森のかけら | 大五木材


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多感であった高校生時代を映画館の無い街で過ごしたため、映画の情報誌だけは擦り切れくぐらい読み込んでいたので、自分の中の『妄想映画館』ではいろいろな年代のさまざまなジャンルの映画が常に上映されていました。昔は今以上にテレビで邦画洋画とも結構放送していたので、眠い目をこすりながら深夜放送の映画も観て、感想を鑑賞ノートに記録していました。思えばそれが【今日のかけら】の萌芽だったのかも。特に60年代から90年代の作品については、実際に観てはいなくてもタイトルや出演者、大まかな内容ぐらいは大体分かります。このブログもそこから感化される事も多いのです。

それが今回は、ブログを書いていてある1本の映画に繋がりました。いつもは先に映画ありきで、そこからいかに木と絡めるかなんて考えたりするのですが今回は逆パターン。オランダの木靴がポプラの木で作られているという話を書いていたとき、「木靴の材料の木」としていろいろ資料を検索していたら、出てきたのが1970年代後半に作られた『木靴の樹』というイタリア映画。実はこの映画を観たことは無くて、情報としてしか知りません。なぜ知っているかというと、この作品は有名な俳優も出ない、田舎の農村が舞台という超地味な内容ながら、カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールなどをはじめ多くの賞を受賞していたからです。特にカンヌのパルムドールは、この翌年にコッポラの『地獄の黙示録』が、更にその翌年には黒澤明の『影武者』が受賞したため、歴代の受賞作品のリストを何度も何度も目にしていたので、それらのスケールのでかい超大作とは対極的な小作として『木靴の樹』の事が気になっていました。

『木靴の樹』は、19世紀末の北イタリアの農村に暮らす4家族の日常と美しい風景を、自然光だけで描いたヒューマンドラマで、ドキュメンタリーのようなリアルな描写と、貧しいながらもたくましく生きる登場人物たちを捉えた人間賛歌という内容で、殺人事件や怪物の襲来などということとはまったく無縁の作品。その解説を読んでも、あまりに地味な内容に、若かった私の食指はピクリとも動きませんでした。もちろんその当時は材木屋になろうと考えても無い頃で、木靴に関心なんて一切ありませんでした。あれから40年、私も馬齢を重ね、ひとの親となりました。

農作物の栽培や家畜の飼育などに汗を流し、教会へ通い、子供が生まれたり結婚したりするなか、ある悲劇が起きます。ミネク少年の大事な木靴が割れてしまう。 村から遠く離れた学校に通う息子の為に、父親は河沿いのポプラの樹を伐り、 新しい木靴を作ろうとするが、そのポプラは彼らの領主のものであった・・・。若い頃ならそれがどうしたと感じた話が、齢50を越えた今、この話を書いているだけでも、当時の時代背景、彼ら家族の置かれた環境や不条理、ミネク少年の悲しそうな顔、もしも自分がその立場ならといろいろな思いが交錯して涙が溢れそうになります。

そもそもポプラの属名であるPopulusは、もともと『民衆(Popular』の意味で、かつては家ごとにポプラの樹が植えられていたことに由来しているので、映画の中の『ポプラの木靴』というのは、本来庶民のモノであった自由が権力者側に奪われてしまったことの象徴として描かれているのだと思います。1足の靴さえも自由にすることの出来ない彼らの悲しみが、出会いから40年も経ってようやく感じられるようになってきました。機会があれば是非観ようと思います。これもポプラの木靴のお陰。木は暮らしの中でもっともポピュラーな素材。社会の入口であり、出口でもあると改めて感じましたのです。

 




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