森のかけら | 大五木材


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今までこのブログでも何度か登場してきた愛媛県産の『ホルトノキですが、本体である幹の部分はまだまだ乾燥中ですが、枝部分はかなり乾きましたので、そろそろ販売を始めようかと思います。枝とはいえ、200歳の巨木ですから枝といってもそこそこの大きさがあります。かなりグニャグニャ曲がっていましたので、長いモノは求めるべくもなく、とりあえず短く切った300~500㎜程度の短尺材を試験的に販売してみます。200歳の老木という事で本来のホルトノキからかなり変質しています

ホルトノキの名前は、江戸時代に、日本のダヴィンチとも言われる平賀源内が、和歌山県湯浅に深専寺にあった大きな木を大きな珍木があって、それをオリーブの木(ポルトガルに多く生えているので、ポルトガルの木が転化してホルトノキ)と勘違いしたところに由来していると言われています。源内はオリーブの木だと思って、その大木(実はズクノキ)の果実を搾り油を作りましたが、もし源内がこの老木のホルトノキの板を見たら、それこそオリーブと勘違いしたかもしれません。

それほど変質した200歳のホルトノキの縞柄はオリーブとみまがうほど!製材直後はまだ水分が含まれていて木目がよく分かりませんでしたが、水分が抜けてプレーナーで削ってみると何とも妖しい縞柄が現れました!部分的にそこだけ切り出してオイル塗装でもすれば、これがオリーブだと言っても通用してしまうのではないかと思えます。もしかしたら源内が油だけでなくこの板も一緒に枝を拾って、判断を仰いだオランダ人医師のポルストルマンに見せていたら更に強く断定されたかも。

そうやって勝手に妄想しているときが一番面白く、その木をどういう切り口で売り出そうとプロデューサー的な視点で考えを巡らせているときが、もっとも楽しい!持てるすべての知識や情報を総動員して、お化粧を施している時、恐らく私の体内では大量のドパーミンが放出されていると思います。よく他人から「大変な作業だね」と声を掛けられます。多分に同情的は意味合いもあるのでしょうが、いやいや好きでやっているし、そこに関われななら材木屋なんて何も魅力も無くなってしまう

※『ちょこっと耳付き端材ホルトノキオンラインショップこちら



森のりんご』を作り始めた時に、いつかは作ろうと思っていたのですが、なかなか実現することが出来なかったモノがようやく完成しました。『森のりんご』は触感が滑らかである程度の重さのある広葉樹を主に使っていて、一応言い訳程度にオブジェ、インテリア委以外にも「ペーパーウェイト」にもなりますよ、という事にしていますが、本来は四角いキューブだけでは物足りなくなって、『曲面のかけら』を作ってみたかったというのが本心です。という事なので、やっぱりいろいろな種類を作りたい。

という事でいろいろな種類の木のりんごを作っているのですが、その中でもどうしても避けて通ることの出来なかったのが、フルーツウッド系のりんご。その商品名に「りんご」という言葉をつけてしまったのでややこしくなったものの、「ミカン(蜜柑)のりんご」や「ナシ(梨)のりんご」、「スモモ(李)のりんご」などの、初めて聞く方には意味の分からないりんごを作ることは私に架せられた使命。その究極が『リンゴ(林檎)のりんご』、つまりリンゴ(林檎)の木で出来た『森のりんごです。

 

『森のりんご』を作り始めて早数年、ようやく念願が叶いました。そんなもの簡単に作れるじゃないのと思われるかもしれませんが、『森のりんご』を作るためには、【森のかけら】よりもふた回りほど大きな素材が必要になります。具体的に言うと、荒材で65㎜ぐらいの角材が必要になります。もちろん芯を外しての大きさ。乾燥に伴い収縮しやすいフルーツウッドの場合、もう少し大きなサイズが望ましいのですが、フルーツウッドってそもそもそんなに大きな径の材は得にくいものなのです

