森のかけら | 大五木材


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20160104 1今年の正月は家内の家族と一緒に宇和島市の和霊神社に初詣。毎年というわけではありません、昔から都合がついた時には出かけています。和霊神社は、産業の神様として漁業の盛んな宇和島でも広く信仰されていて、地元では「和霊さん」の名前で親しまれています。子供の頃から家族で参拝に来ていたのですが、あまり近くにあると、それが当たり前に感じられて、今までその変わった名前の意味や誰が何のために祀られているのかなんて考えたこともありませんでした。

 

20160104 2もともと歴史には興味があったものの、戦国武将の人物像やら戦略・謀略などもっぱら上っ面のことばかりに目を奪われていました。それが、『森のしるし』など歴史に関わる商品を作るようになって、その家紋の由来やエピソードを探るため地域の文化や歴史についても関心が向くようになり、遅まきながら歴史の醍醐味の一端を味わっているところ。それもなければ、地元の文化や歴史にも無頓着だっらかも。それで恥ずかしながら和霊神社の事を調べたのがつい数年前の事。

 

20160104 3名前に『』という文字があるぐらいですから当然その物語は怨念絡みの黒歴史!軽くその歴史を紹介すると、1615年に独眼竜こと伊達政宗の長男・秀宗が宇和島の地に移封されるのですが、その秀宗の右腕として宇和島藩政を支えたのが家老の山家公頼という人物。秀宗に重用され、財政難に見舞われていた藩政の建て直しに奮闘するものの、藩政について藩内で対立が起こり、反対派の讒言(ざんげん)を信じた秀宗は暗殺者を差し向けて、公頼とその息子らを殺害させます。

 

20160104 4その後、落雷や海難などによって反対派の変死が相次いだことから、それが公頼の怨霊の祟りではないかと噂されるようになります。また公頼の無実も判明したことで、1653年にその霊を和(なご)めるために建てられたのが山頼和霊社(やまよりわれいしゃ)。戦争の空襲で焼失するものの戦後再建されました。何気なくくぐっていた石の大鳥居があるのですが、これが高さ13m強で、石造りの鳥居として日本一の高さであるということもその時に知った信仰心薄き者です・・・。




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