森のかけら | 大五木材


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普通のまともな材木屋が相手にしないような、一般的な用材以外の木材をいろいろ扱っていると、そんな木にも年に数回ぐらいは奇特な方からお声がかかり、「えっ、本当にそんな木を持っているんですか~!?」と、我が意を得たような反応に出会うことがあります。そのために材を集めているわけではないですが、そんな事があるから『普通ではない木』の集材を止められなかったりするのですが。今回お声を掛けていただいたのが、スギ科メタセコイア属の針葉樹、『メタセコイア』。

 

 

メタセコイアについては、以前に『今日のかけら』で詳しくご紹介しましたが、決して「滅多に見かけることもできない珍しい木」ではありません。普通に暮らしていると意識していないためそれとの出会いを認識していないだけで、実は普段の暮らしの中でも普通に見かける木の一つです。例えば学校や公園、街路樹などによく植えられています。スギ科というだけあって、見た目は日常の風景にすっかり溶け込んでいて違和感もありません。立木も板材になってもレア感の薄い木です。

 

 

弊社で在庫しているメタセコイアも、相当に目の粗い(成長スピードの速い)スギという印象で、材だけ見るとあまり役に立ちそうな木とは思わないでしょう。実際にもこれだけヌカ目の木をどう利用していいのか私自身も悩んでいるところです。今回お声がかかったのも、メタセコイアの材質的な特徴によるものではなく森のかけら】同様にAtoZのコレクション的な意味合いから。今はまだ詳しくは語れませんが、そういう観点からにしてもメタセコイアに声がかかるのは稀。

 

 

さすがにこれだけ年輪幅が広くて軟らかいと用途が定まりません。軟らかくとも色目が赤いとか黒いとか、イチョウクスノキのような独特の匂いがあるとかいうことであれば、また違った用途があるのですが、色合いはほぼスギで、変わった匂いも特徴もないとなると、もうメタセコイアという樹種としての存在価値を全面に出すしかない、というのが今のところの見立て。それにしてもまずは実際に材を持ってみて、材に触れながらその用途を考えるというのが私流の出口の探し方。




さて今日も『福井県立恐竜博物館』の話。後のこともあって、実際にはここにも1時間程度しか居られなかったので、相当に駆け足で館内を巡ったのですが、またいずれ改めてゆっくりと来てみたいと思います。とはいえ折角なので、ひとつでも多くの事を見ておこうと目を皿にしてあちらこちらをつまみ食い。恐竜そのものにも興味はあるものの、こういう場所でしか見られない「恐竜時代の森」についても興味津々。しかしこういうものって見る側にある程度の知識がなければこんな短時間では到底消化しきれるわけもなし。

とりあえずカメラにだけでも収めておこうとカメラを向けるのに夢中で、中身については帰ってらゆっくり確認しようという始末。恐竜が跋扈した時代のジュラ紀の森についての展示も充実していて、当時の森のジオラマなんて、売っていたら個人的に購入したいぐらい。実は以前に、このブログで古代樹について書いたことがあるのですが、その時は恐竜の時代よりも遥かに太古の3億年前のベルム紀、石炭紀の時代に地上で隆盛を誇った『シギラリアTietea singularis)』などのシダ植物について

また別の項では、愛媛県伊予市の市木『メタセコイア』について書きました(『メタセコイア外伝・伊予市の扶桑木』)が、太古の樹木って恐竜と同様に偏屈なマニア材木屋の心も揺さぶるのです。館内の解説文によれば、「ジュラ紀後期は、三畳紀やモンスーン的な気候がとだえた結果、世界のほとんどが均一な植生になった時代」だそうで、「やや乾燥した環境の中でもっとも繁栄した裸子植物はジュラ紀のおわりまでに現在のほとんどのグループが出揃い、巨大化した針葉樹と競うように巨大になったグループが栄えた時代。」


世界のいろいろな樹種を集めていると、こうした今は無き太古樹にも思いが及んでしまいます。もしもタイムマシンがあるのならば、この時代に行って太古樹を少しだけいただいて、戻ってから『太古樹のかけら』を作ってみたい!そしたら中には時々、太古の虫が入っていたり、草食恐竜が葉を食べるときに擦れた傷や噛み跡でもあれば、それはもうジュラシック・プレミアムウッド!どうせ作れないならせめて妄想の中だけでもリストアップしてみようかしら、『森のかけら・ジュラシックウッド36』!




首の皮一枚』という言葉がありますが、まさにこれなんかその状態。『クヌギの皮一枚』って奴です。よくイベントなどで、小さな枝を薄く輪切りにカットして、そこに名前とかを書いて首からぶらさげたりするワークショップをしたいなんて声がかかるので、こういうサイズの丸太もいくらか置いたあったりするのですが(常時あるわけではないので、あまり期待とかしないように)、必要に迫られて奥から引っ張り出してみれば、すっかり虫たちの餌食になっていることもままあります。

 

 

まあ、こうなってしまうと皮つき用のネームプレートには使えなくなるので、途端にこの枝の価値が無くなってしまうものの、それでもここまで綺麗に外皮だけ残して食い尽くされているとかえって清々しいほど。一見すると、まだ樹皮が残っている(ひっついている)ように見えるかもしれませんが、枝を思い切って地面に叩き付けると、これでもかというほど木粉が吹き出してきて、まさに文字通り皮一枚残したギリギリのところまで食害が進んでいることが観察できます。

 

 