以前にあったリンゴの木も結構大きかったのですが、乾燥に伴い割れが生じて結局使えませんでした。今回出来たリンゴは、フルーツウッドの先輩である武田製材武田誠さんから3年前に分けていただいたもの。割れないように天乾させること3年、奇跡的にうまく乾いたリンゴの木を使いました。割れなかったとはいえ、枝や傷もあって、歩留まりは恐ろしく悪い。逆に考えれば『森のりんご』や『森のかけら』だからこそ活用できるとも言えます。量は少ないのですが是非マニアの方には必須アイテムですぞ~

フルーツウッドのりんご』と聞くと、ほとんどの方がその実の匂いがすると思われて、匂いを嗅ごうと鼻に近づけられますが、残念ながら材からは実のような匂いはしません。伐採直後であれば、実の匂いなどが付着していたりして「匂い香」がうっすら残っていることもありますが、それはあくまでも一時的なモノ。品質そのものよりも、それが本当にその木で出来ているという事が大切。『森のかけら240リスト』に含まれていないので通常ならExtra(番外篇)扱いなのですが、Appleの言葉も捨てがたい!




先日開催した第8回大五木材青空市は、天候にも恵まれ大勢の方がお越しいただき大盛況でした。今回は初の試みで、入場料を設けて会場に入る際に受付にておひとり様¥100をいただくことにしました。そのかわりに「100遊券」をお渡しします。100遊券は、当日限り有効の金券となるので、会場内であればどのブースでも100円として使えます。実質入場料無料ということなのですが、来場者数の把握が出来ることと、賑わいに花を添える目的で実施しました。それによると来場者数は400名を超えました。

受付は会場入り口に設けたのですが、反対側からの入場者が受付に気づかない人もいたようで、後半から慌ててそちら側にも張り紙をしたものの、午前中結構な数のカウントが漏れてしまいました。イベントの出店者と、漏れた方の分も含めるとおよそ500名の方がイベントに参加していただきました。いつもどれぐらいの人が来ていただいているのか気になっていたのですが、遠方からも含めて沢山の方が関心・興味を持っていただいていた事に、今後の大五木材の進むべき道に明かりが灯ったような心境です。

完成した小屋の中では、いつものan acornさんやOYUKIのかご屋さん、nico*iroさん、lune・工房itomakoさんなどのクラフト雑貨やカフェダイニングメルシーさんがローストビーフ丼などを販売していただきました。小屋自体が以前のモノに比べるとかなり大きくなったので、それなりの日陰も作ってくれました。ルーフバルコニーは自分の力で登り下りできる子供のみという事にしていましたが、やはり登ってみたいという子供たちが大勢で、梯子にビビりながらも小さな手足で梯子を掴みながら挑んでいきました。

近所の方々からも何が建ったのだろうかと気になっていた方も多かったようで、その正体を確かめにイベントに来られた方もいたりと、併せて小屋のお披露目にもなりました。よくこういうイベントをすると、すぐに売上がどうとか、費用対効果がどうだの言いだす輩がいますが、売上を狙って開催しているわけではありません。大五木材がどういう会社が知っていただき、どんなモノを扱っているかを知っていただき、木のモノの面白さ、楽しさに触れてもらうという終わりのない種まきです。果たしてその種から芽は出たか?心配いりません、芽が出るまで続くのですから




それでもその時代に生きた者にしか分からない感動、シンパシーなどを得たいと思って映画を観まくりました。50歳を過ぎた今となっては、青春時代に観たほとんどの映画が、自分の子供達にとっては「時代遅れの遺物」としか写らないよう(笑)。多分イメージとしては、彼らにとってモノクロ映像と変わらない感覚なのかもしれません。分かってもらわなくたっていいのです、80年代に青春を過ごした者に胸には今でもエレン・エイムの歌声は刻みかまれているのです。『ストリート・オブ・ファイヤー』万歳!嗚呼、結局私もあのOBと今同じところに立っている・・・。

