、口にすることは易いですが、実体験してみて自分がその立場にならねば空疎な独りよがりであると実感。何とか早急な復活を望いたいのですが復旧のメドが立たず!平穏な入り江を出でて、嵐の海の飛び出せとの暗示でしょうか?気は持ちようです!さて、今年1年間ご覧いただき本当にありがとうございました。皆さん、よいお年をお迎えください。
昨日に続いて、フランソワ・トリュフォー監督の傑作映画「華氏451」についてですが、舞台の近未来都市では、互いが近隣を密告し合い、徹底した監視社会のもと、本を通じた知識の習得を禁止される恐ろしい世界。「人間にとって悪害である本を焼く」任務に忠実であった主人公が、本の魅力の虜になりやがて妻に密告され、追われる身となる。そして彼は、全ての本がこの世から消えても、それを後世に残すために自分自身が「本」になる事選んだブックマン(!)達の住む村を目指すのです。タイトルの「華氏451」とは、本の素材である紙が燃える始める温度(摂氏233度に値する)の事です。物語だけを目で追うと陳腐なSF映画のように思われるかもしれませんが、そこはブラッドベリ+トリュフォーの才気溢れる表現者のタッグ。凡庸なハリウッド映画が束になっても叶わない、語り継ぐべき傑作です!
本を燃やすために火炎放射器を使うファイヤーマンは、その世界では特権的な職業ですらありますが、防火服に身を包んだ彼らの姿は異形で、人間らしさを捨て去った心なき無言の執行人にすら見えます。トリュフォーのエスプリの効いた演出のお陰で、管理社会への強い批判や痛切な皮肉は、救いようのない深刻なものにはなっていませんが、深く考えさせられる映画となっています。本を読む事が禁じられた世界でもなく、炎を消す立場のファイヤーマンが存在する時代に生きる幸せを感じさられました。
映画の中で、保管していた大量の蔵書が見つかった老婦人が、本を焼くなら私を焼けと、自らの体に火をつけて本と共に炎に包まれるという場面がありますが、今時の映画であればCGでも使ってさぞリアルな映像を見せるのでしょうが、それこそメッセージが表現技術に追いつかないという本末転倒。燃え盛る炎は、ただの恐怖を越えて、様々な思いを想起させる契機となります。自ら考える事を放棄した愚民を描きながら同時に観客にも考える事を求められる映画です。
実はこの時のカ撮影を担当したカメラマンが、後に流麗なカメラワークから映像詩人の名を欲しいままにっするとニコラス・ローグが担当していたんですね~。芸術とまで評された「華氏451」の炎は、明らかに「タワーリング・インフェルノ」のそれとは違って見えます。常々、大成郁生君(サンシン暖炉)が、薪ストーブの炎の揺らぎを芸術的だと賛美していますが、ひとつ間違えば恐怖ともなる炎が、癒しとも情熱ともアートとも感じられるから想像力とはいかに逞しいものか!そういえば、焼却炉で燃える炎を1点でじっと見つめていると、飽きるどころか集中力が高まっていくような感覚になる事があります。木材が灰に帰するのは寂しいけれど、森の火災がそれによって育つ植物もあるように、それもまた偽らざる自然の姿なのかもしれません。仕事柄、炎の恐怖に脅えながらも、時にはこういう映画を観直して、モノの見方を研ぎ澄ましておきたいものです。
昨晩、地元消防団の皆さんと夜警に参加させていただきました。年末に各分団が手分けして行っているのですが、今年は順番が早かったので帰省前でしたので初参加です。実は消防車に乗るのも初めての経験でした。まだ入団年数が浅く、実地経験のないペーパー消防団ではありますが、地元に住む者としては何かしらの形で地域に貢献せねばなりません。消防団活動は単なる防災組織に加わるという事だけではなく、職種や年齢層を越えた連帯感が生まれ、地域のコミニュティに積極的に関わる事なんだと実感。
数年前にはちょうどその時に火災が発生してそのまま出動という事もあったようです。強風波浪注意報も出ていて、寒い風が頬を打つような夜でしたが、今回は幸いにも平和な夜となりました。この時期空気も乾いていますので、防災を呼びかける気持ちも込めて、「火」にまつわる幾つかの話で締めさせていただきます。以前から消防団の話題の時に取り上げようと思いながら触れずじまいだった、木材の天敵・火にまつわる1本の映画があります。敬愛するフランスの映画監督フランソワ・トリュフォー㊧の傑作「華氏451」。
