森のかけら | 大五木材


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さて、『梓(アズサ)』というと必ず出てくるのが「天皇陛下のお印の木」。皇室の方々には、身の回りの品々を区別する目印として、幼少時から「お印」を用いるしきたりがあって、上皇后・美智子様の『白樺(シラカバ』も有名ですが、新天皇陛下のお印は梓。私もよく知らなくて、調べてから分かったのですが、そのアズサはこのブログで書いてきたアズサとは梓違い。というのもアズサという名前で呼ばれる木はいくつかあって、その1つが『ミズメザクラ』ですが、他にノウゼンカヅラキササゲのことも指します。

アズサの別名で呼ばれる木は多くて、私が知る限りでも前述の2つ以外に、アサダ、アカメガシワ、オノオレカンバ、ナナカマド、ニシキギなどがあります。全国的に調べれば恐らくもっと多くの木が該当すると思われます。ここまで書いていて、はたと思ったのですが、前述したアズサのエピソードのアズサって、もしかしたらミズメザクラではなくて別の木の事だったのだろうか?アズサに関わらず、まったく違く種類の木が別名を共にするってことは植物の世界では多いので、その木にまつわるエピソードについても誤認と誤用が多々あります。

私なんかはそのおおらかさというかいい加減さ、曖昧さなんかが好きなんですが、中にはそれは間違っている!と鬼の首を取ったかのように小さな誤りを指摘して世の乱れでも直そうかという心の狭い方もいらっしゃいます。木の名前なんて政府が官報で、本日からこの木の名前はOOにします。なんて決めるものではなくて、人々の暮らしの中で親しまれ利用され語られ伝えられ、変化しながら作られていくものだと思うので、仮にその名前が正しくない名前であったとしても、その地域ではその名前で通ずるのであればそれはある意味その地域では『正しい名前』なのだと思うのです。

しかしそれにしても、決して硬質ではないキササゲになぜアズサの別名がついたのかがよく分かりませんが、いずれキササゲの木を入手出来たら謎が解けるかも?!最後に、具体的なミズメザクラの用途として、恐らく愛媛でもっとも頻度が多かったと思われるのが、玄関の框と踏み台。その供給を主として担っていたのは九州は宮崎産のミズメ。銘木屋さんが框と耳付きの一枚板の踏み台をセットで販売していました。まだ仕上げは植物性オイルで塗装するという認識の無い時代、乾燥の甘い材をガチガチにウレタンで固めたりしていました。まあ当時は、それが当たり前でした。




ミズメザクラ』のもっと有名な全国的な別名は『アズサ(梓』。昭和40昭和年代生まれとしては、その名前を初めて聞いたのは、1960年代の日本歌謡界に彗星のごとく現れた歌手・梓みちよ。ではないでしょうか。大ヒット曲「二人でお酒を」は、子どもだった私にはムード溢れるおとなの歌謡曲でした。それで、梓という言葉を覚えましたが、それが木の名前だと私が知るのは材木屋という仕事をしてからしばらく経ってからのことです。その後、結婚してから定期的に我が家に届くある冊子のお蔭でより強く『梓』を意識するようになります。

この文章を書いていて、そういえばこのくだりは書いた気がすると思ってブログを読み返してみたら、以前にも水目桜の材質を紹介するにあたって同様の事を何度か書いていました。という事は、その時にももっと詳しく話を掘り起こして『今日のかけら』に広げれる機会はあったはずなのに、やはりミズノの名前のややこしさや実例の乏しさから諦めたのだと思います。ということで、その際にも持ち出したのが、家内が大学時代に所属していた愛媛大学の弓道部の部誌のタイトルが『梓弓』。それは、弾力としなりのある梓(=ミズメザクラ)が、弓の素材として利用されていたことに由来しています。

では梓(アズサ)とは何ぞやというと、雄花の尾状保穂が重なり合って小枝の端から垂れ下がるさまを厚房(あつふさ)と呼んだことがアズサに転化したのだそうです。歌手の梓みちよさんの芸名の由来は知らないのですが、彼女の本名が林美千代という事なので、もしかしたら「林だから梓」的な連想があったのかも。なおアズサもヤマザクラに似て、材質に艶があって色気がある木なので、そういう部分も命名に作用したと思ったとしたら深読みか?歌謡曲の事を書いていて梓つながりで思い出したのが、兄弟デュオ・狩人が歌った『あずさ2号』。私がまだ小学生だった頃、1977年の大ヒット曲です。

