森のかけら | 大五木材


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20100610 ペルラのかけら①私は地元の松山商科大学の経営学部を卒業しているのですが、今は校名変更になっていて「松山大学」になっています。松山商科大学の時は、縮めて「と呼ばれていましたが、今は「松大(まつだい」と呼ばれています。松もショウと呼ぶからショウダイでもよさそうな気もしますが・・・。平成の大合併数の時の名称をめぐる騒動がありましたが、長年親しんだ名前が消滅するというのは、当事者にとってはそこにあった思い出までも消滅していくような一抹の寂しさを感じるものです。我々、商大OBにとっては永遠に「ョウダイであります。

20100610 ペルラのかけら②私が在学中は経済・経営・人文の3学部しかありませんでしたが、今や法学部や薬学部まで出来てていて、尚更別の大学のような気分も致します。しかし、大学時代というのは、ありがたいものでもう卒業して20年以上が経ちますが、在学中の4年間は生涯忘れることの出来ない大切な日々であり、出会った友人は生涯付き合える友人です。今でも学籍番号や教室の風景、サークル活動など細かなことまでよく覚えているのは自分も多感であったからでしょうが。そんなありがたい大学の友人のひとりが先日、突然の訪問!

20100610 ペルラのかけら③松山市内の朝生田町で『rla ペルラ』を経営されている西留美長(画像上㊨)。『ルラ』さんは、最近増えているウス・ウェディングの松山でのきがけで、創業から既に10年。多くの新たな人生の節目に携わり演出されてこられました。作業服に大鋸屑まみれのこの身には華やか過ぎる『ハの日のお仕事』、いやいや家作りも人生の節目のお手伝いが出来る仕事ですから、見た目はどうあれ、人様の人生で1度あるかないかのセレモニーに関わる仕事に就こうとはお互い大学の頃には想像もしませんでした。

20100610 ペルラのかけら④さて、弊社に何の目的で現れたかというと、この6月から始まった『ビア・バーティー』のお誘いでした。実は昨年もこの時期に大学の同級生・先輩の数人で伺ったのですが、材木屋のおじさんにはやや場違いなほどとってもお洒落な雰囲気でした。庭にもテーブルセットが配されライトアップされると、瀟洒な建物が闇に浮かび上がってこれがまたシックでアダルトな演出。数年ぶり(中には10数年ぶり)に顔を合わせた友人達と楽しく親交を深めおいしいお食事をいただきました。会場内はほぼ満席で、商売繁盛のご様子。その成功に味をしめて(失礼!)、今年は10回も開催されるとの事。月11、25日、7月2、9、23、30日、8月6、13、20、27日と毎週金曜日の18:00~21:30の2時間開催ます。当日¥5000、¥4500売りチケットもあります。極上イタリアンを味わいながらの夏の夜の夢はいかがでしょうか。

  

20100610 ペルラのかけら⑤実はこのレストランの隣にあるウェイティング・ルーム『rangerieも素敵な空間なのですが、そこに【森のかけら100】を置いてくれると・・・!いや~友人とはかくもありがたいものかと実感!決して購入してくれたからビア・パーティのチケットの売り込みをしているわけではありませんが(!)、卒業してもこうしてお互いの会社で協力し合えることが出来れば素晴らしいことです。【森のかけ】もいよいよ本格的にブライダル・シーンにデビューなるか!?明日は、『ペルラ』さんへの納品の様子をご披露します。




先日のブログの、『1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された』という記述に対して、厳しいご指摘がありました。その間の空白の35年はどうしたのか?という、予想だにしない質問です。質問の主は、偏執狂的な熱血『森のかけら』マニア(これは最大の賛辞!)のF氏。さすがに目の付け所が違います。この業界にいて何も疑問に思った事もありませんでした。まさに目から鱗が落ちるとはこの事です。 慌てて資料や文献を読み漁りました。

常識とか定説を「なぜ?本当?」と思うところから人間の成長があるのかもしれません。こういう質問、とてもありがたいです。それをきっかけに自分も調べ物をしたり、知識を得れたりと勉強になりますので。さあ、そのマニアックな疑問にお答えしましょう。ところが定説というのは誰も疑問に思わないからこその定説。この空白の35年を紐解く記述はどこにもありません!F氏のほくそ笑む姿が脳裏に浮かんできます。それでココからは、資料や文献を元にした私の推察になりますが、まるっきりの間違いでもないと思います。

1780年代に植物学者のメンチェス博士は世界各地に探検に出向いていたようで、1791年にバンクーバー島で『ダグラスファー』を発見しました。しかしそれだけでは第一発見者の名誉は手に入れることはできないのです。当時は、発見してもその種や生きた標本を本国(イギリス)に持ち帰って、国の最高権威である王立園芸協会に届けなければ正式に認められなかったようです。その時当時王立園芸協会は絶対的な権威を誇り、かの万有引力の発見者ニュートンも歴代の会長を務めていたほど国の威信を背負ったアカデミーという存在だったのです。

