森のかけら | 大五木材


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さて、『椿三十郎』の時代背景の根拠のひとつとして、第二代将軍であった徳川秀忠は諸国から変わった椿を集めて吹上花壇で栽培させた様子が屏風などにも描かれていて、『園芸好きの将軍』として知られている事もあります。映画では、名前を訊ねられた三十郎が、屋敷の椿の花を見て「名前は・・・椿三十郎、まぁもうすぐ四十郎だが」と名前をでっちあげてしゃっれけを見せる台詞があります。また奇襲攻撃の合図として椿の花を川に流すシーンもあり、タイトルだけでなく実際の椿も登場してきます。用心棒の時は桑畑三十郎と、いずれにも木の名前がつくのが私としては嬉しいところ。

 


この映画自体はモノクロなのですが、川に沢山の椿が流れる場面では椿だけ赤くパートカラーにしようという案もあったのですが、当時の技術的な事情で実現できませんでした。もしも椿の花だけが赤く染まっていたら、更にインパクトのある場面になっていたと思われます。この場面に関しても、沢山の椿の花が流れる=沢山の首を取る、という事が暗示されているようで、もうすぐ四十郎だとおどけた際の椿からは一転して、椿が死をイメージさせる小道具として使われ、作品に緊張感をもたらせています。そういう意味でも椿が深く印象に残ります。

 

モノクロの中で部分的にカラーを使うという発想は翌年の『天国と地獄』で実現するのですが、その話はいずれ改めて。『椿三十郎』は三船敏郎演じる三十郎のキャラクターからしてどこかユーモラスで、どこか間の抜けたような人のいい若侍達(加山雄三田中邦衛など)の描写などからも作品自体は明るく『痛快時代劇』という雰囲気なのですが、その雰囲気が一変するのがラストシーンの三船敏郎仲代達矢の一騎打ち。向かい合った二人が動いたと思った瞬間、勝負は決して吹き上がる血飛沫する。映画史に刻まれた名場面です。

 

 

まだ観たことが無い人にはネタバラシで申し訳ないですが、古い映画なのでご容赦いただくとして、この場面では仲代達矢の体にホース繋げられていて、ポンプ仕掛けで血を飛ばす事になっていました。カメラに映らないところから、合図でスタッフがポンプのスイッチを入れるはずが、加減が悪く血が想定以上に噴出したらしいのですが、それを見た黒澤明監督が迫力があっていいと、OKを出したため生まれた名場面であると、ラジオで武田鉄矢さんがラジオで語っておられました。怪我の功名というやつでしょうか。

公開当時は、例え動脈を斬られたからといって、壊れた噴水のような勢いでそこまで大量の血が噴き出すかという事で論争になったそうですが、真面目な時代だったんでしょう。野暮な事を言ってはいけませんと思ったりしますが、映画に対する信頼性もあった時代らしい話だと思います。という事でツバキについていろいろ書いてきましたが、大きめの材が得にくい事もあって、木材そのものよりも物語としてのツバキに終始してしまいました。材質は緻密で滑らかで光沢もあり、材としては非常に優れています。自分の住む市の木でもあるので、小さなモノでも何か商品化していきたいと思っています。

 




ここまでツバキについて書いてきました(といってもほとんどがツバキにまつわるエピソードです)が、椿といえば決して忘れてはいけない映画があります。その名が主人公の名前となり、バッチリタイトルにもなっている、そう天皇と呼ばれた日本映画界の巨人・黒澤明監督の傑作『椿三十郎』です。若い人は、数年前に織田裕二主演でリメイクされたのでそちらの方を観られたかもしれませんが、比べる事自体おこがましい!しかしこれ、メガホンを執ったのはは私の大好きな森田〔それから〕芳光監督なんです。森田芳光が椿三十郎のリメイクを織田裕二で撮るって知ったときショックでした。

そもそも黒澤版『椿三十郎』も、前作の『用心棒』が大ヒットしたために、同じ三十郎主演で(『用心棒』で三船敏郎が演じる主人公の名前は、桑畑三十郎)続編を作れと東宝に依頼されたもので、森田芳光も決して望んで撮ったわけではないのかもしれませんが主演が織田裕二ではあまりに軽薄過ぎて・・・。洋の東西を問わず最近こういう風に過去の名作をリメイクする事が多いように思いますが、そのほとんどが名作の名を汚すばかり。映画に限らず成功事例の後追いをするのは楽ですが、結局のところオリジナリティに勝てるはずがないのです。