何度も地面に打ち付けていると、薄くなった樹皮が木から剥がれ落ちたりして、輪の形のまま樹皮が抜け落ちることはありませんでしたが、ここまでくるといつもは堅くて厄介者のクヌギの皮も面白いようにパキパキと簡単に剥がれていきます。仕事柄、こういう経験はよくありますが、それを見ていた子供が「面白そう~」と言ってきたので、やらせてあげると想像以上に大喜び。トントンすると、みるみるうちに足元に木粉が溜まっていくので、まるで魔法の枝のように思えるのかも。

 

 

意図して虫に食ってもらったわけではないのですが、弊社の土場のあちらこちらでこういう事態が起こっていますが、正直手の打ちようがないので、喰われるだけ喰わせて後は何とかそれに対応していくということしかありません。個人的には、少々虫に喰われていたって気にしませんし、それぐらいの方が愛嬌があっていいと思うぐらいでないとやっていけないのです。木は人間のためだけのものにあらず、諦観に似た境地に辿りつかねば広葉樹の材木屋なんてやっていけないのです




20160916 3四国加工㈱鎌倉真澄さんとは、以前に井部健太郎君が『愛媛県産のスネアドラム』の件で久万で会を開いた際に初めて出会って以来なのですが、常々機会があればゆっくりお話をさせていただきたいと思っていました。もう経営者のご息女が木材屋で能力を発揮されている姿も珍しくなくなってきました。森の出口が多様化、細分化する時代、むしろ女性の方がきめ細やかな視点で木の魅力や可能性を探れるとすら思うのです。使う木だけだなく、語る木、想う木、遊ぶ木、出口の形もさまざまです

 

 四国加工さんでは、従来の独創性の高いヒノキの内装材『ヨロイカブト』の他に、愛媛県産の『クヌギ(櫟)』の内装材としての開発に精力的に取り組まれていて、当日もその試作品を展示されていました。個人的に「森の暴れん坊」と思っているクヌギは、昨今は愛媛県に限らず多くの地域でその利用方法に頭を悩ませている木の1つだと思っています。クヌギといえば、椎茸の榾木がすぐに思い浮かんだものですが、旺盛な成長力と椎茸産業の高齢化などによって需給バランスが大きく崩れました。

 

20160917-3かつては椎茸生産や薪に利用されてきたクヌギも、その生産性の減少に伴って山には大きく太ったクヌギが乱立することに。クヌギは国内でも最重量木のひとつに数えられるほど重たく、乾燥に伴い内部割れや激しいねじれが生じることから、建築材として使われることはほとんどありませんでした。資源的には豊富ながら今までほとんど利用されていなかったクヌギを内装材に活用しようというプロジェクトが行政主導で立ち上がり、様々な実験労苦を重ねてようやく形が見えてきたようです。

 

20160917-5とはいえ、簡単に利用ができるのであれば先人たちがとっくに利用しているのであって、行く道は決して平坦ではありません。だからこそ行く価値もあるというものですが!このプロジェクトには、 愛媛県農林水産部林業研究センターの主任研究員である横田由香さんも関わられていて、森の暴れん坊・クヌギを女性の力でどうやって手なずけるのか、楽しみにお手並み拝見させていただきます。苦労を抜くので縁起がいいとも言われるクヌギ、頑張って苦(ク)を抜いてもらいたい!

 

20160917-4鎌倉さんとは一度落ち着いて食事でもしながらお話ししましょうと言っていながら、なかなか機会がないのですが、一度会っただけでも、ベクトルが同じ方向を向いている、『こちら側の人間』だとすぐに分かりました。今回はいい機会だったのですが、鎌倉さんのブースは人が絶えず話する時間もありませんでした。松山市内に会社があればいつでもとは思うものの、あまり近くにいると変な影響を受けて、空気感染し木材の王道を踏み外してしまう可能性高いので、ほどほどが賢明かと・・・




昨日に続いて『トークカフェ』の話ですが、卒塔婆ならぬ木の看板(イエローポプラ)の評判が良かったので、愛媛大学伊藤先生にも自分の看板をお持ちいただいて写真を撮らせていただきました。この演題からお分かりかもしれませんが、以前に紹介した『森のかおり(仮称』は、伊藤先生からのご依頼でした。大学正面には耳付きのイチョウの木を看板に使いましたが、看板という具体的な『出口』もこうしてリアルな形として存在するとそこから話も広がりやすいものです。

 

さて、今回は3人がそれぞれの話題について30分ほど喋らせていただいたのですが、私は『NO WOOD, NO LIFE』というタイトルで、小さな材木屋が実践している古くて新しい木の出口の話をさせていただきました。この言い回しは、『NO MUSIC, NO LIFE』とか『NO COFFEE, NO LIFE』などと最近よく使われたりしていますが、「木の無い人生なんて考えられない」という意味。それぐらい木のモノって実はもともと身の回りに溢れていたはずなのです。

 

それが非木材にドンドン取って代わられましたが、原点に戻りましょうということ。なので決して新しい出口ではないのですが、今風にちょっと楽しくなるような、面白くなるような味付け(例えば誕生木とか、種類を増やしてコレクションさせるとか)を施して暮らしの身近なところで木に触れる機会を作りましょうよって話です。そのためには沢山の『木の物語』が必要になってきます。こういう話をすると、それでどれぐらいの木を消費するの?なんて無粋な事を言う輩が現れるものです(今回は無かったですが)。

 

情緒的な話ばかりしても、もっと現実的な話をしないとダメだと仰られますが、誤解を恐れず言えば、木をマテリアルとして捉える話にはほとんど興味が湧かないのです。もし木が情緒の無いプラスティックや金属などのような無機質な素材だったら、私は材木屋なんてやっていません。命宿る素材だからこそ、同じものがない無二の存在だからこそ面白いのに、数字ばかりで木を語るなんてモッタイナイ。いろいろな木があるから山も豊かなんであって、いろいろな考えがあっていい。




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