国が認めるというお墨付きがつくわけですから、そこにはそれ生きた標本やら種子は必要最低条件であったことでしょう。メンチェス博士にそういう野心があったかどうかは別にして、その偉業は博士は記憶の中にのみとどめることになりました。先住民は大昔から木の存在には気がついていたのでしょうが、登録とか認定とかには別段興味も無く時が流れました。それから35年後の1826年、王立園芸協会の会員であり植物学者にして収集家のダグラス博士が歴史に名を刻むのです。執狂的なコレクターであった(?)ダグラス博士は、自分が偶然「発見」したダグラスファーの種と生きた標本を王立園芸協会に送りました

偏会員であるダグラス博士は当然、それによって自分が発見したという偉業が歴史に刻まれることも熟知されていたのでしょう。そうして見事ダグラス博士は、『ダグラスファー』の発見者となり、その功績により自分の名前を冠するという名誉を得たのです・・・というのが、私が推察する『メンチェス博士の不幸とダグラス博士の幸運物語』の一部始終です。どこまでが本当?と尋ねられても責任は負えません。ただ当時こういう事は珍しくなかったようで、記録に残っている発見者が真の発見者かどうかは怪しいところです。手続きに長けていた場合もあるでしょう。今ほどデータが重要視されなかった頃、記録に名を残すことがどれほどの価値があったのかも分かりません。そんなことより大切な事が世の中に溢れていた素敵な時代だったのでしょう。

 




住宅の梁や桁など構造材としての利用頻度が高い『ダグラスファー(米松)』ですが、それは大きなサイズの材料が取れる(製材出来る)という前提と合わせて、部材相応の粘りと強度が確保できるという特徴を持っているからであります。一口にベイマツといっても、その材質によって取引価格には大きく異なります。一般的には200年生以上の高齢木原生林の事を『オールドグロス(Old Growth、植林した2次林の事を『セカンドグロス(Second Growth』と呼んで区別をしています。当然、高齢木のオールドグロスが高額で取引されます。

このオールドグロスの材は、主にバンクーバー島からカナダほんどのカスケード山脈の太平洋側沿岸から産出されていて、その事から別名『カスケード』とも呼ばれています。その材質によっては、やや目粗の『セミカスケード』などと区分され取引されています。高齢木になると、板目部分にはえも言われぬような野趣溢れた表情が現れます。しかし汎用性の高い木材であり、またもともと大きな木が得やすいというイメージが強いため、木目の面白い木も割合ぞんざいに扱われることが多いのも悲しい現実です。

「面白い杢が出たベイマツがあります」と言っても、「所詮ベイマツだからなあ」的な受け止め方をされがちです。また『現(あら)わし』といって、外部などに化粧材として使用する際にも、例えば尺(およそ300㎜)を越えるようなサイズのものになると、スギヒノキだと木取りするのも難しそうだろうと理解して頂くのに、「ベイマツなら(木が大きいのだから)取れて当然だろう」と言われたりするのは不遇と言わざるを得ません。私がこの仕事について20数年、今まで一番多く触った材はベイマツだったかもしれません。

ベイマツは多くの樹脂分を含み、ヤニ(脂)が出ることが多いのですが、経験から言うと木目の詰まったオールドグロスになればなるほどヤニが吹いてくる事が多いです。右の写真のような玉になる物は、時間が経過するとザラメのように多少固まるので簡単に取り除けます。また軽微なヤニはシンナー系の溶剤で拭き取れば取れますがこれも程度問題。見た目は美しい飴色に見えるものの結構手につくと厄介物で普通の石鹸では容易に落とせません!一方、深いヤニ壺があると最悪!いつまでもいつまでも無尽蔵なくらいにヤニが溢れてきます。

もうこうなると外科手術でヤニ壺の周辺ごと切り出して除去してしまわなければ根本的な解決には辿り着けません。もっともマツにしてみれば、ヤニ分が多いから粘りや強度も生まれるわけで、しかもそのヤニもバイオリンやバットの滑り止めに使っているにもかかわらず、やれヤニが悪いだのねとつくだの都合勝手な事ばかりを言うな!と叱咤されそうです。ところで今や日本での住宅産業に欠かせないベイマツですが、日本に最初に持って来たのはあの黒船ペリー提督だと言われています。この話、長くなりそうなので続きは後日改めて・・・。

 




★今日のかけら・177【ダグラスファー】Douglas Fir  マツ・針樹・北米産

ダグラスファー』と聞くと「?」と思う方が多いのではないかと思いますが、『ベイマツ』と聞くと「ああ、あの家の梁や桁に使う木ね」とご理解いただける方が多いのではないでしょうか。実はこれ、同じ木の事なのです。構造材に国産材を使って欲しいという要望がなければ、ほとんどのケースでこの『ダグラスファー』が構造材として使われると言っていいぐらい、国内の住宅産業資材に広く浸透し、ほぼ全国的に使用されています。それに合わせてこの『ベイマツ』という名称も一般の方の間にもすっかり定着したようです。

