森のかけら | 大五木材


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『木を語る』ために大切な事は始終アンテナを張り巡らして情報を収集することが大切です。昔の日本の暮らしの大部分は『木のモノ』でまかなっていたのですから、暮らしの傍には木のモノが当たり前のように溢れていました。それが次第に金属やアルミ、プラスチティックなんどの石油化学商品、または無垢ではないが木質系の商品に取って代わられるようにようになり、見かける事が少なくなってきたため、こちらが意識していないとなかなか木のモノに巡り遭えない時代になってきました。

なので、なるべく普段の暮らしの中でも木のモノを見つけ出しては、こういう用途があるとか、こういう使われ方が出来るという情報収集をするように心がけているつもりです。それは物質としての木ではなくて、小説や歌謡曲に登場する樹木の名前でもそうです。いつかそんな蜘蛛の巣アンテナに引っかかった情報がきっとどこかでいつか役に立ちはず・・・立たなくてもいいのですが。例えばNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で「 材木を抱いて飛べ」というタイトルの回がありました。

確かドラマの中盤頃の話だったと思いますが、柴咲コウ扮する直虎が材木を集めて気賀に売るのだがそこで思わぬトラブルが・・・という話だったと記憶していますが、そうやってテレビドラマのタイトルにでも「材木」という言葉を見つけると触角が反応してしまいます。それでやって、4日前の話に繋がるのですが、マニアックな映画雑誌『映画秘宝』の11月号はゴジラ特集で、表紙は私の大好きな怪獣・キングギドラでした。何故今頃ゴジラ?と思われるかもしれませんが、来春新作が公開されるのです。

といっても本家の東宝版ゴジラではなく、2014年に公開されたアメリカレジェンダリー・ピクチャーズ製作のゴジラの続編です。マニアの間では、「レジェンダリー版ゴジラ」と呼ばれているもの。ゴジラだけでなくキングギドラやモスラ、ラドンなどの怪獣総出演の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』、例年5月公開でその関係で映画秘宝も特集を組んだのですが、力の入った予告編を観ると公開が待ち遠しくて仕方ありません。さてそれで、問題は映画秘宝のキングギドラの表紙です。明日に続く・・・




と、また書いていてつい気持ちが昂ぶってしまいましたが、言いたかったのはそういう気持ち(素材としてのハード面だけでなく、物語としてのソフト面で木を語る)で木を語りたいし、そういう手法で木を売る材木屋がいてもいいのじゃないかと思うのです。若い頃に材木屋の仲間で話をした時に、マテリアル(素材)として木を論ずる大手の材木屋の先輩たちの話に違和感を覚えていました、別世界の話のように。それで、高橋君はどう思うと振られたので、自分のような小さな材木屋からすると話が遠すぎて分かりません。

為替による原木の輸入差益がどうの、何100㎥の丸太の仕入れがどうのっていう話も勿論大切で重要な事だと思いますが、その木を扱う人間の話や木そのものの話の方に興味があって、こうやって材木屋仲間が集まって話をする時にもそういう話が一切出てこない事の方が心配ですと正直な気持ちを話しました。全国の材木屋が集まる場だからこそ、OOにはOOという木があって、その昔その木にはOOという精霊が住んでいて云々とか、杜氏のようなこだわりで木製品を作るOOという人がいて云々という話が聞きたい、語り合いたい。

そういう話って、本で読むのではなく、誰かの口を通して聴くっていう事が大事だと思っています。材木屋の世界なんて一昔前はすべてが『口伝』で行われていたもので、そうして人から人に伝え語られていく中で微妙にカスタマイズされたり、尾ひれ背ひれがついていくのが楽しいところ。木の話もそうやって昔から語る継がれるうちに盛られてたいそう賑やかになったり湾曲して伝わっているものもあるのですが、それを自分なりに受けとめて修正したり調整することでバランス感覚が養われます

