森のかけら | 大五木材


当ブログに記載の商品の料金、デザインは掲載当時のものであり、
予告無く変更になる場合がございます。
現在の商品に関しまして、お電話、又はオンラインショップをご覧ください。

弱小零細企業の大五木材としては、お金をかけた全国規模なPRなど出来るはずもなく、県外に向けてのPRとしてはこのホームページが唯一のツールなのですが、そんな細い糸を通じて全国の木フェチからお声が掛かってくるようになりました。その中で多いのは、「OOという木の端材はありませんか?」というもの。誤解を恐れずに言わせてもらえば、「変わった木、珍しい木の端材であれば、売るどころかこっちが欲しい!!」これ本当の気持ち。弊社は端材売り屋ではなく、端材でもの作り屋の立場。

森のかけら』をはじめ『森のりんご』や『モザイクボード』、『森のこだま』、『誕生木ストラップ』など端材を利用した商品作りは、多種多様な木を扱う弊社の生命線といっても過言ではありません。なのでその原料となる端材は必要不可欠なものなのです。その中でよく使う樹種は端材も多く発生するため、端材で商品を作って余った分だけをオンラインショップで販売をさせてもらっているというのが実情です。なので貴重な樹種については、私だって端材が発生するのが待ち遠しくてたまらないのです!

もう時には端材が出るのを待ちきれなくなって、禁断のトロ部分に手を出してしまうことも一度や二度どころではありません。なので、「(希少な樹種)OOの端材っていつ頃出ますか?」って尋ねられても、本心は『そんなの、私自身が一番端材が欲しい列の先頭に並んでいるのに分かるわけがない!』というところ。待てなかったら、端材と言わず本丸に手を出してそちらを買ってくれないかしら?(そしたら私もその端材のおこぼれに預かるのに、なんて本末転倒な事まで考えてしまう。

先日も県外から「ゼブラウッドの端材が欲しい」という問い合わせがありました。普段はそんなモノなにのですが(あったら私が先に使っているから!)、その時はたまたま偶然にゼブラウッドの端材が残っていて(私もどう料理しようか考えあぐねていた)、その画像を送ると、割れがひどくて使えない。もっと割れやクサリ、節がなくて長さがOO以上幅と厚みがOOぐらい必要という事であえなくNG・・・もうそれって端材じゃなくね~!と思ったものの、口には出さず。端材の解釈の相違ここに極まれり




本日も宇和島市内に建てられたアカマツハウジングさんのモデルハウスの話。昨日は、ナラアカシアのフローリングをご紹介しましたが、今日は同じブナ科コナラ属の木でも北米産のホワイトオークナラとオークって何が違うの?一緒じゃないのと言われることがありますが、材木業界での一般的な感覚では、ナラというと国産、あるいは中国産、ロシア産のモノを指します。流通している主なナラのフローリングは、そのほとんどが中国・ロシア産。国産の場合は、『国産のナラ』などと断りをいれるぐらい貴重。

弊社でも時々国産(主に北海道か東北産)のナラのフローリングを扱わせていただきますが、その場合は長さを工場で繋いでいない『乱尺モノ』となります。北アメリカ大陸には、同じブナ科コナラ属のホワイトオークがあります。ナラと比べるとやや重たいのと、少し目が粗い程度で質感や雰囲気はとてもよく似ています。何十枚も並べて比べればその違いが見えてきますが、それぞれ1枚ずつ出して並べると分かりづらいほど特徴が似ています。ホワイトオークは幅の広い板が得やすいので家具・造作に適しています。

モデルハウスではキッチンのカウンターや洗面台などにホワイトオークを利用していただきました。写真には写っていませんが、玄関の框や巾木などもホワイトオークです。弊社の外国産材の中でここ最近もっとも取り扱い量が多いのがこのホワイトオーク。小さくカットしても存在感充分で、汎用性が高くてさまざまな用途に使えることから端材まだしっかり使い切ります。そのため歩留まりも高くてロスが出にくいのも嬉しいところ。今はまだ明かせませんが、最近でも新たな用途での使い道が決まりました。

モデルハウスの2階の窓からはのどかな田園風景が広がっていましたが、ちょうど窓枠が額縁のようで、この美しい風景がまるでそこに仕込まれた絵画のように感じました。モデルハウスの外にはこの光景が広がっているものの、窓枠を通して見るそれは別物のよう。今年に入ってから宇和島市に機会が急激に増えていて(仕事もプライベートも含めて)、宇和島が急速に近づいてきています。場所や人との巡り合わせにも目に見えないバイオリズムのようなものがあって、今ちょうどその波長が合っている気がします。




アカマツハウジングさんが宇和島市内に建設されたスーパーウォールのモデルハウスの見学会にお邪魔させていただきました。ちょうど先日まで『ミズナラ』についてブログを書いてきましたが、このモデルハウスはまさに『ナラ三昧』!床材をはじめいろいろな場面にナラ、オークを使っていただきました。木目がくっきりしていて力強く男性的なミズナラ、『キング・オブ・フォレスト(森の王様』の異名を持つホワイトオーク、更に一部にはアカシアも使っていただき、全体的にはシンプルで落ち着いた雰囲気。

1階のリビングのフローリングには、ナラの120㎜幅のABグレード。節こそ少ないものの濃淡の色ムラがあります。個人的には濃淡があるほうが無垢っぽくて好きです。Aグレードとなるとムラもほとんどなくて整いすぎて貼物に見えてしまって、木本来のナチュラルな質感が希薄になってしまうように思えてしまうのです。以前はお客さんも圧倒的にムラや節の少ないAグレードを望まれていましたが、現在ではすっかり逆転して、このABや大きな節・色ムラのあるラスティックグレードが主流です。

