森のかけら | 大五木材


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私のずさんな管理ですっかり赤カビに侵されてしまったモミジバフウの板。赤カビが繁殖していたのは数枚で、ほとんどが白カビでしたので、全体から見れば被害はごくわずか。折角寒伐りしても後の管理がこれでは無意味なので、いくら一度に大量に入って来たとはいえ、次回の戒めにせねばなりません。湿ったところに長い間放置しているとカビが繁殖して、そしてやがて材としての価値は無くなってしまいます。とにかく製材後はなるべく速く桟積みして、乾燥させることが肝心。あまりにも数が多くてつい油断してしまいました。

白いカビは見た目にはかなりやばそうに見えますが、実際は表面に薄いカビの膜が覆っているような感じで、意外に簡単に除去できます。しかし内部にまで害が及んでいる可能性もあるので、とりあえずそのうちの数枚をプレーナーで軽く削ってみることにしました。そしたらその中の数枚に面白い化学変化を起こしているものがあったのです。それがこちら!それはまるで腐りかけのバナナのよう、いやこれは例えが悪かった。完熟バナナのよう・・・分かりづらいので例えは止めますが材全体が灰褐色に染まり妖しい筋が!?

まさに僥倖!いや、棚からぼた餅!地味でパンチのなかったモミジバフウに思わぬ形で箔がつきました。まあこれをどういう風に解釈するかはひと次第でしょうが、私にとっては嬉しい誤算。なるべく着色はせずに木本来の地の色で勝負したい私としては、こういう形で色がついたり表情が深まることについては寛大なのです。これは面白い~!こういうものを面白がっていただく人は周辺に結構いらっしゃいますので、店舗をはじめいろいろな用途に使っていただけそうです。一枚一枚検品しているからこその出会い。

転んでもただでは起きないというか、この30年近い材木屋の仕事の中で自分なりの物差しが確立できて、いろいろなタイプの大小の『出口』を発見できた証拠でもあります。なんて自分の都合のいいように超ポジティブに考えられるような逞しさ、ずる賢さも身に着けたようです。あれほど恐れた虫害や腐りについても心が寛容になりつつあるのは年齢のせいかもしれませんが。まあこうして結果的に『完熟モミジバフウ』を手に入れることが出来たのです。後はこれがうまい具合に乾いてくれることを待つのみ。




話が脱線しますが、雨風にも晒していた最後の1車分はかなりのダメージがあって、若い頃の私であれば手を付けることもなく廃棄していたかもしれませんが、この四半世紀の大五木材での日々が私を果敢なチャレンジャーに成長させてくれました。明らかに木が腐っている匂いを放つ数枚の板からは、写真のような毒々しい色合いのキノコ(?!)が顔を出していました。キノコの知識はまったくないものの、敬愛する動物研究家の實吉 達郎先生の本で植物に関する毒の怖さを目にしているのでついつい過剰反応!

きっと誤ってこれを食すると映画『マタンゴ』のような姿に・・・!さすがに例えが古かったとは思うのですが、若い学生たちと木の話をする時には、よく映画や小説、歌謡曲などのタイトルなどを、分かりやすかろう、イメージしやすかろうと思って引用するのですが、若い子の映画離れ、小説離れは驚くばかり。いや最近の映画や小説については私よりもずっと観たり読んだりしているんだろうと思いますが、私たちが若いころ知っていた映画や小説、つまり古典(せめて古典的と言おう)には興味が無いようです。

若い人がどうこうと言うよりは、私の方が時代錯誤で例えそのものが古すぎるだけなのかもしれません。もっと最近の映画や小説、テレビドラマなどにも関心を示さねばならないのかもとも思うのですが、特定の固有名詞で木が登場することが少ないように感じるのは、以前にもブログで書いた通り。昔の方が固有名詞として木が必然的に使われていたように思います。木や草花など自然を愛でる日本人の感覚や距離感そのものが変わってきているようにも感じます。季節感を感じることの少ない時代ですから。

さて、これがマタンゴに変身するキノコかどうかは分かりませんが、数枚がすっかり張り付いて剥がそうとしてもビクともしない板を強引に引き剥がしてみると、材面があってはならないような色のカビが繁殖していました!材木屋でありながら、湿った木材の天敵であるカビに対する知識も希薄で恥ずかしいのですが、比較的簡単に除去できる白カビに比べると赤カビは厄介だという事は経験則で学びました。さすがにこれだけカビに侵されてしまうと削っても内部にまでその影響が及んでいると思われます。しかし、そんな中・・・




モミジバフウの板の中から突如現れた拾い物の話の前に、一体どういう風に使っているのかについて。それほど大きな丸太ではなかったものの、雰囲気のある広葉樹として形のいいものや節の少ないものはそのまま棚板やら看板材として使います。問題はそれらよりもずっと小さくて節が大きかったり、乾燥工程で大きくねじれたり暴れたりしてしまった材の始末について。昔であれば私も『建築材か家具材』という物差ししか持っていなかったので、『欠品』あるいは『不良品』扱いして顔を曇らせていたところです。

あれから数十年、伊達に馬齢を重ねてきたわけではありません!むしろそういう板の方が出口探しに燃えるぐらいで、モミジバフウもこうして耳のギリギリまで使い切ります。大きな出口は持っておりませんが、多様な樹種を沢山揃えて、物語を紡いでひとつのシリーズ商品化させるという「技術」を会得してからというもの、本当の事を言えばこの皮とて焼却炉の灰とするのは抵抗があるところなのです。全部を自分一人でするわけではありませんので、どこかで明確な線引きが必要なため泣く泣くここが素材と廃棄とのボーダー。

