森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

 

 

 

 

 

 




かの西岡常一棟梁が、昭和40年代に薬師寺金堂、西塔再建を手掛けられた際には、遂に日本では1000年の風雪に耐えれるだけの桧を入手する事が出来なくなり、台湾まで行って用材を探したというのは有名な話です。当時はまだ伐採可能な樹齢2000~2500年の超高齢の湾桧ったそうで、西岡棟梁のお眼鏡にかなった台湾桧が伐採され、更にこれから1000年の歴史を刻もうとしています。木には森としての文化と、伐られてから刻まれる文化のふたつの文化があります。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ①

20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ② 悠久な時間を掛けてゆっくりゆっくり成長してきた台湾桧からは、余分な木の癖や主張が抜け去り、どこを切っても素直で狂いや暴れのない老成した成熟感が滲み出てきます。まるで諦観したようないさぎよさ、静かなる貫禄、決して派手でも優雅でもないけれど、伐採後も地上で1000年君臨しようとする木の風格、凄みが伝わってきます。時間が経つほどに色合いに深みが増し、鈍い艶と光沢が現われてきますが、広葉樹のようにキラキラ輝くような感覚ではありません。あくまでも地味に控えめに、超高齢木は数年では微動だにしないのです。その値打ちが木から伝わってくるのは最低でも10数年の時を経てからでしょうか。加工直後にはあまり感じられなかった妖しさまでが滲み出てくるような・・・。もはや霊木の域でしょう。

私が入社した頃(20数年前)は、普通の大工さんの倉庫の奥の方にでもタイヒのきれっぱしのひとつやふたつぐらいは転がっていました。弊社の倉庫にも幾つかありましたが、残念ながら当時は知識が皆無でその価値にまったく気づかず、いつの間にかまとめて廉価で売ってしまいました。その頃に台湾桧で作られた門扉などを見ると黒ずんではいるものの、材は微動だにしていません。むしろその汚れさえも己の誇りとしてそこに佇む姿に頼もしさすら感じるのです。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ③

20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ④ こちらは師寺白鳳伽羅復興用材に台湾より寄進された2500年生『紅桧』。復興用材として大量の台湾産の桧を使用した証しとして永久保存するとして展示されていました。私にとって木は商売道具ではありますが、台湾桧に関わらず、自分の人生よりも遥かに生きた木を簡単に売り買いしていいんだろうかと思うこともよくあります。あまりそれを考えてしまうと仕事にならなくなるのですが、やはり生きとし生けるもの同士、畏怖や感謝の気持ちを忘れしまっては申し訳ない事です。

もしも今私が台湾桧を持っていれば、ああしようこうしようとも考えるのですが、【森のかけら】のような端材は別にしても、少し大きな建築部材を揃えるとなると、供給以上に価格の面でハードルが高過ぎるように思います。バブルならばいざ知らず、特に昨今の経済事情では。でも、だからこそ今の時代に台湾桧を求める方は、ブームではなく本当に木の好きな方だと思うので、ある意味今使われる台湾桧の方が幸せかもしれません。もはやそういう特定の方向けの嗜好品的な色合いを帯びてしまいましたが、それでも倉庫で誰の目に触れることなく塩漬けになってしまうよりは余程ましだと思うのです。はり木は使ってなんぼです。台湾桧の素晴らしさが図鑑の記述でしか分からなくなる前に、幻の木に追い込んでしまった材木屋に身を置く者のひとりとして、口伝としても台湾桧の存在と魅力を次世代にも伝えていく責任があると切に思うのです。 20110204 タイヒ・ノスタルジィ物語Ⅱ⑤




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2011年2月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  
Scroll Up