ちなみに黒澤版『椿三十郎』は一応、山本周五郎の小説『日日平安』が原作となっていますが、三十郎の続編を依頼された黒澤は、原作をベースにしながらも換骨奪胎して以前から構想していた物語を練り上げます。脚本はいつものメンバー(菊島隆三、小國英雄、黒澤明)。時代背景的には『用心棒』よりも『椿三十郎』の方が先だと言われていてそういう意味でも続編ではありません。用心棒は群馬県(上州)が舞台ですが、賭博場などが出来たのが、天保の改革以降だそうなので1850年代あたりでしょうか?時の将軍は11代将軍の徳川家斉。江戸時代の後期にあたります。

一方『椿三十郎』は、映画の冒頭で山奥にある朽ちた神社に9人の若侍が集まり、次席家老が汚職をしているので告発しようかと密談しているあたりからも(汚職が珍しいものであったという事はまだ 江戸幕府が健全で安定していた)江戸時代の初期頃ではないかと推測されていて、そういう意味からも続編という関係性ではないと思われます。また三船敏郎扮する三十郎のキャラクターの作り込みにもかなり違いがあって、ニヒルな一匹狼のような用心棒に比べると、椿三十郎はおどけてみせたりとかなりユーモラス。個人的には用心棒の時のぎらついたような三船敏郎が好きなのですが。明日に続く・・・




自分で書いていて言うのもなんですが、今回ツバキについて書くにあたって改めていろいろ調べていたらツバキにまつわるエピソード出るわ出るわ。雪の中に赤い花を咲かす凛とした風情が文学や詩などに取り上げやすいのもあると思いますが、中にはツバキの材質に関わるものもあります。中でも私が印象深いのは、都はるみの大ヒット曲『あんこ椿は恋の花』。当時は『あんこ椿』という響きから食べる「」を連想して、間の抜けた感じがして、木としての椿のことなど、おいしそうな名前の椿があるぐらいにしか考えてもみませんでした。

大人になってからも、てっきり「あんこ椿」という名前の品種(あるいは地方での別称)があるものだとばかり思っていました。それでいろいろ調べていたら「あんこ椿」というのは品種名ではなくて「大島椿」発祥の地である伊豆大島で、髪油にするための椿の実を取る娘さんたちの事を指す言葉で「姉娘(あねこ)」または「あの娘(あのこ)」の意でした。伊豆大島では日常的に使われていた言葉ですが、都はるみの歌のお陰で全国的に知られることとなったようです。ものを知らないというのは恥ずかしい。今回気にしなかったら恐らく私の中では永久に「餡子椿」でした。

そんな椿油は先日書いたオリーブオイルにも匹敵する良質の油で、髪油、食用、薬用、石鹸用、朱肉用など実に用途が広いのだそうです。伊豆大島には樹齢300年を超えるツバキもあるそうですが、火山灰を含む水はけの良い土壌があるこや温暖な気候がツバキの生育に適していたのでしょう。ツバキは海風にも強うことから防風林としても重宝されますが、伊豆大島では椿油だけでなく堅くて緻密なツバキの木を使って、工芸品、染色、炭、陶器などにも利用されています。ツバキの灰は蒔絵や金箔張りの研磨用として専用されてもいるということで、実に有用な木なのでした。

今、【森のかけら】に作っているツバキは以前に宮崎県の銘木屋さんから分けてもらったツバキの木から作ったものです。ツバキを市の木に頂く松山にも沢山ツバキはあるものの、材として使えるようなツバキは稀で、造園屋さんルートで公園や庭に植えられたものが手にはいる程度。数年前にたまたま入手したツバキが結構大きかったので、それを製材して乾かしているとことなのでしばらくしたら、【森のかけら】にも愛媛産のツバキが登場します。それにしてもツバキは材質が密度が高くて重たい!色合いもさまざまで白いのから赤いのまであるのは花同様。椿の話まだまだ続く・・・

 




愛媛出身の有名な俳人というと誰もが正岡子規を思い浮かべると思いますが、他にも沢山の俳人を輩出しています。もっとも私もそんな事に興味を持つようになったのは、歳をとってからの事で、学生時代は郷土の俳人やら俳句やらがこんがらがってもどれが誰の句やら森のかけらを作るようになってさまざまな事、特に身近な郷土の事に興味が湧く(というか知っておかねば引用も紹介も出来ないという切迫感)ようになってからのこと。知りたいと本気で思った時でなければ頭に入ってこず。好奇心こそが人に学びの扉を開けさせる鍵