普通の材木屋と比べるとかなりボーダーラインが低いと思われます。樹皮の裏側付近は虫たちの縄張りで、野菜などで例えると切って捨てる部分です。しかしそこはモッタイナイを社是とする弊社においては、虫食いがあってもカットすれば使えると判断すればより小さなモノの原料として活用します。乾燥に費やされた時間は、上質も杢の部分も虫に穿孔された部分も同じです。使える限りは使えるようにアイデアを絞りださねば、寝床を奪ってしまった虫たちにも申し訳ないことですから。

まあ、ただのケチとも言いますが・・・。とにかく樹皮を巻き込むギリギリまでは使うようにしているのですが、耳部分に味わいのある広葉樹ならでは。そうして再割りしていたらモミジバフウからも脂壺から溢れ出た『ヤニ』を発見。今年何百とモミジバフウの板を割ってきましたが、こういうヤニ(ヤニでいいのか?樹液?)は初めて見ました。こうして自分で小さくカットしたりしているといろいろな発見や出会いがあります。世に木の図鑑は数あれど、実際に自分で加工までした人が書かれている本は貴重、特に広葉樹は。




このブログでも何度か紹介させていただきましたが、今年の1月にご縁があって手元にやってきたモミジバフウユリノキですが、相当な数がありまして、大小含めるとトータルで3t車で14,15台はあったでしょうか。丸太を製材所に持ち込んで賃挽きしてもらったのですが、かなり短くて小さなものから大曲りの丸太など形もさまざまで、すべて挽き終わるにも、すべて持ち帰るにもかなり時間を費やしてしまい、結局最後の数台分を年の瀬になってようやく持ち帰ることが出来ました。何とか年内に桟積みまで完了~。

ただただ板に挽いて積み上げて在庫を増やしていただけではなく、一方で乾燥したものから加工して販売もしておりましたので、全体のボリュームとしては2/3ぐらいになった感じです。もともと枝が多くてそれほど大きな木ではなかったので、曲がりくねっていたり節も多くてテーブルや家具に使えるものは限られていました。なので思い切って小さなモノに再割り加工して使ったのですが、その決断をしていなかったら今頃倉庫はモミジバフウで溢れかえっていたことでしょう。

そんなモミジバフウですが、根元に近い部分は輪切にしてもらうことにしました。内部に洞(ウロ)があったり、腐食や割れなどもあったので、ダメもとで輪切りにしてみたのですが、結構輪切りフェチの方もいらしてそれなりに売れました。ただし大きな丸太の輪切りは重たいのと、コンディションが悪かったこともあって、売れ残り最後の数枚は製材後しばらく屋外で放置していたこともあってかなりボロボロ。それでも一応桟積みしておこうと並べていたら、腐食した穴に中から寒さで凍死した虫たちを発見。

製材時の大鋸屑などで防寒していたのだと思われますが、あまりの寒さに凍死したのか。まだ生きているものも数匹いましたが動きがノロノロ。単に寿命だったのかしら?ともあれどうにか年内に最後の仕舞いをつけることが出来ましたが、まさかのほぼ1年がかりの作業となってしまいました。折角の寒伐りだったのに、一部は梅雨にもあててしまいすっかり変色したものもありましたが、思わぬ出口が見つかったことから大量に消費することが出来ました。そしてこのモミジバフウの中から思わぬ拾いものが見つかったのです!




映画『猿の惑星』は、ヒトとの最終決戦を経て、次第に文字通り猿の惑星化していくわけですが、今日は映画そのものとは別の視点で考えてみます。木にとってはヒトとサルいずれが支配する世界がいいのか?リブートシリーズでは、製薬企業の中で生まれた幼猿シーザーは、連れて行ってもらったサンフランシスコのミュアウッズ国定公園の中のセコイアの巨木の枝から枝へ飛び移りながら、猿としての本能に目覚めていきます。その時、木々の隙間から見えた金門橋は後に悲劇の舞台となるのですが・・・

セコイアの森はやがてシーザーたち覚醒したサルの「ホーム」となります。その後サルたちは山の奥へと移動してそこに大集団が住む砦を築きます。覚醒したとはいえまだまだ複雑な作業ができないため、使える素材は主に木。丸太を伐って(折って?)並べたり組んだりして寝床や武器を作っています。見ようによっては、アパッチ砦のようでもあり、巨大動物園の屋外展示施設のようにも見えますが結構な迫力。しかし悲しいかな防火設備を備えないその砦は、大火で焼失してしまいます。

砦を追われてもサルたちには地形を生かし、木を使うしかないのです。鋸を持たないサルたちがいくら木を使おうともその量は微々たるもの。やがてサルたちは高い知性を備えるようになると、木だけでなく石も使うようになります。オリジナルの1作ではサルは石造りの家に住んでいました。知能の発達に合わせて、木の利用も飛躍的に進むと思われますが、映画を見る限りでは大量の森林破壊が行われた様子はありませんし、必要以上に自分たちのホームを破壊する理由も見当たりません。

サルたちが支配する世界では当たり前のようにサルと木々の共存が出来ているように思われます。恐らくその世界では、世界一の巨木・ジャイアントセコイアのような大木が森を覆いつくして、原始の森のような光景が広がっていることでしょう。しかしいずれサルも進化し、鋸を作り広葉樹を縦に割る技術を身に着け、木をただの素材と見なし、巨木への畏怖を忘れた時、ヒトと同じような道を歩むのかもしれません。リブートシリーズの中に1編ぐらい、巨大化した原始の森を舞台にした『巨木の惑星』も観てみたい。




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