森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

20110212 名画の中のダスティン・神代・ホフマン①昨日のブログでは、本当は『二回・午前十時の映画祭』の事に触れようと思っていたのですが、映画の話から木の話に逆脱線(?)してしまったので、今日は改めて映画の話をおひとつ。映画の興行の話ですが、最近でこそ日本映画(宮崎アニメなどの功績も含め)の奮闘ぶりが目立っていますが、私が高校生、大学生の頃は完全な『洋高邦低』の時代で、毎年日本映画界の苦境が叫ばれていました。ハリウッドの大型資本の機械仕掛けの大作は、空気が乾燥していて爽やかで、我々の眼にも眩しく映りました。一方で当時の日本映画は、生活感に満ち溢れ、ウエットな画面はどこか重たく暗く地味で、貧乏くさく感じられたのでした。その長く暗い暗黒の冬の時代を乗り越え、現在日本映画は驚異の復活を遂げたのですが、その人気にあぐらをかいていてはその栄華も続かないでしょう。日本映画が奮闘しているのは勿論ですが、相対的に外国映画、特にアメリカ映画が急速に幼稚化・陳腐化してしまっている事が影響しているようにも思えます。

20110212 名画の中のダスティン・神代・ホフマン②昨年からの3D化の波は今年一層高まりそうですが、3D映画こそアメリカ映画の物語を創造する力の欠落を象徴する徒花(あだばな)のように思われるのです。かつては街に1つぐらいは名画座はあったものですが、今や名画をスクリーンで鑑賞出来る機会は地方ではほぼ消滅しつつあります。その分、DVDやブルーレイで観ることは可能になったので、より名画が身近になったとも言えるかもしれません。

 

20110212 名画の中のダスティン・神代・ホフマン③かつて名画は映画通の記憶の中で語られるものでしたが、それに比べたら現在はすぐに画像や台詞の確認が出来る分だけ、鑑賞後に記憶の物語が膨らむことがなくなりました。つまり伝説の生まれにくい検証の時代です。好きな映画を繰り返し飽きれるほど観れる喜びと、好きな映画を自分の当時の思い出とオーバーラップさせて、なかったはずのカットを作り上げ、台詞を感動的に塗り替え、まるで別の物語のように膨らませながら友と語る楽しみを天秤にかけた時、『大スクリーンで観たとういう共同体験』に分があるように思うのです。

20110212 名画の中のダスティン・神代・ホフマン④リアルタイムでなくとも、一定期間に劇場で上映されたという一点において、ある作品を観るために劇場に足を運び、料金を支払い、時間を費やしたという共同体験が人と人をつなげていくのだと思います。そういう意味においても、今回の『二回・午前十時の映画祭』には大きな意義があると思うのです。会場の大街道の劇場は、大街道商店街の苦境を象徴するが如く閑散としていたのですが、(人混みの苦手な)私としては大いにありがたいのです。土、日曜日でもシニア世代が10人未満というところですが、普段映画館には足を運ばなそうな初老の夫婦などもいらっしゃいます。きっと若かりし頃に観た懐かしい映画を久し振りに観に来られたという雰囲気です。

連休なので、もう少しこの話続けさせていただきます!




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2011年2月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  
Scroll Up