乗ったことはありませんが、改めて調べてみると、新宿駅 ~松本駅間で運転を開始した臨時夜行準急で、名前の由来は松本市の近くを流れる「梓川」(犀川の上流域)にちなんでいるそうです。恐らくその辺りにアズサが生えていたんでしょう。材としてのアズサはヤマザクラと同じような用途に使われてきました。三味線や琵琶の胴などの楽器や器や盆などの漆器木地にも利用されてきましたが、材質が滑らかで堅牢なこともあり版木としても珍重されました。本を出版する事を上梓(じょうし』と言いますが、それはかつて版木にアズサの木を使っていたことの名残でしょうか。明日につづく・・・

 




そういう経験が後に私を『多樹種偏執性嗜好』へと走らせる布石になったのかもしれません。まあそんな感じでしたので、何か正体のよく分からない硬質でサクラっぽい木はなんでもかんでも『ミズメザクラ』。それが正しいのかどうかすら判断する基準もないし、当時はそれであまり困ることもなかったし、そういうもんなのだと思っていました。その後、橋も整備され県外の大きな市場に仕入れに行くようになって、いかに広葉樹に対する認識がいい加減であったか、その呼び方がどれほど適当であったかを痛感させられるのです。

大五木材における広葉樹の目覚めはそうして起きるのです。ところで、サクラっぽいのはミズメと言っておけば間違いないと教わっただけあって、サクラとミズメはとてもよく似た性質をしています。そういう分類でも問題が生じなかったのが納得できるほど質感も滑らかで、持った時に掌にズシリと響く重さも双璧。ただしミズメは、カバノキと同じカバノキ科で、バラ科のヤマザクラとは別の科です。ミズメ(水目)という名前は、ナタで樹皮を傷つけると、湿布のような匂いがして、透明な水のような油が染み出してくることに由来しています。

このミズメザクラには変わった別名が多くてややこしさに輪をかけているのですが、数ある変名の中でも命名者がこの木に何かの恨みでもあるのではないかと思わされるのが『ヨグソミネバリ』!樹皮を傷つけた際に出る異臭を、こともあろうに夜糞にたとえているのです。漢字で表わすと『夜糞峰榛』。ミネバリは、同じカバノキ科ハンノキ属の『ヤシャブシ(夜叉五倍子』の葉と似ているので、ヤシャブシの別名である『ミネバリ(峰榛』からきています。ミネバリとは、山上に生える榛(ハリノキ)の意味。既にややこしい💦

しかしよりにもよって名前の中に「糞」の字が入れられるなて気の毒としか思えません。地域によっては、同じカバノキ科の『オノレカンバ』の事を『ヨグソミネバリ』と呼ぶこともあります。このあたりの解釈は図鑑や文献によっても結構混乱がみられます。どこに住んでいる著者が書いたかによって判断がまちまちなのかも。愛媛ではミズメをその別名で呼ぶのは聞いたことがありません。図鑑を読むまでそういう別名があることすら知りませんでした。とりあえず【森のかけら】では『ヨグソミネバリ』は『オノオレカンバ』の別名としています続く・・・

 




★今日のかけら・#102 【水目桜/ミズメザクラ】 カバノキ科カバノキ属・広葉樹・宮崎産

 

これはあくまでも松山で30数年にわたり木の仕事に従事してきた材木屋としての経験からですが、愛媛とくに松山市においては昔から材木屋の中で広葉樹に対する知見が浅くて、その扱われ方も杜撰でした。歴史的に広葉樹が松山でどういう位置づけだったのか知らないのですが、木材市場でのその扱われ方を見ていると、あまり興味や関心が無かったと思わざるを得ません。愛媛を代表する森林地帯・久万高原町の奥に位置する小田美川地域は紅葉の名所としても知られるところで広葉樹も豊富ですので、用材としても出材されてきた歴史はあるとは思うのですが。

戦後早くから米材の大型工場などが出来たこともあってか、愛媛では米材をはじめとする海外の大径木が入ってきて、海外の木材輸入ルートが確立されていました。そのためそれほど大きくはない国産広葉樹を手間暇かけて加工するよりは、値段も安く加工も容易な海外の大木の広葉樹に流れたのかもしれません。そもそもがスギ・ヒノキの産地ですから、広葉樹の需要が細かったのだと思いますが、市場に広葉樹が並ぶなんて事もほとんどなくて、稀に高知や岡山など他の地域から仕入れてきたケヤキサクラが並ぶ程度でした。勿論その間隙をついて広葉樹でうまく儲けていた業者もいたとは思いますが。