ということで愛媛の有名な俳人ですが、正岡子規以外にも高浜虚子、中村草田男、石田波郷などがいますが、昔からひとと同じという事がとにかく嫌だったへそ曲がりの私が好きだったのは河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)。その俳句がどうのこうのなんて分かりません、ただそのいかにも偏屈で気難しそうな名前の響きの恰好良さに惹かれたのです。名前の中に『梧桐(アオギリ』という木の名前が入ってますが、当時は梧桐なんて知りませんでしたし、そもそも木に興味もありませんでした。読売ジャイアンツが嫌いだったようにただメジャーなるものへの反発心のみ。

読みづらい名前をさも知ってますと得意げに喋るという事に満足感を抱いていた憎たらしいガキでした。ところでその読みづらい碧梧桐という号の命名者は子規です。碧は紺碧の碧、梧桐は植物のアオギリを意味しています。アオギリについてはいずれ機会があれば『今日のかけら』で取り上げるつもりですが、成長しても幹が青い(いわゆる青と緑の混用)ことから、ともに青色に関連した言葉です。これは碧梧桐が端正な顔立ちの色白で、まるで青ビョウタンのように見えたことに由来しているそうで、その事を後から知ってなぜか余計に格好良く感じたものです。

ちなみに碧梧桐は高浜虚子と高校の同級生で、正岡子規の門下生です。説明が長くなりましたがそんな碧梧桐が詠んだ椿にまつわる有名な句がこちら、「赤い椿白い椿と落ちにけり」。凍てつく冬の日に、紅白の椿がパラリと散っていく情景が浮かんできます。実しかしはこの句には、師匠である子規への裏メッセージが込められているという怖い説もあります。子規が病魔に侵され吐血したり痰を吐くことが多かったことから、赤い椿を血、白い椿を痰に見立てて暗喩しているというもの。厳しい指導へのはけ口とも言われたりもしていますが、真相は椿のみぞ知る・・・

 




ツバキの英名は、Camellia(カメリア)だと言いましたが、日本のツバキの学名もCamellia japonica(カメリアヤポニカ)と言います。ではこのカメリアとは何かというと、フィリピンに滞在していたイエズス会の宣教師にして植物学者でもあった George Joseph Kamel (ゲオルグ・ジョセフ・カーメル)が、ツバキをヨーロッパに紹介した事にちなんで、『分類学の父』と呼ばれるリンネによって命名されました。昨日取り上げたジュエリーマキのカメリアダイヤモンドはブランド名ですが、文字通り椿の形にデザインされた指輪だというのを知ったのは大人になってからの事。

和名では、『ヤブツバキ』とも単に『ツバキ』とも記されている事があります。ツバキに限らず名前の頭にヤブ(藪)がつくのは、山地の藪に生える(つまり野生の)を意味していて、野生のツバキをヤブツバキ、園芸品として栽培されたものをツバキとするというのが一般的な定義だそうです。しかし一方では、元来野生に生えているものがツバキであって、園芸品にはそれぞれ品種名がつけられている(玉霞とか加茂本阿弥とか)ので、あえてヤブをつける必要がなく、標準和名は単に『ツバキ』でいいのであるという、重箱の隅をつつくような意見に賛同して【森のかけら】では単にツバキとしています。

というのは後付けで、本当はそれがツバキであるのは間違いなかったものの品種名までは特定できなかったし、今後のそこまでトレーサビリティが明確なツバキが入手できるとは思っていなかったので、入口は広げておこうと思ってザックリ椿という事にした次第です。まだSNSも使いこなせていなかった時代にモノの本を片手に必死に情報を収集した時代に書いた解説書と現在では情報収集力に圧倒的な差があり、改めて知ることが山ほどあります。しかし完璧なモノが出来るまで待っていたらいつまでも形にならないので、えいや~で踏み出した部分も多々あります。

今読み返せば、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい事を書いていたり、間違った思い込みなどもありますが、気づいた時に修正・加筆して精度をあげていこうと思っています。その間に多少は木の経験値も増えますし、ものの見方も若い頃に比べれば少しは柔軟になったかなと思っているので。そういう意味ではツバキはこれぐらいのタイミングで良かったのかも。さて、ツバキについては木材としても材質云々よりも、物語やイメージとしてのツバキを取り上げてきましたが、それぐらいツバキは語り甲斐のある木と言えるかもしれません。そこで愛媛県人として忘れてはならないのは、俳句における椿。明日に続く・・・

 




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