フランスで起こった映画革命ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として、後世に語り継がれていくような輝かしい傑作・名作に彩られたトリュフォーのフィルモグラフィーにおいて、目立たない地味な小作の印象があるかもしれませんが、この映画紛れもない、『トリュフォーのSF映画』の傑作なのです!未見の方はDVDも発売されていますので、是非買ってご覧いただきたいです。1966年製作の映画ですが、無機質なまでに記号化されたセットや衣装、生活様式は舞台装置のようで、古めかしさを越えてある意味モダンですらあります。原作があのレイ・ブラッドベリですが、さすがは御大!とても半世紀近くも前に描かれたとは思えぬほど来るべき世界の精神性を強烈に風刺した作品です。
舞台は、本を読むことが禁止された近未来。そこにも消防士は存在していますが、彼らの役割は火を鎮火するこ事ではなく、禁止されている本を見つけて焼却する事。皮肉にも彼らも「ファイヤーマン」㊧と呼ばれるのです。積み上げられた本に火をつける主人公の消防士。無残に黒焦げになった焚書(ふんしょ)の山。思想的な弾圧の戒めとして行われています。命令に忠実なイエスマンであり、何の抵抗も感じなかった彼が、通勤途中のバスで偶然出会った一人の女性の影響で、やがて隠れてこっそりと本を読むようになり、次第に活字の魅力にとりつかれていきます。この話、長くなりそうなので明日に続きます。
本日で年内の営業は終了です。3時頃に物凄い強風が吹いて横殴りの雨が叩きつけましたが、夕方になると嘘のように青空が顔を覗かせたり、季節感があるのかないのか分からないような天気でしたが、何とか事務所の片付けも終わり仕事納めが出来ました。年明けは1月5日(水)から仕事始めとさせていただきます。数年前まではこの時期になると、年末の大掃除という事で、倉庫に溜まりに溜まった端材をまとめて処分させられていました・・・。私としては何かに使えると思って大事に取って置いたものの、結局数年経ってもそのままで、倉庫の肥やしになるとの皆の意見に流されて、断腸の思いで焼却処分していたのです。あ~モッタイナイ!という強い思いが、後々の【森のかけら】が生まれる大きなモチベーションとなるのですから、世の中何が幸いするやら分かりません。捨てるという後悔の契機があればこそなのですから。
更にもっと大きな板材の活用方としての【膳】シリーズや、薄い板材の活用法としての【円い森】、あるいはもっと小物の携帯ストラップ用材などが生まれてくると、「その端材、宝物につき大切な原料捨てるべからず!」という錦の御旗を掲げ、堂々と「端材処分焼却禁止令」を発布する事が出来たのです!勅令発布後は、端材を問答無用で捨て去る狼藉振りは影をひそめたものの、小山のように溜まっていた端材が、みるみるうちに富士山級に積みあがっていきます!そのうちに倉庫内に幾つもの富士山が!あわ、わ、わ・・・。
わずか35㎜の小さなキューブといえども乾燥は必要絶対条件条件ですから、端材が出たからといってすぐに加工工程に移れる訳ではありません。同じシンプルなスペックの繰り返しですから、乾燥が甘いと微妙な差が生じます。なので、念には念を入れて乾かしておこうよか、ある程度樹種がまとまってから一斉に加工しようなどと考えているものですから、ドンドン端材が溜まっていく事になるのです。結果として、富士山を大量生産させてしまうのです。
しかも『ちょこっと端材』という更なる『出口』を見つけたので、富士山増産に拍車が掛かる事となったのです!そういう事で今年の大掃除でも焼却する端材はほとんどありませんでした。最近は、更にアマチュアのクラフトマンの来店も増え、【森のかけら】の加工には難しいサイズまでも綺麗に使い切っていただきますので、本当に捨てるところがありません。端材の端材も焼却禁止!富士山がエベレストになってしまいそうですが・・・。それも宿命、それも本懐。勅命発布の重みにいろいろな意味で打ち震えております!