「高橋君の言いたいことは分からんではないが、それでは飯は食っていかれない。あくまでも理想論としてはそうかもしれないが、我々には社員を養う義務と責任がある。」勿論そうだと思います。若気の青臭い主張ではありましたが、そう仰った先輩の大きな材木屋は今はありません。価格競争の激しい波に飲み込まれて倒産に追い込まれました。吹けば飛ぶような零細材木屋は、高速道路を降りて田んぼのあぜ道を這いずり回りながらもどうにか息をしております。どの道だって現実は厳しい。

厳しいからこそ、自分がしたい事をしたいし、他人と違う道を行ってみたいと思うのです。いずれにせよ、ほぼ新規参入のない材木業界は今後もの凄いスピードで淘汰が進んでいきます。消費増税で瞬間的な盛り上がりはあるものの、少子化で新築は減少していくのは間違いなく、従来の形態のままで材木屋という仕事が今後10数年も存在できるとは思っていません。その時に必要とされるのは何が出来る材木屋なのか?木のプロフェッショナルとして活躍できる舞台はどこにあるのか?木が嫌いな人はいない世界の中で自分の生きる道はどこにあるにか?!




昨日、畑中佳樹さんの事について書きましたが、本当のボールはそこではなくてその先にあったのですが、つい昔を思い出して熱くなってしまい寄り道してしまいました。本日はその先の話です。そうやって迷える子羊を映画理論のカオスの中から救い出してくれたのが畑中佳樹さん(名前に樹がついているのも今にして思えば不思議なご縁です)ならば、その後、こうやって堂々とその主張をしていけばいいのさと、開き直りにも近いマニアの極みを示してくれたのが『映画秘宝』!

キネマ旬報』やら『イメージフォーラム』、『映画芸術』などとは対極にある、映画雑誌におけるもうひとつの極北に位置する超偏りマニア雑誌。取り上げるテーマのおたくっぷり、連載されている執筆者のセレクト、偏るにもほどがある偏見と断言の映画評、世間の評価がなんぼのもんじゃいという我が道を往くスタイル、それらが私の魂を覚醒させたのです。それは単に映画の観方だけでなく、仕事の面に関しても、こういう語り口で木を語るのもありなのではと開眼させてくれました。

木の事を語る場合、どうしてもその性質や特徴、加工性、用途、気乾比重などデータ的なモノに重点が置かれがちになってしまいます。特に多樹種を扱う場合は、その傾向が強くなってしまいます。実際にその木を使うための参考にしようと思って読む人が対象となっているため、それは仕方がない事だと思います。そういう多樹種を扱う図鑑的な本は今までに幾つも読んできましたが、データというものが苦手な感覚人間の私としては、技術的・学術的な傾向の強い学問書的な本にはあまり興味が湧きません。

それよりも、その樹木の名前の由来やどういう風にその木が地域の中で利用されてきたのか、その木にまつわる伝説や伝承、その木をモチーフにした物語や歌・小説などなど、木そのもののハード面の話よりも、その木が生み出すソフトな事象の方に強く惹かれるのです。なので目指すべくは、大義で言えば『伐る林業というよりも語る林業』。木を買う時にその特徴や値段を基準とするのは当然ですが、合わせてその木の物語も購入の判断材料のひとつにしてもらいたいと真面目に考えたりしています。明日に続く・・・




大学生の頃に映画研究部に所属していた私の愛読書は『キネマ旬報』でした。田舎で純粋培養され、心にニュートラルという遊びがなかった頃の素朴で真面目な人間だった頃の私にとって、本に書いてある事がすべて真実だと信じていました。そんな私を映画の世界に導いてくれたのがキネマ旬報であり、映画のマニアックな鑑賞法の指南書でもありました。その後、『イメージフォーラム』や『映画芸術』という闇に迷い込み、当時の映画批評のひとつの極北にあった、フランス文学者で元東京大学総長の蓮實重彦氏の批評などに触れることで何か分かったような錯覚に陥っていました。

