森のかけら | 大五木材


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台湾のヒノキには、この台湾桧(タイヒ)紅桧(ベニヒ)があります。この2つの樹種は、日本でいえばヒノキとサワラのような関係に似ていると言われています。湾最大の紅桧は、樹高55m、幹周り27.3m、推定樹齢2500年にならんとするまさにご神木。その生命力は台湾桧をも凌ぎ、急峻な台湾の山地でもしっかりと生育しています。数千年を越える巨樹は、揃って樹形が扁平なものが多く、そびえ立つ岩盤のような趣きがあり、内部は空洞になっていたり、虫害の影響を受けているものが多いとされています。台湾桧を使った有名な建築物としては、薬師寺金堂と西塔、東大寺大仏殿、平安神宮などがあります。日本の桧と遜色のない肌艶、光沢、芳香そして何よりもその巨躯、皮肉にもその素晴らしさゆえに台湾桧は悲劇の主人公となってしまったのです。値段が日本の桧の同質材に比べて割安だった事も購買意欲に輪をかけました。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ①

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ② かつての鮨屋の花形・台湾桧も今や叶わぬ夢。現在は現地でも原則伐採禁止となり、台風の倒木などの一部の例外を除いて、輸入されることはありません。もはや一般建築業界では、「思い出の中で語る幻の木」となってしまいました。今でも持っている所は持っているのでしょうが、完全に市場性は消えてしまったと言わざるを得ません。ノスタルジイとその美しさに魅せられて、今でも必死に探していらっしゃる方もいるでしょうが、望むほどに遠ざかっていくのが世の常。

コレクターの探すレア度は増すばかりでしょうが、【森のかけら】のような特定のマニア層の特殊な商品(少しずつそこを抜け出していますが)と違って、極めて汎用性の高い「家」などの場合、ある一定の需要と供給のバランスが崩れてしまうと、市場がそれを求めなくなり選択肢から外れるようになります。今でも商社や老舗の材木店では、かつて輸入された台湾桧を大量に保有しているようですが、一度市場性を失ってしまうと最初の選択肢にも入らなくなりますので、その先行きは決して安穏としてはいられません。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ③

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ④ 台湾桧でなければ対応できないという巨大な寺社仏閣など特殊な建築物でも出なければ、庫の奥深くで塩漬けにされたまま化石と化してしまうのはあまりに悲しい事です。若い設計士さんだと、台湾桧の実物を見た事がない方も当然いらっしゃるでしょうし、その魅力を伝える人がいなければその価値にも気づかないでしょう。素晴らしいモノがあっても良さが伝わらない、理解できないというのは、銘木と呼ばれる木々の最大の不幸です。

かつて台湾桧に魅了された日本人は乱伐を繰り返し、幻のような存在にまで追い詰めてしまいました。鬱蒼としていた台湾の原始の森も、昭和40年代以降に日本各地で広く利用されるようになり、急激にこの地上からその姿を消しました。が、当時どれくらいの方が台湾桧の特性を理解していたのか分かりませんが、みんなが良いと言うからいいんだろうぐらいの感覚であったのかもしれません。しかし、それは当時住宅資材として「木」が確固たる地位を占めていたことの証拠でもありますし、悔恨や反省はあったとして材木商としては燃えた時代ではあったのでしょう。 20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑤

20110203 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑥ 台湾桧は日本の桧に比べても非常に密度が高く、鉋でひと削りするとブワッと刺激的な癖のある芳香に包まれます。また色合いも、日本の桧のような艶のあるピンク色というよりはむしろ淡白で、植物性オイルを塗ると深く浸透して、濃い黄褐色のような色合いになります。鮨屋のカウンターはほとんど白木で使われるので、淡白な色合いがやや濃くなった程度ですが、年輪幅の緻密さが違いますので桧との区別は容易につきます。原木そのものの直径が大きいために、500~600㎜幅くらいのカウンターサイズだと、ほぼ均質な調子の年輪幅で揃う場合もあるようです。加工直後よりも、経年変化でこそ味わいが楽しめる木だと思います。それは、数百年を経て初めて生まれる天然の光沢と艶です。その長寿に畏敬を込めて、この項もう少しだけ続きます。

 




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