以前、NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」の第二部が始まった時に少し触れてそのままにしておいたのですが、改めて詳しくご紹介したいのが、森の5かけらの『子規の5かけら』。その名の通り、愛媛の生んだ俳人・正岡子規にちなんだ5つの木をセレクトしています。この『森の5かけら』も、実は既に35タイプ出来上がっていて、この『子規の5かけら』は32番目に当たるのですが、未だ詳しくご紹介できたないものが幾つもあります。思いつくのは楽しいのですが、後の細々した整理が苦手でアップが追いついておりません・・・。
松山に観光に来ていただければ、あちこちに「文学」やら「俳句」、「子規」、「坊ちゃん」の言葉が入った看板や商品を数多く目にされる事になります。特に道後界隈に行きますと、至る所でこれらの文字が溢れ、子規や漱石は文学的功績以上に、商店街にとっては絶大なるイメージキャラクター、大スターなのです。にも関わらず、地元ではその詳しい背景を知る人は限られていて、今回の大河ドラマは地元にとっても子規を知る格好の教材となっています。まあドラマ仕立てですからいくらかの誇張もあれば、創作もあるでしょうが、そもそも口伝で語り継がれていく人物像こそがそういう尾ひれ背ひれのついた過分に誇張されたものであり、そこに伝説やら逸話が妙な神話性を帯びてきたりするものですから、あまり目くじらをたてて、実話(と思われるもの)との相違を問題視しなくとも良いのではないかと思っています。地元の偉人を楽しく学ぶという姿勢がよろしいのではないかと思うのです。
この『子規の5かけら』も軽い気持ちで、子規に触れるきっかけとなれば嬉しいです。その中身をご紹介。まずは愛媛という事で絶対に外せないのが、地元の名産『蜜柑(みかん)』。これは説明不要でしょう。そして、子規の代表句と言える「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」から『柿(かき)』。そして『椿(つばき)』は、私の好きな「賽銭のひびきに落つる椿かな」という子規の繊細さと刹那さが伺える句と、松山市の市木から頂きました。この句は、明治25年に子規が詠んだもので、椿神社境内にその句碑があります。
ここから先がひとひねり。『梣(とねりこ)』、これは四国では馴染みのない名前ですが、東北や北海道に多いモクセイ科の広葉樹で、粘りがあって弾力性が高いことから野球のバットにも使われています。最近はメープルなどのバットも増えていますが、この変わった名前とバットの話は長くなるので(脱線防止に)稿を改めます。当時に日本に伝えられたべースボールを、自分の幼名であった「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号で詠んだのが子規であったのです。後に中馬庚が「ベースボール」を「野球」と翻訳し、これが正式な翻訳とされていますが、子規がその雅号を用いたのはその4年も前の事。また、子規の文学を通じた野球の貢献度の高さは、後に子規が野球殿堂に迎えられたことからも証明されているのです。野球王国・愛媛の礎を築いた子規に敬意を表しての『梣』であります。
そして、最後が『一位(いちい)』ですが、この木は別名が多いことでも有名で、東北などでは「アララギ」、「オンコ」、「アカギ」などとも呼ばれます。その中の「アララギ」こそが、後年子規の門下生達の手によって発刊された俳句集のタイトルなのです。各々の木の詳しい説明は『今日のかけら』をご覧いただきたいのですが、この5種で『子規の5かけら』です。その全てが愛媛県産ではありませんが、子規の俳句が県や国を越え愛されたように、小さな事にとらわれていては世界は見えません!大らかな気持ちで子規を楽しみましょう!
『子規の5かけら』は、こちらで販売しております→¥2625(¥2500+消費税)・送料別途
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