プロレスで言えば、正統派のベビーフェイスレスラー、ボブ・バックランドが大好きで、地方の試合では必ず尻を出すお茶目なエンターティナ―、ディック・マードックの素晴らしさに気づかずに嫌悪感すら抱いていたのですから、今もしタイムマシーンがあれば、その時代に行って、早く覚醒しろとウエスタン・ラリアートの一発でもお見舞いしたい気分です。そんな迷宮の中にいた私を救い出してくれたのが、一人の映画評論家と一冊の本。その人の名前は畑中佳樹、本のタイトルは『2000年のフィルムランナー 』。友人に紹介されて畑中佳樹の書いた文章に出会い強い衝撃を受けました。それまでキネマ旬報や映画芸術などのお堅い映画雑誌で、難解な映画理論で映画を語ることこそが映画を深く観る事であり、何よりも恰好いいと信じて疑わなかった純粋培養映画青年にとっては、こういう映画の観方があるのか~!

その思いをこういう言葉で表現するってありなのか~!と、評論本を読んだというよりも、新たな物語を読み終えたような感覚になり、それから氏の書いた本を購入して漁るように読みました。それまではいかに私心を捨てて映画の良しあしを論ずるかという評論家かぶれのような映画の観方に毒されていたため、世間的な評価など一切お構いなしで、自分の思いをガツンと正面からぶつけて、砕けてこぼれた瓦礫の中から、自分がこれぞと思うかけらを拾い集めて、万感の思いを言葉に込めて絶叫するスタイル

そんなスタイルの映画批評に強く心を揺さぶられました。当時、自分に自信が無く、他人の物差しで作品をはかることしか出来ていませんでした。それから畑中さんの文章を何度も読み返しました。もう30年近くも昔の事ですが、その影響は大きく、その後『適材適所』やこのブログなどで文章を書く機会が増えたのですが、決めつけたもの言いや、かくあらねばならない的な言い回し、絶叫スタイルなどは自分のもののように使わせてもらっています。論ずる対象は違えども、いかに愛情という物差しで論ずるかは共通しています。




12月、クリスマス、モミ(樅)とくれば、外せないのが『12月の誕生木の出口商品・スノーファーマン』!過去にアップの時期を逸してしまい後出しじゃんけんになること幾数年・・・ようやくその反省を生かして、今年は無事にクリスマス前にご紹介出来ます。と、時期を逸したことが売れなかった原因のような思いあがったようなもの言いですが、原因はそれだけではない事は作った本人が一番分かっています。だからといってここでなかなか売れない理由をあげつくろう気持ちなど毛頭ありません。

今までにさまざまなオリジナル商品を作ってきましたが、宮本武蔵先生の『我、事に於いて後悔せず』が私のものづくりの製作信条であります。うまく出来なかろうが、売れなかろうが、神の啓示を受けてそれを思いついてデザインしたり、物語を盛っている時の心の高揚感、捕らぬ狸の皮算用で妄想のそろばん勘定をした時の満腹感、材料が揃っただけなのに既に完成したような充実感、思い描いたモノが形となって出来上がった時の多幸感、もうそのプロセスだけで私の心は喜びで満たされているのです。

その商品の一番のファンであり続ける事こそが、作り主の責任と覚悟。いいのです、売れなくとも。その製作過程で得たノウハウ(私自身が加工しているわけではないけれど)、その木に与える事の出来た新しい出口(向こうも見えないけれど)、それを手にした人が嬉しそうにSNSにアップした時の嬉しそうな顔(まだスノーファーマンでは味わってないけれど)、そういうものが私の血となり肉となり、膝から崩れ落ちそうになる私を支えてくれているのです。だから決して諦めたりはしないのです。

売れていないのではなく、まだブームが来ていない、そういう事なのです。そうやって自分を奮い立たして魂を鼓舞し続けていかなければ、こんな事を続けていけません。「え~っ!12月の誕生木ってモミの木なんだ~。そのモミで作った雪だるまの形をしたディフューザーって、なんて可愛いんだろう少々お値段は高いけど気に入ったから、よし買っちゃえ!」こんなサンタクロースのような心優しい天使のような方がいつかきっと現れるはず・・・先日、その願い天に届き天使が御降臨なさいました




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