まだ当時は私自身が広葉樹に対する関心が低かったこともあるので、実際は広葉樹もあったのにその存在が「見えてはいなかった」だけなにかもしれませんが。まあ、そんな感じでしたので同業者間でも広葉樹の話が出ることも無く、出てきたとしてもそれに対して知見を持っている人が少なくて、先輩の材木屋に訊いてもよく分からない。まだ景気のよかった頃なので、そんな正体のよく分からない木に関わるよりもヒノキの無節の柱をいかに安く仕入れできるかに関心が集まっていた時代でもあったように思います。

競争相手も少なく例え安く買えたとしてもそれが何の木なのかも分からなければ、買ったとて売りようもないので結局スルーされることになり、その悪循環で市場にも出てこなくなったのではないかと思います。ヒノキやスギの見立てでは、ベテランの大先輩方には逆立ちしたってかなわない私としては、実はそういう木ならば勝機があるのではと思ったりしていたものの、まだ仕入れたとしても売るだけの『変態路線の販路』を切り開いてもいませんでしたし、社内でスタッフを説き伏せるだけの『屁理屈』を言える経験値も情熱もありませんでした。今、考えるとモッタイナイです。

それでもそれが何の木か知りたくて同業者の先輩たちに尋ねても明確な回答は得られず。出品した山元ですら「広葉樹」、あるいは「雑木」としか認識していない(それ以上細かく分類表示する意味もなかった)程度の扱いでした。それでも呼び名も無いと面倒なので、サクラっぽい雰囲気のモノはほぼ『ミズメ(ザクラ)』と呼ばれたりしていました。これとこれだと同じミズメ(らしい)でも質感がかなり違うように見えるんですが・・・」、「ミズメにもいろいろあるから(適当)。」樹種にこだわりを持つような時代ではありませんでした。明日に続く・・・

 




ということで丸亀阪神vs中日のウエスタンリーグの試合を観ることになったのですが、そのためだけにわざわざ丸亀まで行ったのではなくて、途中の今治市、西条市で家具などの納品があったので、会社の休日を利用して納品を兼ねて行った(あるいは試合観戦を兼ねて納品に行ったとも)のでまったく何も後ろめたいことはないのです(キッパリ)!多少のハプニングもあったものの、無事に納品も終わったのですが、試合開始までかなり時間があります。そういう場合にはするべきことはその城に行くこと!その前に丸亀名物骨付鳥の『一鶴(いっかく)』で腹ごしらえ。

20~30歳代の若い頃は、四国管内での木材業界の交流も盛んで、よく香川にも行っていましたし、香川県に支店があるようなお客さんとの取引も多くて結構香川にも納品に行ったいたので、その行き帰りなどにここの骨付き地鶏もよく食べたものです。初めて食べたのは20歳代の頃で、かなりシパイシーな味付けもビールの呼び水として大満足でした。メニューはシンプルに骨付き鳥と鶏飯で、骨付き鳥には「おやどり」と「ひなどり」があって、ひなどりは子供でも噛めるやわらかさですが、おやどりはかなり顎の力が必要とされます。久しぶりに食べましたがなかなか噛み切れず・・・。

テイクアウトもあって、何度か持ち帰って家でも食べましたが、プレートに触るとアチアチの出来立てでないとこの皮のプリプリさや香ばしさ、ジューシーさは堪能できないのではないかと思います。入る時は腹が減り過ぎていて気づかなかったのですが、会計を済ませて店を出ようとすると、『ミズメザクラ(水目桜』の立派な一枚板が背板に使われている待合のベンチが目に飛び込んできました。さすがにそこでスケールを出して長さを測定するわけにはいきませんでしたが、4人掛けなので目測で2ⅿの豪快な赤身の杢。品格が漂っています。

そのミズメザクラのベンチと背板がいつ頃取り付けられたのか分かりませんが、20~30年頃前は少なくとも愛媛ではミズメザクラは間違いなく銘木の代表銘柄のひとつとして人気を博していて、いろいろな場面で利用されてきました。『ヤマザクラ(山桜)』ではなかなかそこまでの大きさの板が取りづらいので、その代用的な意味もあったのと、ミズメに現われる独特の虎斑(トラフ)が人気でテーブルをはじめ、玄関の踏み台、カウンターなどに使われました。早いとこ『今日のかけら』で書いとけよと、催促されているような気分・・・

 




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