めまぐるしいカットバックやキャラの造形、効果的な音楽の使い方など魅力を上げればきりがないですが、私が一番惹かれるのは、ライブ会場で熱唱するダイアン・レインの姿。当時は口パクでプロの歌手が歌っていると言われていましたが、ヒル監督がプロの歌手の歌声に更に複数の声をミキシングして作り出したものだと述懐しています。しかしそんな事は嘘だ!あれは間違いなく女神ダイアン・レインが歌っている!映画は客が見つめる事で生まれる技術だと誰かが言ったが、信じる事で生まれる力の偉大さをこの映画で教わりました

それが今の私の仕事の原点なのです!何を強引に映画と仕事を結びつけようとしているのかと思われるかもしれませんが、「信じ込む力」によって、他人にとっては何の価値も無いような事が、自分にとってはかけがえのない宝物になるという体験は、まさしく端材から宝物を生み出そうとする今の私の仕事に通じています。時間を増すごとに自分の中で熟成されより濃厚になっていき、その存在が唯一無二のなっていく感覚。決して解けることのない自己催眠のようなものかもしれませんが、そこにいる間ずっと感じていられることの出来る多幸感。

あまり言いすぎると宗教的な方向に走ってしまいそうですが、そもそも木材に対する評価って感覚的な事がかなりの割合を占めています。とかく人間にとって必要かどうか、宇役に立つかどうかで木の価値を決めがちですが、まだまだ人間が気づいていない力が潜んでいるのかもしれません。今の物差しで考えているから気づかないだけかもしれません。世界中のいろいろな木に接していると、まだ知らざる力を信じたいと思うし、見つけてみたいのです。信じることで生まれる力は必ずある。私は木の力を信じている




なにゆえ今唐突に、80年代の映画の話をアップしているのかというと、この作品のデジタル・リマスター版が全国の劇場で公開されるという事で、約30数年ぶりに映画館で本作を観てきたからです。ライブシーンは圧倒的など迫力!どんどん長くなって3時間を超える作品も珍しくなくなった現在では考えらないほどコンパクトな93分という上映時間も、作品にスピード感を与えていて、まさにライブ会場で長めのミュージックビデオでも観ているかのような気分。34年の時を経て一切の色褪せ無し!


学生時代にだいぶ年上の部のOBから、『いちご白書』の話が出ました。若い人には、ばんばひろふみの『いちご白書をもう一度』の曲すら分からないと思いますが・・・。アメリカのコロンビア大学で1960年代に実際に起きた学生騒動を描いた作品で、1970年に公開されました。当時反体制的な若者の心情を綴った『イージーライダー』や『俺たちに明日はない』、『卒業』など一連の作品が『アメリカンニューシネマ』と呼ばれましたが、『いちご白書』もそういうムーブメントの中で生まれました。タイトルは、学生たちの意見は彼らがイチゴが好きだという程度の意味しか持たないという、コロンビア大学の学部長の学生たちを見下した発言に基づいています。

ちょうどリアルタイムで学生紛争時代に青春時代を過ごしたユーミンこと松任谷由実荒井由実)がバンバンばんばひろふみ)に提供するために作った曲です。1966年生まれの私は学生紛争をリアルタイムで経験しているわけもなく、すっかりそれが昔話で語られる時代になってビデオなどで観ました。内容そのものは学生によるイデオロギー対立という学園紛争ですから驚くほど地味で、同時代を生きたものでなければ理解も共感もできない内容。あえてそういう映画を取り上げたところにユーミンの矜持もあるわけですが。

前置きが長くなりましたが、何かの飲み会の席で某OBがその『いちご白書』の話をされて、「同時代を生きた者でなければ、今ビデオで観たってお前らにはあの映画の空気管やメッセージ性は理解できないだろうな~」と得意げに話をされていました。当時はそんな言い回しがなぜか恰好良く聞こえたものです(今なら、何ひとりで悦にいっとんじゃい!と突っ込みのひとつも入れたくなりますが)。リアルタイムで観ることでしか得られない感動や共感、裏返せば一過性のメッセージ性しか無いと言えるのかもしれませんが。明日に続く・・・




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