ベイマツ』を漢字で表わすと『米松』、つまりアメリカ産のマツであるという事を言い表しています。植物学的な分類では、マツ科トガサワラ属に分類され、『アメリカトガサワラ』というのが正式な名称になるようなのですが、これだとまずトガサワラを説明してからになるので二重に面倒くさくなります。さら葉の形がモミに似ている事からファー(モミ)の名前もついていて余計にややこしくなっています。現地では主にダグラスファー、あるいはオレゴンパインの名前で親しまれています。日本では一般的には日本の松に似た木という意味で『米松』と呼んでいます。

世界中でもカナダからワシントン、オレゴン州にかけての太平洋沿岸の丘陵地に生育する単一種です。北米産の木材林業界においても重要な地位を占める木で、日本に原木として輸出される木材の中では最大の規模を誇ります。ダグラスという名前は、1791年にカナダのバンクーバー島でメンチェス博士によって発見され、その後1826年に植物学者のダグラス博士によって再発見された事に由来しています。つまりダグラスというのは人名なのです。学名にもダグラス博士の功績が織り込まれていますが非常に珍しい例です。『シュードツガ・ダグラシー(ツガに似たダグラスの意)』

地元愛媛にある、鶴居産業㈱さんがベイマツ製材の大手の一角を形成されていて、日々ベイマツの製品を大量に生産されています。この仕事に就いて初めて木材団地に行って、その工場を見たときは、国産材のワビや味といった概念が一気に吹き飛んでしまうような、その圧倒的なスケールに度肝を抜かされました。鶴居産業さんのある木材団地の港にベイマツの原木を満載した船が入港している姿にたまたま出くわすことがあるのですが、なんとも壮大な眺めです。大きな原木から大きな梁や桁をイメージするかもしれませんが、その用途は意外に広いのです。

 




20100606 リスの忘れ物①この週末、田舎で大切な用事があり帰省しておりました。その際に、丁度時間に空きが出来たので、子供達と一緒に山道を散歩しました。この山道は、昔私達が子供の頃は頻繁に通った道でしたが、今はほとんど使われる事もなくかなり荒れていて少々危険ではあるのですが、身近なところで「ある種の自然」を感じられるので、田舎に帰って時間があると結構何度も歩いています。山側の斜面が崩れかかっている所もあって、道幅も狭くなっているのではあるのですが、大人の足には相当狭く感じます。子供の頃は狭いと感じませんでしたが・・・。

20100606 リスの忘れ物②山側の反対側は急斜面の崖で、ガードレールが設置されているのはわずか一部で、足を踏み外すと転落の危険もあるのですが、そう考えると昔は結構身近な所に「生死の境」があったように思います。子供ながらに危険性を本能的に察知する能力が研ぎ澄まされていたのかもしれません。使わない能力は低下するというのは本当だと思います。前に歩いたときには気がつかなかったのですが、足元にたくさんの齧られた胡桃の残骸が落ちていました。この間、小寺さんのお話を聴いた娘達とあたりをキョロキョロ探してみましたが見当たりません。

20100606 リスの忘れ物③木の幹だけでは見分けがつきにくいので、頭上も気にしながら少し先に進むと大きな1本の胡桃の木がありました! 立派なオニグルミの木です。足元に岩があったり崩れかかっていたりするので、今まで頭上を見過ごしていました。先程の胡桃の残骸現場からは少し離れた所にありました。リスたちが運んでいたのでしょう。10数m以上もあって、枝の実までは確認できませんが、この葉っぱと樹皮、間違いないでしょう。なぜだか妙に嬉しい気持ちになって先程の胡桃の残骸も拾いに戻ったほど。

20100606 リスの忘れ物④でももっと身近で枝についている胡桃の実を見せてやりたかったのですが残念。山道を降りきると、帰り道は舗装をされた大きな道を通って帰ることにしました。舗装の道路の斜面も崖崩れが頻繁に発生していたので、大規模な改修工事が行われていて、道路が一部拡張されていたのですが、その際に周囲の木々が伐採されて奥の方の木が見えるようになっていました。そのお陰で崖側の方も注意して歩いていると、もう少しで手が届きそうな所にも背の高い胡桃が1本!こちらも今まで車で通っていた時は気付きませんでした。娘達が拾ってきた木の杖を拝借して、枝を引き寄せるとそこには黄緑色の果実が10個ほどに房になっていました。子供達は見慣れぬ胡桃に「これがクルミ?」と驚いておりました。父親の威厳を少しだけ披露できて我ながらご満悦。ささやかな喜びです。

  

20100606 リスの忘れ物⑤ぐっと引き寄せてアップで撮影。10月頃になると熟して次第に見慣れた姿になっていきます。肉果皮の表面に皺が多く、その姿を尾に面に見立てられた事が『鬼胡桃:オニグルミ』の由来ですが、まだこの状態からは創想像もつきません。いつもはとても出材出来ないであろう(出したとしても赤字になるような)ヒョロヒョロな杉・桧の姿に心を痛めるばかりでしたが。今回ばかりは胡桃との出会いに嬉しい気持ちで一杯です。鬼胡桃は食用にするには実が小さいのですが、是非秋にはわずかでも『リスの忘れ物』のご相伴にあずかりたいものです。

★『オニグルミ』について詳しくは、『日のかけら024ご覧下さい。




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