2階にはそのラスティック・グレードの75㎜の小幅のナラ。写真だと分かりづらいかもしれませんが、1階のABグレードに比べるとかなり濃淡の色ムラが激しいのと、親指大くらいの小節がところどころにあります。当然コストも抑えられるので、うまく使い分けすれば無垢のフローリングだからといって何でもかんでも高額なわけではありません。意識してアップの画像しか撮っていないので伝わらないかと思いますが、同じナラでも幅が違ったり、グレーディングが違うと随分と部屋の印象も変わります。

2階の一部には、すっかり弊社のフローリングの主軸商品となったアカシア。こちらはナチュラル・グレードと言って、もうこれは違う種類の木じゃないかと思わるるほど色合いの違うカラフルな表情が混在しているのが魅力です。取り扱いを始めた頃は、その説明をするだけでも複数枚のカットサンプルを作って、こういうものだからと説明にも時間も手間もかかっていましたが、ようやく一般的にも知られるようになってきて、アカシアというとこういうものだと認知されるようになってきました。この項、明日に続く・・・




昨日までテーブルの一枚板としてもミズナラについての話でしたが、粘りがあって逞しいミズナラはフローリングや家具以外でもいろいろな用途で活躍しています。以前は厚み30㎜前後の耳を断った平板としても仕入れていたので、造作材なども利用していましたが、品質の良いものは価格が高騰したのと安定供給の問題で、そのポジションは北米産の『ホワイトオーク』に取って替わられました。大きな一枚板が必要な場合は、やはり北海道や東北、岐阜の市場などから仕入れることになります。

小さなものでよければ、地元の久万の山からも少しは出てきますので、製材所に丸太で仕入れてもらい耳付きの板に挽いて使っています。曲がり木も多く、家具などに使うには難しいものの、小さくカットして使うには十分。小さくとも曲がり木であろうともミズナラに違いはなく、例えばこういう『木の球』に加工すれば、ヒノキとは比べものにならないズシリとした重みが感じられます。木同士がふれあった時の力強い音もミズナラならでは。前述した『カラコロ木琴』をはじめ音色も楽しめます。

昔は床材、家具材としてしか見ていなかったため気づいていなかったのですが、ミズナラの魅力は小さくしてもその特性が失われにくいことにあります。小さなモノにも虎斑(トラフ)が現れたりと表情豊かで、子供たちにも「木らしさ」がよく伝わります。ヒノキやスギの針葉樹の切り取った柾目部分だと、木とは感じない子供もいたりしますが、ミズナラだとさすがに子供にも「木感」は理解できるようです。またそのしっかりした重さからも掌で木を感じているのだと思います。

節や割れだけでなく、虫に喰われる事も多いミズナラですが、最近はその虫穴も含めて『木の醍醐味』と理解して、それらも自然体で受け入れたいただく寛容な人も増えてきています。むしろそういう部分を取り込んだものが欲しいというリクエストもあったりして、木に対して求められるものは随分広がってきたと実感しています。だからこそそれを供給するこちら側が、いつまでも古臭い昔のままの物差しで木をはかっていてはいけないのです。新しき価値は新しい木の中にあるのではなく頭の中、心の中にある




天板が仕上がったら最後は植物性オイル+蜜蝋ワックス拭き仕上げ。鉄脚が付いて仕上がったのがこちら。中央に走った大きな割れも、豪快な流れ節も、このミズナラに力強さと唯一絶対の個性を与えてくれています。中には節や割れが許せないとか、許容出来ないという方もいらっしゃいますが、弊社の倉庫にあるのはそういう木ばかり。私自身がそういう木の表情が好きだし、それを個性だと感じているので、あえてそういう木ばかりを選んで仕入れています。なので自然とご来店される方にも感染。

もちろん欠点の無い無節の木も嫌いではありませんし、ある意味でよくぞそこまで綺麗に成長したなと感心するものの、生来のひねくれ者ゆえ万人が認める絶対的な価値に対する反発心みたいなものがありまして、節ひとつ無い優等生のような木には何か物足りなさを感じてしまうのです。欠点の無い事、それこそがある意味欠点でもあります。自身の人生を投影した、完璧なモノに対するひがみ、ねたみなのかもしれませんが、やはり私は節や割れ、傷のあるような板にこそ木の魅力を感じてしまうのです

ぬくぬくと育った優等生の無節の板からは発することのない、ワビサビのような味わい深さは、森で雨風や小動物、昆虫たちと格闘して刻まれた節や割れ、傷などの爪痕からこちらの想像力を大いに掻き立てながら滲み出してくるのです。酸いも甘いも嚙み分けたような老獪な味わい深さがたまりません。映画でも完全無欠のスーパーヒーローよりも、心に闇のあるような脇役に惹かれたりするのです。古い例えで恐縮ながら、アーネスト・ボーグナインとか ウォーレン・オーツ、ロバート・デュヴァル等々。

話が映画の方に逸れそうなので戻します。きっとそういう自分自身の中の反骨心というか反発心みたいなものが、木の節や割れなどがあって『欠点』とか『B品』なんていう表面だけしか見ない薄っぺらい世間の評価に対する怒りのメタファーとなっているのだと思います。人は誰も理想通りには生きられませんが木とて同じこと。そこに芽吹いてしまえば、いかに過酷な環境だろうがそこで生きていくしかない木。その木たちが必死にもがいて刻まれたしるしの中こそかえがたい魅力があると思うのです




オンラインショップ お問い合わせ

Archive

Calendar

2018年4月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  
Scroll Up